メザスヒカリノサキニアルモノ若しくは楽園

地球は丸かった 太陽が輝いていた
「ごらん、世界は美しい」

感動の映画と美しい風景と愛おしい音の虜

MOTHER

2009年01月31日 | 思い出
この世界で一番大きな船は母親だった


僕はマザコンだと罵られても否定しない

マザコンの定義は知らんが
母を尊敬し愛している


思春期の僕はとにかく母が憎かった

中学生の頃

少々劣悪な環境に居て
友達と悪い事を沢山した

母と警察署に出向いたこともあった

友達を悪く言ったり
僕のバンド活動を否定されたりすると
僕はキレて母に暴力を振るった

典型的な反抗期、家庭内暴力である

何度も家出をして
友達の家を転々とした事もあった

強烈なアイデンティティを抱える僕を押さえつける母が
憎くてたまらなかった

高校に行きよりナーバスになった僕

思想は膨張し
空想の世界が現実の世界をも凌駕しようとしていた

部屋に篭って詩や文章や絵を描いてばかり

周りのクラスメイトが子供に見えてしょうがなく
孤独を好み、最低限の人間関係で世界を構成した

難しい子供だった

母は僕の受験のために
お守りを買ってきたりお参りにいったりしていた

その頃から両親に対する感謝の気持ちが強くなった

リアルにお金を費やしている事を実感する

お金を費やすなんてよほどの愛が無ければ出来ない

大学に入ると同時に一人暮らしを始め
親の偉大さを知る

最初は誰も話し相手の居ない街でちょっとしたホームシックになった

定期的に母から手紙が来た

大学卒業時、変わらずバンド活動していた僕は
親友とルームシェアーしフリーターになった

その際僕は生まれて初めて両親に宛て手紙を書いた
書いた内容は覚えていないが
母がそれをよんで泣いたと言っていたのを覚えている

フリーターをしていた20代半ば

母に誘われマシュー・ボーンのバレエの舞台を観に行った

渋谷で待ち合わせ食事をして舞台を観て
まるでデートの様な時間だった

僕が母と打ち解けて
こんな時間を過ごす時が来るなんて
非常に奇妙に感じたのを覚えている


そしてある年

フリーターの僕は母に誕生日プレゼントを買おうと決心する

後輩と悩んでプレゼントを選び
それを持ってアポ無しで実家に帰った

僕がアポ無しで実家に帰ることは珍しくなく
母は誕生日故に帰ってきたとは思っていなかった

なかなかプレゼントの話を切り出せず
結局渡せないまま夜中になった
父はもう寝ていた

テレビを観ていたら母が
「今日お母さんの誕生日よ覚えてる?」
「ん?うん・・・」
「誕生日だから帰ってきてくれたのかと思ったわ」
と言われ、誕生日プレゼントを渡すタイミングをつかめないでいた僕は
その瞬間、鞄からプレゼントを出しぶっきらぼうに渡した

母はとても驚いていた

まさか僕がプレゼントをくれるなんて思っていなかったのだろう

「何?バッグ?・・・・お母さん嬉しいわ・・・」
となんと泣き出したのである

仏壇に向かい
「おじいちゃん、息子が誕生日プレゼントをくれました」
と言っているのである

その姿を見たらなんだか僕も貰い泣きをしてしまい
非常に予想外の展開になってしまった

親子二人しか知らない
不思議と感動的な夜だった

ややこしかった息子が少しまともになってきて

母にとってはきっと
ある種子育てが成就したようなものだったのかもしれない


父親も同様の愛情を持っているのだろうが
母親はその愛情を見事に表現する

世の中には絶対的に大切なものがある

人間は男も女もマザコンであるべきだと
僕は思っている
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