道路が凍ってツルツル!皆さん歩くとき、車の運転、気をつけてくださいね~。
先日、福祉新聞を見ていたら、改正が予定されている『「障害者基本法」に差別の定義を新設へ』っていう見出しが目にとまりました。
ちょっと読んでみると・・・
「新たに差別の定義を設けるとともに差別を類型的に記し、合理的配慮を行わないことも差別だと示す。合理的配慮について盛り込むのは、権利条約にならったものだ。」
と記事にありました。
差別といっても、人種差別から民族差別、障害者差別、性差別、年齢差別なんていうのもあります。
今盛んに、テレビのニュースでは、オバマアメリカ大統領の話題が流れていますが、「黒人初の大統領」ということで非常に注目されてきましたが、「黒人初の・・・」って前提には、黒人差別があるからなのかなぁ~って感じてしまいました。もし、クリントンさんが大統領になったら、「女性初の・・・」って言われたでしょうし・・・
日頃、普通に生活していては、自分の言動に無意識に「差別」的なことが含まれていないか、とか相手にそういう感情を抱かせていないかなど、考えることが必要だなぁと思いました。
自分では気を使って接しているつもりでも、
さ りげな~く
べ つ扱いしてしまって、相手に
つ らい思いをさせてしまっていることもあるかもしれませんし・・・
でも突き詰めて考えると、何をもって差別とするかは、個人的な主観にゆだねられてしまうところもありますよね。
う~ん難しいですね・・・ちょっと今日は重たいテーマを選んでしまったようです。
そんな「差別」の記事を読んで、昔買った『偏見の断層』(忍 博次)っていう本をぱらぱらと読み返してみました。昭和62年発行で、けっこう昔の本なんですが、ちょっと目にとまった箇所がありました。
(P81より一部引用)
かつて筆者が行った研究によれば、人々の障害者に対する態度は、福祉政策には好意的でも、自分が直接障害者にかかわり、責任を持たなければならないような状況になればなるほど、非好意的傾向が強くなる。障害者であるがゆえの感覚や身体機能の損傷は、視覚的異質感、情緒的嫌悪感と結びついて、接触の回避や差別の容認になってゆくようである。
法律で明記しても、みんなで身近なこととして考えないとね~これは(さっく)
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