9日、東京から国政をめざす小池あきら参議院議員、比例(東京、南関東で活動)の田村智子さんを新宿に招き、日本共産党の講演会を行いました。
田村さんは、共産党各県委員会の要請行動に参加、国の対応も丁寧になってきたという変化を報告。
この2年間、仕事を失っていた30代の青年との出会い、一緒に行政窓口に行って支援したが思うように行かず、胸に痛みが突き刺さった話を紹介、若者に住まいを与えられない政治とはいったい何か、今度こそ国政にとの固い決意を表明しました。
私もあいさつ。
総選挙後伺った
「子どもの医療費無料化は自治体によって適用の年齢に差があるし、
ヒブワクチンやインフルエンザ予防接種などへの助成も自治体によって差がある。
どの町に住んでいても安心の医療を保障して」
との声を紹介しました。
また、大企業の現場の労働者の方々の話を聞いた話を紹介、
多くの皆さんの力をお借りして、
国政に皆さんの願いを届け、実現を求めていくこと。
そして、ぶれずに頑張れる日本共産党が大きくなることがどうしても必要なこと。
だから、東京から挑戦の決意をした小池さん、「必ず今度こそ国政へ」と燃えている田村さんを国政に送るため、私も全力を尽くす決意を述べさせていただきました。
大山とも子都議から、新しい都議会の様子の報告があり、これまでは3月議会(拙ブログでも書きました)を含め、都はてこでも動かなかった少人数学級実現について、
「国の動向を注視しつつ適切に対応する」旨答弁させたり、
小児病院存続に向けた民主党との共同など、世論と運動、選挙結果が各党や東京都を動かしている様子、またオリンピックの浪費問題など、態度が改まらない面も含めて、生き生きと語られました。
最後に、参議院予算委員会での質問を終えて駆けつけた、小池あきら政策委員長の話でした。
自民党政治の重石が外れたなか、「共産党という発見」が各層に広がり、農協をはじめ、懇談が広く始まっている様子が語られました。
そして、なんと言っても国会論戦です。
「いいことは賛成」なのですが、「いいこと」がどんどん後退しているなかの論戦です。
後期高齢者医療制度を、なぜ、去年廃止法案を参議院で可決させた態度で、すぐ廃止しないのかの論戦を紹介、
次に掲げられたのが、この日の予算委員会で使ったこのパネル。
所狭しと子どもたちがお昼寝していて、寝返りも打てないのは、認可保育園のようすで、最低基準ぎりぎりの園ではなく、一般的な保育所です。
閣僚も、各党の委員も見入った写真です。
かつて「ポストの数ほど保育所を」と運動が盛り上がった時代は、年間1000近く保育所が増えた年もあったのに、
1970年代平均では793ヶ所ずつ増えていたのに、2008年度は
小池さんも「私も数字間違いかと思いました」と明らかにしたのは
全国で16ヶ所です。
自治体から「保育予算を確保しにくくなった」との指摘がある、
公立保育所の施設整備費・運営費の一般財源化がなければ、もっと増やせていたのです。
小池さんは、さらに国有地の提供、土地取得への支援など、国が本気で乗り出すことが求めらられていると指摘。
ところが鳩山内閣がやろうとしているのは、
待機児解消の名の下に、自公政権下でも手をつけなかった、
しかも、貧しかった1948年以来、
60年間一度も改善されなかった最低基準を、
改善するのでなく、都市部では下回ってよくするというのです。
「子ども手当」の財源には問題があるとしながらも、
その財源5・3兆円の一部をまわしてでも待機児解消のために緊急事業をやりべきだと鳩山首相に求めたら、
福島少子化担当相が出てきて、「質はきちっと守る。(緩和は)東京などの一部について」と答弁、
小池さんは「答弁に立ってきたんであえて言いますが」と、福島氏自身が6月の国会で、「東京であっても児童にとって必要な基準については安易な緩和は問題だ」と述べていたと指摘したらしょんぼりしていたそうです。
首相も「質を守るのも大事、一方で簡単に増やせないなか、ナショナルミニマムをできるだけ守りたいと、わずかな地域に限って地域の自主性に任せて待機児童の解消に努力しようと、ある意味で地域主権の一つの実験」言っていて、撤回の意思を示しません。
「ナショナルミニマムは『できるだけ』守るものではないし、保育所も「できるだけ」つくるものではない。断固としてやらなきゃ」と小池さんは予算委員会での質問を結びました。その小池さんの
「待機児はつめこみではなく、保育所を増やして解消すべき」との会場での言葉に、
同じ保育園に子どもを預けている父親どうし、胸にぐっとくるのものがありました。
この日の質問の動画はこちらからどうぞ!
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