日本の空き家数は約820万戸 15年後には住宅全体の4分の1が空き家

2015-01-26 09:51:50 | 暮らし

2013年の日本の空き家数は約820万戸、空き家率は13.5%と過去最高を記録した。核家族化に加え高齢者など一人暮らしの世帯増で空き家は今後も毎年20万戸ずつ増加し、15年後には住宅全体の4分の1が空き家になるという。背景や影響、対策を取材した。

 不動産関連の市場調査やコンサルタント業を営むオラガHSCの牧野知弘社長は、各地で講演をすると終了後に聴衆から質問攻めにあう。

 「実家の親が高齢で施設に入ることになった。家をどうしたらいいか」「親が一人暮らしだが、近所に誰も住んでいない」。質問者の列はどんどん長くなり、なかなか終わらない。両親と暮らした生まれ育った家に住んでいる人は少なく、郊外の住宅地にある実家の周囲は空き家か居住者がいても高齢者が多いという。“実家問題”は子ども世代の共通課題だ。牧野家とて例外ではない。「近所のスーパーが撤退したため母はバスに乗って隣町まで日用品の買い物に行っている」という。

 2014年7月、総務省の「住宅・土地統計調査」が発表された。同省が5年に1回実施している“住宅の国勢調査”だ。これによると2013年10月時点の全国の空き家の数は約820万戸(819万6000戸)で、5年前より約63万戸増えた。日本の空き家率(全住宅に占める空き家の割合)は過去半世紀、右肩上がりで増え続けており、今回は13・5%と過去最高になった。

 空き家には、賃貸用住宅、売却用住宅、別荘などの二次的住宅、そして個人用の「その他の住宅」がある。このなかで増えているのは、住む人がいない住宅や建て替えなどのため取り壊すことになっている「その他の住宅」だ。今回調査では318万戸。空き家全体に占める割合は前回より上がって35・4%から38・8%になった。

 空き家を処分する場合は個人的財産なので自主撤去が基本だが、まずは所有者の心情的な理由がネックになる。家族と過ごした思い出があるし、親が残してくれた資産にも愛着がある。個人の感情はスパッと割り切るのが難しい。

 思い切って撤去する決心がついても金銭面のハードルが待っている。取り壊すには最低でも数十万円の費用がかかる。そのうえ空き家を撤去し更地にすると、住宅用土地に課される固定資産税の軽減措置(小規模住宅用地は更地の6分の1)が受けられなくなる。つまり更地になると住宅が建っているより税金が6倍になってしまうのだ。

 この固定資産税の軽減措置は戦後、住宅建設を促すねらいで設けられた措置だ。このルールを撤廃すればよいと思うが、固定資産税はほとんどの市町村で歳入の約5~6割を占める大きな財政基盤となっている。人口減で地方財政が逼迫するなか、安易に更地への課税を緩和することはできない。逆に空き家への課税を更地並みに強化すれば、所有者は空き家ではないと偽装する方向に向かう。だから更地に対する固定資産税は緩和も強化もできず、据え置かれてきた。

 

 空き家を更地にしてからも問題は続く。税金が6倍かかるから所有者は売りに出す。だが人が住まなくなった郊外の土地は簡単には売れない。駐車場やトランクルームにして収入を得ようとしても、周囲は高齢者だらけでニーズは低い。自家菜園に替えても野菜では税金を賄うだけの利益を稼げない。へたをすれば税金を毎年払い続けなくてはならなくなる。

 税金の負担増を避けるには、どんなに古い住宅でも残しておいた方が有利だ。だが空き家は放置され続けると劣化する。風雨や積雪で屋根や外壁が倒壊したり、樹木や雑草がはびこったり、蠅やネズミの温床になって衛生状態が悪化したり。防災や景観といった意味からも近隣に悪影響を与えてしまう。

 なんとかしなければと、昨年11月末の国会で「空き家等対策の推進に関する特別措置法」が議員立法で可決された。防災や景観などに悪影響を及ぼす恐れのある空き家の増加を防ぐため、市町村の権限で家主に除却や修繕を命令できる法律で、今春から施行される。ただこの法律は「対症療法に過ぎない」(米山秀隆・富士通総研上席主任研究員)との見方が大勢。「空き家対策で全体的な絵を描いている省庁はない」(国土交通省住宅局)のが現状だ


片目失明も障害者認定に 富山の正垣さん認定求め署名募る

2013-11-18 12:03:06 | 暮らし

片目失明も「障害者」に 富山の正垣さん認定求め署名募る

片目の視力を失った人たちが、国に障害者認定を求めるため9月に設立した全国組織「片目失明者友の会」(本部・広島市)に、県内から富山市豊田町、会社員、正垣(しょうがき)慎哉さん(41)が加わり、北陸支部長として活動を始めた。同支部の会員はまだ、福井県の男性と合わせ2人だけ。認定基準改正を訴える署名活動を進めており、正垣さんは「認定を受ける権利が得られるよう、仲間を募り活動の輪を広げたい」と話す。

 身体障害者福祉法に基づく視覚障害は、視力や視野によって1~6級に区分され、障害者に認定されれば、義眼など補装具の購入補助といった各種保障を受けられる。ただ片目に視力がなくても、もう片方に0・6を超える矯正視力があれば、最も程度の軽い6級にも認定されない

 金属加工会社で働く正垣さんは4年前、金属板に穴を開ける作業中、保護用の眼鏡を掛けていなかったため、折れたドリルで左目を傷つけ、視力を失った。右目の矯正視力は1・5あり、医者から障害者に認定されないと聞かされた。治療後は遠近感が取りづらく、まっすぐ歩くのにも苦労。今では慣れたものの「夜道は足元が見えにくく、つまずきやすい。仕事は精密さを要求されるので、より注意力が必要になった」と言う。

 片目失明者友の会は、代表の久山公明さん(63)=広島市=が発足させた。全国に7支部あり、会員は約120人。片目失明者には、運転免許の取得制限や警察官に就職できないなど社会的な制約がある一方、保障がなく「健常者と障害者の中間」(久山さん)にあるため、厚生労働省に認定基準の改正・拡充を求める署名を募っている。

 正垣さんは会の活動を知り、久山さんとフェイスブックを通して交流するうちに入会し、10月から署名活動を始めた。「自分の失明は自業自得の面があるが、同じ境遇に置かれた若い世代や子どもたちのため、認定を受けやすい環境をつくりたい」と話す。

 同会は来年5月にも、署名と請願書を国に渡す予定。正垣さんは会員を募り、街頭での署名活動にも乗り出したいという。問い合わせは正垣さん、電話090(1020)7338、メールアドレスはand.stay.gold@cosmos.ocn.ne.jp。本部は電話082(873)3963。


佐野翔梧君が青銅鏡発見 宝物「お姉ちゃんは信じてくれた」

2013-10-12 08:28:57 | 暮らし

児童が青銅鏡発見 宝物「お姉ちゃんは信じてくれた」

4年前に公園で拾った破片が、国重要文化財に指定されている古墳時代の青銅鏡の一部と分かり、8日の発表会見に同席した神戸市立西灘小(灘区)6年の佐野翔梧君(12)。「宝物」を寄付し手元からなくなる寂しさよりも「謎のかけらが歴史的発見だと言われてうれしい」と話し、少し誇らしげにほほ笑んだ。


 見つけたのは4年前、自宅近くの「西求女塚古墳」がある公園。「見たことがない感じで『すごい』と思って宝物にした」と振り返る。チャック付きのビニール袋に入れた上、「宝物箱」であるハート型のケースに入れ、壊れないよう文様を上に向けて机に保管した。

 時々出しては眺め「これは何だろう」と想像を巡らせたという。「お母さんは『何それ』と言ったけど、お姉ちゃんだけ『これは大切な物や』と信じてくれた」とはにかんだ。

 同古墳は3世紀後半の築造で、近畿でも最古級の前方後方墳。市教育委員会は1986~2001年に5回調査し、出土した青銅鏡などは古墳時代前期の葬送儀礼を知る上で重要として05年、国重要文化財に指定された。

 「歴史は好きじゃなかったけど、銅鏡を見つけて、考古学に興味を持った」と佐野君。

 今回の破片は10月16日から11月24日まで、西区の市埋蔵文化財センターで開かれる企画展「神戸の埴輪大集合」で公開される。10月27日には同古墳で8年ぶりの「西もとめ塚まつり」も開催される。市教委文化財課TEL078・322・5793

(黒田勝俊)

 小学生の宝物は国重要文化財だった‐。4年前、神戸市灘区の公園で、地元の小学男児が拾った破片が、国指定重要文化財である約2千年前の青銅鏡の一部と判明し、8日、同市教育委員会が発表した。この公園内には国指定史跡「西求女塚古墳」(灘区都通3)があり、出土した12面の青銅鏡などが国重要文化財に指定。このうち3面は割れており、男児が拾った破片は未発見の部分だった。


 市立西灘小6年の佐野翔梧君(12)。2009年1月、友達と公園で遊んでいたところ地面で緑色に光る破片を発見。裏に描かれた芝草文様が「温泉マークみたいで、昔のお金と思った」といい、宝物としてビー玉と一緒に机に保管していた。破片は長い部分が5・1センチ、厚さが0・1センチ。

 今年5月、歴史学習の資料に掲載されていた青銅鏡の写真と似ていたことから学校に持参し、校長が市教委文化財課に連絡。蛍光エックス線分析などにより、1986年に同古墳から破片1片が出土した「1号鏡」と同一個体だと分かった。

 「宝物」を市に寄付した佐野君は「みんなに見てもらえてうれしい」と笑顔。市からは感謝状が贈られ、市教委文化財課も「ビニール袋などで密封し、良い状態で大切に保管してくれていた」と話している。

(黒田勝俊)

 


40%のマンションで表札なし

2012-12-18 06:30:19 | 暮らし

犯罪に巻き込まれることなどを恐れて、玄関に表札を出していない部屋が全体の半数程度か、それ以上あるというマンションが40%近くに上っているという調査結果がまとまりました。

この調査は、マンションの管理組合などでつくる研究会が、今年7月から10月にかけて行い、全国のおよそ600のマンションについて調べました。
それによりますと、玄関に表札を出していない部屋が「半数程度」というマンションが13%、「3分の2程度」が9%、「ほとんど出していない」が15%で、「表札を出していない部屋が半数程度かそれ以上ある」というマンションは全体の40%近くになりました。
表札を出していない理由を聞いたところ、「犯罪などに利用されるのが不安」が35%と最も多く、次いで「周りの人が出していない」が19%、「面倒で何となく」が18%などとなっています。
同じように、郵便受けについても名前を表示していない部屋が半数程度か、それ以上あるというマンションが30%以上あり、理由のトップは「犯罪への不安」でした。
一方、表札を出していないことで「荷物や郵便の誤配が多い」、「誰が住んでいるのか分からず不安」、「届け物やあいさつに行きづらい」といった課題があることも分かりました。
調査にあたったマンション管理士の廣田信子さんは「不安な気持ちも分かり、表札を出すことを強制できないので難しい問題だと思います。ただ、マンションの住民どうしが交流する機会を作っていけば、表札も出しやすくなるし、表札を出すことでコミュニティも築きやすくなると思います」と話していました。


江戸時代の家賃

2012-10-05 09:55:14 | 暮らし

落語「大工調べ」とは…

落語で与太郎とくれば、頭の弱い男の代表格。その与太郎のところへ大工の棟梁・政五郎がやってくる。大きな仕事が入ったので、仕事場に来いと声をかけに来たのだが、与太郎の顔色はさえない。長屋の店賃(たなちん=家賃)の抵当(かた)に道具箱を持っていかれたというのだ。滞った店賃は一両二分八百文。

 

気っ風がいい政五郎は、持ち合わせた一両二分を与太郎に渡し、大家のところへ道具箱を取りにいかせる。大家が八百文足りないと言うと、間抜けな与太郎は政五郎との内緒話そのままに「一両二分あれば御の字(上等の意)だ」「あた棒(当たり前だ、べら棒めの略)だ」と言ってしまうからたまらない。怒った大家は、残りを持って来いと与太郎を追い返してしまう。

 

仕方なく政五郎が与太郎に同行して、事情を説明するのだが、些細な一言にへそを曲げた大家が難癖をつけたことで、今度は政五郎が堪忍袋の緒を切らして江戸前の啖呵(タンカ)を切り、南町奉行所に訴えることになってしまった。さて、一同がお白洲にそろうと、奉行の裁きが始まる。与太郎をきつく叱って残りをすぐに返すように言ったことで与太郎側の敗訴かと思うと、次には大家が質屋の株を持っていないのに質をとったことがけしからんと、道具箱を取り上げていた20日間に相当する手間賃を支払うよう申しつけ一件落着、という噺。

 

大家と棟梁、与太郎の関係は?

この落語の中で、「神田三河町家主(いえぬし=大家)源六、並びに店子(たなこ=借家人)大工職与太郎、差添人(さしぞえにん=付添いのことで本人を補佐し、弁護にもあたる人)神田竪大工町金兵衛地借り(じがり)大工職政五郎、付添いの者一同揃ったか」とお白洲で奉行に聞かれている。大家源六は家主、つまり地主に雇われた大家(※)であり、棟梁の政五郎は、金兵衛という地主から土地を借りて、自分の家を所有していることが分かる。

 

※詳しくは、前回の「落語「小言幸兵衛」の長屋の大家は、実はオーナーではない?」参照

 

江戸の町民は3つの階層に分かれていたようだ。土地を所有して、家を建てて居住するのが「地主」で、表通りに土地を借りて、自分の家や店を持つのが「地借り家持(いえもち)」で、町政に参加できるのはここまで。店子といわれる借家人は、町入用という町の運営経費を払っていなかったので、一人前として扱われずに家主の名を肩書に付けて呼ばれたそうだ。

 

与太郎の長屋の家賃はいくら?

江戸時代の通貨は、金貨・銀貨・銭貨の3貨が流通し、それぞれ交換比率が変動していたので、とても複雑だったという。金貨1枚が1両で、「1両=4分」、「1分=4朱(しゅ)」の 4進法を使っていた。、1朱は銭貨で250文(ただし、年代によって変動)なので、1両は4000文となる計算だ。江戸時代といっても250年間で価値も変わっているうえ、経済の仕組みも異なるので、1両が今の金額にしていくらに該当するのかは、大変難しいようだ。日本銀行金融研究所貨幣博物館のHPを見ると、米価から計算した金1両のおおよその額が、「江戸時代の初期で10万円、中~後期で3~5万円、幕末ころには3~4千円になる」とある。

 

さて、この落語で与太郎は、家賃を一両二分八百文滞納したことになっている。これが4カ月分というから、家賃は月1分2朱200文と計算できる。与太郎の住む長屋は、母親と二人暮らしといえども、裏長屋の狭い貸家だと想像できるが、裏長屋の店賃の相場は、時代や場所、広さによっても大きく異なるため、定かではない。

 

写真のような裏長屋の1室なら「深川江戸資料館展示解説書」によると、だいたい月300~500文だという。また、「落語ハンドブック」によると、『江戸東京生業物価事典』の引用で、幕末のころ、浅草馬道の裏で四畳半二間(ふたま)の店賃が1分2朱、下谷源空寺門前の九尺二間(くしゃくにけん=写真のような裏長屋)の店賃が500~600文という例があるという。

 

江戸時代は火事が多かったので、壁も薄い安普請の長屋が多かった割には、すぐに元を取るために家賃も安くはなかったそうだが、与太郎の店賃は裏長屋としたら、かなり高いようだ。因業な大家が、店賃をふっかけたのかもしれない。ただし、与太郎は、道具箱を取り上げられた20日分の手間賃5両を大家からもらうことになっている。つまり日当は、1分(1000文)なので、1~2日働けば家賃が払えることになる。

 

では、今の家賃を調べてみよう。大工の与太郎が住んでいたのが、大工が多く住む神田竪大工町だとすると現在の千代田区内神田にあたる。「SUUMO」に掲載されている賃貸物件で調べると、神田駅徒歩5分以内のマンション20㎡台で家賃が月8万円台というのが多いようだ。江戸時代中~後期で1両が5万円相当と仮定した場合、与太郎の店賃は月2万円程度。果たして高いのか安いのか?

 

※注:落語家によって滞納家賃は一両二分など、金額が違う場合もある

 

●参考資料
「落語ハンドブック改訂版」三省堂
「江戸の用語辞典」江戸人文研究会編著/廣済堂出版
「古典落語100席」立川志の輔選・監修/PHP研究所

 

●江東区深川江戸資料館
HP:http://www.kcf.or.jp/fukagawa/index.html

 

(住宅ジャーナリスト 山本 久美子)