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房総沖「スロースリップ」観測は大地震の前兆か

2014-04-10 20:32:39 | 地震

房総沖「スロースリップ」観測は大地震の前兆か

南米チリで発生したマグニチュード(M)8・2の巨大地震。日本にまで津波が到達するすさまじさだったが、その日本でも見逃せない現象が起きている。房総半島沖の海底で今年1月、地下プレートの境界がゆっくりとずれ動く「スロースリップ」と呼ばれる地殻変動が観測されたのだ。専門家は、地震の発生間隔とスロースリップとの関連を分析した結果、房総半島沖で1年以内にM6・5前後の地震が起きる可能性が高いと指摘。東日本大震災の直前にスロースリップが観測されたとの報告もあり、巨大地震の前兆現象としても注目されている。

 「ゆっくり地震」とも呼ばれるスロースリップ。プレート境界や地下の断層が、通常の地震よりもはるかに遅い速度で長い時間をかけてずれ動く現象で、周辺でひずみがたまることから、地震が起こりやすくなるとされている。

 房総半島沖で確認されたのは、今年1月2日ごろから10日にかけて。南北方向に最大15センチの滑りが観測された。通常この地域の海底は北西方向に動いているが、力を蓄積させたプレート境界面がすべって、反対方向の南東に動いたとみられている。

 阪神淡路大震災(1995年)を契機に全国にGPSが設置され、存在が初めて確認されたスロースリップ現象。地震との関連を研究している東海大学海洋研究所教授で、地震予知研究センター長の長尾年恭氏はこう話す。

 「房総半島沖ではスロースリップ現象が繰り返されていて、GPS実用化前のものも含めると、(1)71年5月(2)77年6月(3)83年4月(4)90年12月(5)96年5月(6)2002年10月(7)07年8月(8)11年10月(9)14年1月と起きている」


東京オリンピックは大丈夫か?世界最大の火山が日本近海の海底で見つかる

2013-09-09 09:33:25 | 地震

200年に3回ぐらいの割合で関東大震災が起きている。 東京オリンピックを直撃するかも。

世界最大の火山が日本近海の海底で見つかる

地球最大の火山が日本近海の海底で見つかりました。太陽系全体を含めても最大級。こんな近場にこんな怪物が眠っていたなんて、びっくり。

この「タム・マシフ(Tamu Massif)」と呼ばれる巨大火山、場所は日本の東方約1600kmの太平洋の海底で、海面からは見えないのですが、高さは2.2マイル(3541m)で、エベレストの半分ぐらいあります。

タム・マシフは何がすごいって、面積と体積です。裾野は総面積11万9000平方マイル(31万平方km)―米ニューメキシコ州に迫る規模。世界最大の活火山マウナロア(総面積2000平方マイル=5179平方km)でもこの2%ぽっちなのです。

高さでは太陽系最大の火星の山「オリンポス山(Olympus Mons)」(標高2万2000m)に遠く及びませんが、体積ではオリンポス山より25%少ない程度。すごいじゃないか、タム・マシフ。ずんぐりむっくり度では太陽系一番と言っても過言ではないでしょう。

これだけのものが今まで見つからなかったのも不思議ですが、ここに何かあることは科学者の間でも知られていました。ただ、みんな複数の火山が集まってるものとばかり思っていたんですね。ところがテキサスA&M大学が調べてみたら、ひとつの火山だったというわけで、成果は地球科学専門月刊誌「Nature Geoscience」に掲載中です。

タム(Tamu)山というと響きが和風ですが、伝説のカイジュウ…ではなくただ単にテキサスA&M大学(Texas A&M University)の頭文字をとっただけ。

幸い活火山ではありません。これだけ成長したのは今から1億4500年前に起こった爆発が原因で、その数百万年後には休火山となり穏やかに寝静まっているとのことです。なんせ世界の7割は海なので、他にも海底には寝ている巨大火山がゴロゴロありそうですけど、とりあえず今んとこ海底のキングゴジラはタム山ということで。

むっくり起きませんように。


M7級の首都直下地震が茨城・神奈川で高確率

2013-05-09 10:11:23 | 地震

M7級の首都直下地震が茨城・神奈川で高確率

 マグニチュード(M)7級の首都直下地震の発生確率は地域によって差があり、茨城県や神奈川県で高いことが防災科学技術研究所の試算で分かった。首都直下地震の地域別の確率を具体的に推定したのは初めてで、精度を高めれば防災に役立つ可能性がある。19日から千葉市で開かれる日本地球惑星科学連合大会で発表する。

 首都直下地震は、政府の地震調査委員会が南関東で30年以内に70%の高い確率で発生を予想しているが、南関東のどこで起きやすいかは、分かっていなかった。

 防災科研の井元政二郎主幹研究員らは、南関東で大正15年以降に観測された約1500回のM5以上の地震と、過去約1100年間に起きた16回のM7級の震源地を分析し、どこが首都直下地震の震源地になりやすいかを示す確率分布地図を作った。

 首都直下地震のメカニズムは多様だが、関東を乗せた陸側プレート(岩板)やフィリピン海プレートの内部で発生するケースでは、茨城県南部と神奈川県西部で確率が高く、両地域の中間に位置する東京都と千葉県南部で低くなった。

 地図上の確率は約10キロ四方の狭い範囲で計算したため、高い地域でも1万年に1回程度。全体の平均値と比べて、茨城県南部は平均で約1・5倍、神奈川県西部は同約1・4倍高かった。

 地震調査委が確率計算の根拠とした明治以降の5回のM7級は、茨城県など首都圏の東部で起きた。今回の試算では、神奈川県を中心に起きた江戸時代以前の11回のM7級も対象に含めたため、首都圏の北東と南西で確率が高くなった。

 井元氏は「試算は大まかなもので、対象とする過去の地震の選び方などで不確実性が多い。より信頼性の高い地図を作って、防災に役立てたい」と話している。


震度6弱 兵庫県淡路市

2013-04-13 11:05:59 | 地震

「ゴー」と地鳴り=18年前の阪神大震災よぎる―震度6弱の淡路市など

時事通信

 「『ゴー』という地鳴りの音で起きた」「歩くのも困難だった」。13日午前、震度6弱の強い揺れに襲われた兵庫県淡路市。1995年1月の阪神大震災と同じ早朝の地震に、住民は「あの日」の記憶を呼び覚まされ、恐怖に襲われた。
 淡路市楠本の谷上久雄さん(65)は15~20秒ほどの横揺れを感じた。「あの時の突き上げるような揺れ」が頭をよぎり、恐怖でベッドから飛び降りて窓を開けたという。
 同市の女性(41)も「横揺れがすごく、かなり長く感じた」といい、「大震災を思い出した」と興奮した様子で語った。
 同市危機管理課の男性職員(40)は揺れ出す前に「ゴー」という地鳴りがしていることに気付いた。「激しい横揺れで、歩くのも困難なくらいだった」と振り返り、「恐ろしかった。嫌なことを思い出した」と不安げだった。
 震度5強を観測した同県南あわじ市の男性職員(36)によると、強い縦揺れが5~10秒ぐらい続いた。ニュースで震度を確認して出勤したところ、市役所の瓦が地面に落ちていた。
 南あわじ市は直後に災害対策本部を設置、消防や自衛隊も駆け付けて被害確認などの対応に当たった。市民から「水道管が破裂した」「壁が倒れた」などの連絡が入ったという。
 「めちゃくちゃ怖かった」。震度5弱を記録した同県洲本市のタクシー営業所で配車係をしている土井光さん(36)は泊まり勤務明けで布団をたたんでいた時、急に大きな揺れに襲われた。棚からは本が崩れ落ち、「えらいこっちゃ。また来たか」。18年前の惨事が頭に浮かび、ぼうぜんとしたという。
 震度5弱だった大阪府岬町の男性職員(54)も「揺れが長く続くようなら危ない」と感じたという。同町は午前6時に対策本部を設置。各職員が情報収集のため、町内を回るなどした。 


静岡・伊東に津波堆積物? 15世紀末にも関東地震か

2013-04-08 16:38:36 | 地震

相模湾に面した静岡県伊東市の宇佐美遺跡で見つかった15世紀末の堆積物が、同湾に延びる相模トラフで繰り返し起きるマグニチュード(M)8級の関東地震の津波によってもたらされたとの説が提唱され、注目を集めている。古文書などから、明応年間の1495年の地震が該当するとみられている。過去の関東地震は、関東大震災をもたらした「大正」(1923年)、外房に高い津波が押し寄せた「元禄」(1703年)の2回しか時期が特定されていない。元禄の一つ前が「明応」と裏付けられれば、同地震の周期の解明につながるため、今後の研究や再来に向けた対策にも一石を投じそうだ。
 
 発掘調査に当たった伊東市教育委員会の金子浩之主査によると、堆積物が見つかったのは海から約200メートル、標高約8メートルの地点。地表から数十センチ下の砂や粘土の層に約500点の中世の陶磁器片や古銭などが散らばっている一方、建物の跡はなく、大きな力で海側の集落から押し流されたような様相を呈している。堆積層の下面は水流で削られたような構造だった。
 
 これまで、伊豆半島の西側から南西へ延びる南海トラフで1498年に起きた明応東海地震の痕跡との見方が有力だったが、金子主査は「南海トラフの地震で伊豆半島東側の付け根に近い宇佐美に、これほど高い津波が押し寄せることはあり得ず、記録もない」と指摘。
 
 一方、鎌倉の大仏へ津波が到達したことを記す「鎌倉大日記」には津波の発生時期が1495年と書かれており、「明応東海の3年前に明応関東があったと考える方が自然」との結論を導いた。京都の公家の日記や熊野の年代記にも、1495年の大地震が書き留められているという。
 
 現場を確認した産業技術総合研究所(産総研)の藤原治主任研究員は「周辺には川があり、洪水や土石流の影響も否定はできない」としながら、「津波であれば関東地震の可能性が高い」と強調。裏付けも兼ねて遺跡近くで行ったボーリング調査では似たような堆積層が見つかっており、「今後詳しく調べる」としている。
 
 鎌倉大日記の記述を「誤記」とみていた建築研究所の都司嘉宣特別客員研究員も「新しい考え方で注目に値する。液状化の痕跡などほかに補強する材料が出てくれば、信ぴょう性が高まる」と受け止めている。
 
 関東地震をめぐっては、東大地震研究所を中心に三浦市西部の小網代湾で発掘した津波堆積物の一部が1293年の「永仁」の地震の痕跡と解釈されている。さらに、産総研などが房総半島南部の千葉県館山市で実施した調査では、さらに古い1100年ごろや900年ごろの津波によるとみられる堆積物が確認されたという。
 
 これらがすべて関東地震の津波痕であれば、おおむね200年間隔で繰り返されたことになる。ただ「相模湾の海底地形は複雑。関東地震の起こり方は一様ではない」(県温泉地学研究所の吉田明夫・前所長)との分析もあり、周期などの解明には今回の調査を補足する研究成果が必要とされている。