メザスヒカリノサキニアルモノ若しくは楽園

地球は丸かった 太陽が輝いていた
「ごらん、世界は美しい」

感動の映画と美しい風景と愛おしい音の虜

被災

2011年03月11日 | 日常の出来事
大きな地震が来ました。

僕は会社にいました。

ビルの最上階の8階ですがかなり揺れて物は倒れ、落ち立っているのも不可能な状況でした。

エレベーターも止まっていたので非常階段ですぐに非難しました。

僕の呼びかけを聞かない他の社員たちは20分以上出てきませんでした。
イライラしました。

取り敢えず帰ろうと駅に向かったが電車は予想通り止まっていました。
おそらく当分動かないだろうと意を決して歩きはじめました。

スカイツリーを左手に見ながら秋葉原から千葉へ向かう。
どこかで電車が復旧したら乗ろうと思っていたが道に溢れる人と車の様子を見てこれは駄目だと諦めた。

かなりの距離ですが気力を振り絞り集団に埋もれながらひたすら歩き続けました。
ああ、自分も被災者となったのだなぁと実感。

色々考えながら歩く。
16時前に会社を出てたった一人で歩き続け、テレビなどの情報も得られなかったので何処で何が起きているかは把握していませんでした。

腰痛もあるのでひどくしんどかったですが周りも多くの人達が歩いているのでがんばれました。
途中途中の駅は封鎖されていて一体何が起きているのだろうか?と色々想像してしまいました。
いつもと変わらないような光景もあれば、いつもと違う異様な光景もある。

歩いていると我々の様な帰宅難民を助けようとトイレなどを開放している家も見かけました。
感動しました。
僕よりしんどい人々も当然多いわけで、皆が助けあわねばいけない状況なのだと実感しました。

4時間以上かけて最寄り駅まで到着。
足も痛く、本当に疲弊しきっていたので営業していたラーメン屋さんでラーメンとビールを飲みました。
そして飲み足りないのでコンビニでビールとつまみを買ってようやく帰宅。

部屋を開けると悲惨な状況。

幸い壊れたものは見つからなかったが、本やCDが多い僕の部屋はそれらが散乱しまくっていました。

疲れきっていたが簡単に片付けようやくソファーに腰掛けテレビをつける。

東北がとんでもないことになっていることを知り衝撃を受けました。
ネットやテレビを見まくり情報を吸収する。

放射能漏れの恐れもあると報道されてました。
これはひどく長引くであろうと想像されました。

その後も余震が頻繁に起きて恐怖心を煽られました。

疲れと体の痛みがひどいので思い切って風呂の準備をしました。
風呂にたまった水は泥のようなものでひどく濁っていたが仕方なく入りました。

ビールを飲んでいる場合ではないと万が一に備え防寒具と懐中電灯を準備しました。

疲れたので少し休みました。


何となく忘れていましたが地球の上で間借りしている事を思い出しました。

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