東京電力福島第一原発事故を受け、脱原発を求める声が高まった今夏、政府は新たなエネルギー戦略で「二〇三〇年代の原発ゼロ」を掲げた。原発がなくなるなら、使用済み核燃料を再利用する核燃料サイクルは不要になるが継続に。政府の意欲を疑わせる中途半端な戦略になった。なぜこんな内容になったのか背景を追い、原発ゼロへの確かな一歩を踏み出すには何が足りないのかを探った。
民主、自民、公明三党間で「近いうちに解散」が合意されて二週間後の八月二十二日午後七時、東京・溜池の高級ホテル内の中華レストランに、六人の男が極秘裏に集められた。招集したのは国家戦略担当相の古川元久(46)だった。
「六人衆」の一人、伊原智人(44)は原発や核燃料サイクルの旗振り役・経済産業省の元改革派官僚で、核燃サイクルに異を唱え、省を去った経歴の持ち主だ。元TBSキャスターの下村健一(52)は前首相菅直人(66)の懐刀で、旧ソ連チェルノブイリ原発事故以降、一貫して反原発の立場を取ってきた。
ほかの四人は富士通総研の高橋洋(43)、エコノミストの河野龍太郎(48)、東京大教授の松村敏弘(47)、政府の国家戦略室の小田正規(44)。原発や核燃サイクルに懐疑的な面々ばかりだった。
関西電力大飯原発(福井県)3、4号機の再稼働問題の際は、再稼働を進める側にいた古川。しかし、全国の意見聴取会などを通じて原発ゼロへの国民世論の高まりを感じ、一週間前には福島第一原発と周辺の惨状を目の当たりにし、原発ゼロを目指すと決めた。
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古川は食事がテーブルに運ばれる前、それぞれにA4の紙一枚を渡した。
・原発ゼロ
・四十年廃炉の徹底
・原発の新増設禁止
・核燃料サイクルの中止
・高速増殖原型炉「もんじゅ」の廃止
・原発を国の管理下に置く
紙には、原発推進派にとっては受け入れがたい方向が箇条書きされていた。どれも理想的ではあるが、電力会社や原発関連施設が立地する自治体の猛反発は想像に難くない。
驚く六人衆に古川は「これを盛り込んだ新しいエネルギー戦略の原案をみなさんで書いてほしい」と言った。
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六人衆と古川、その秘書官の八人は食事を終えると、ホテル内の会議室に移った。午後九時十五分には経済産業相の枝野幸男(48)、環境相の細野豪志(41)が合流。原発ゼロに慎重で、古川を重用してきた仙谷由人(66)も姿を現し、それぞれが抱く戦略イメージを口にした。
紙に目を通した仙谷は「これは野党の国民運動じゃない。政治をやっているんだ」。脱原発運動のように受け取ったのか、党の重鎮で、エネルギー政策を主導してきた仙谷が机を激しくたたき、一同は一瞬静まり返った。
将来の総発電量に占める原発比率は15%が現実的と考えていた細野も「これが漏れると大変なことになる。紙は回収した方が良い」と世間が波立つことを懸念した。
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六人衆は紙に書かれた通りにはならないと分かっていたが、「核燃サイクルをやめられないから原発を続けるというのは本末転倒。問題から目をそらさず書いてみよう」「いつまでに何省が何を実行するか、しっかり書き込もう」と確認した。
六人衆はそれからほぼ一日おきにホテルに足を運び、伊原のたたき台を基に、戦略原案の肉付け作業を進めていった。会合は、毎回深夜まで及んだ。
九月上旬、ようやく新戦略の原案が形になったが、さまざまな横やりで案は姿を変えていった。
(敬称略、肩書は当時)
<新たなエネルギー戦略> 政府は9月14日、原発に依存しない社会の実現に向けた中長期の目標を掲げた。「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」との方針を提示。原発の運転期間を40年に制限し、新増設を禁じる一方、安全が確認された原発は重要電源として再稼働させる方針を示した。使用済み核燃料を再生し、原発で再利用する核燃サイクル事業は維持となり、原発ゼロとの矛盾が指摘されている。
(東京新聞)