「阿片王 満州の夜と霧」を読みました。
著者佐野眞一氏は自ら日本が貧しい頃を知る最後に知り、日本が豊かになったことを最初に時間した世代だといいます。 物心ついたときに遭遇した高度成長経済は心をわしづかみにされる事件であり、戦後の高度成長のグランドデザインは満州国を下敷きになされたような気がすると記しています。
安倍晋三前首相の祖父岸信介は産業部長として満州に赴任し満州開発五か年計画を立て「満州国は私の作品」と述べたそうです。
以下、満州国に関する記述の一部です。
- 冷暖房付きの特急「あじあ号」は最高時速130キロのスピードで、大連―ハルビン間943キロを13時間半で結んだ。 「あじあ号」の最高速度は、東京オリンピックが開催された昭和39年開業の新幹線「こだま」の速度とほぼ同じだった。
- 満州国の首都の新京には上下水道が整備され、東洋で初めての水洗便所の敷設も新京から始まった。
- 大連には東洋一を誇る病院があり、市街地はアスファルトで舗装され、主だった住宅にはセントラルヒーティングが施された。
つまり、日本の戦後の高度成長を支えたインフラは全て満州で実験済だったといいます。
大前研一氏が講演で、広大な中国の東北三省を汽車で旅した時、「日本人はこんなところまで進出していたんだ」と感じたそうです。 日・漢・朝・蒙・満の五族を中心とした東アジア諸民族が居住する多民族国家。 日本の戦後の高度成長を先取りした国家計画は、軍事教育とはいえ、当時の日本には壮大な国家デザインを描ける非常に優秀な人材がいたのだと実感しました。
1932年から13年間だけ存在し、傀儡国家と言われる満州国ですが、現代の日本社会に影響を与え「過去の光で現代を見る」ための歴史的教訓を多分に含んだ国であったと思いました。
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