入院中のことを書くのはこれで最後です。
時期は5月、すずめのひなの巣立ちの時期でした。巣立ったばかりのひなが病室の窓際にやってきて、しばらくすると親鳥が迎えに来て行ってしまいました。 出会えると少しラッキー。 病院の中をロボットが走っています。
10年ほど前、勤めていた会社を辞め、みぞれの降る中、都内の会社を何社も訪問したことがありました。 失業すると鬱にも近い無力感を感じるもので、将来に希望が感じられないまま、都内の日本庭園で時間を過ごしました。 ベンチに座って水鳥を眺めていたことを思い出します。
かじかんだ手で傘をさして歩いた、落ちては解ける雪混じりのアスファルトの舗道や鉛色の空は、その時のわたしの原点でした。 何か複雑に事情がこんがらがった時には、ゼロリセットできる。 そこからまた始められる原点だと思いました。
でも、そのときは、まだまだ、たくさん抱え込んでいてゼロではなかったのです。
入院中は、病院のコンビニに商品があっても食べられません。お金があっても、買えるものがない。
動脈に挿入された点滴の栄養補給で生きていて、いつ回復するか、いつまで入院しなければならないか分からない。 チューブが邪魔で風呂には20日も入れない。
病棟のロビーを1日1kmくらい歩きました。 回廊状になっている廊下を1周すると400m。 2周半、点滴スタンドと一緒に歩きました。 30分ほどでポンプのバッテリー切れの警告ブザーが鳴ると、病室に帰らなければなりません。
もう少し歩くと病棟を繋ぐ解放廊下。 ここがゼロでした。 ヒトは何もできない。 無力になる場所。
できることは、点滴スタンドと一緒に一歩、一歩、歩くだけ。 何も考えないで歩いていると、じきに、期待もなく、不安もなくなって。 不思議なこころの落ち着きがありました。
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