姫路の画廊で
穏やかな夕方を過ごしていましたら
突然社長スマホから聞いたことのないアラーム
私のスマホは今いる地域でのアラームしか鳴らないけど
社長のスマホは広域で反応するソフトが入ってます
「地震」
「どこですか」
「近いぞ。宮崎だ」
大分市等は大変宮崎に近いけど
宮崎と言ってもどの辺りなのか。
情報を入れて震源地確認し
留守してますから地元の人に国東の情報を聞く
「震度4くらい。心配ない。日向灘は津波警報出てるけど、周防灘は出てないから大丈夫」
工房やあとりえはまずは安心のようだ
あとりえにいる時は海が近いこともあり
南海トラフ地震のときにはやはり影響あるし
標高が海沿いは低いです。
京都の自宅は標高100メートル程度ありまして
山のそばゆえに津波の心配はありません
京都で一番恐ろしいのは火事。
狭い戦前からのろーじ(路地)
家が密集しているし
田舎のように隣がかなり離れて庭があるなんてことはほぼありません。大抵隣と密着しています
古い町家等の木造家屋は木組みしっかりして揺れに耐えたとしても
火には大変弱いです。
国見の風のあとりえは標高わずか2〜3メートルもあるなしだ。
こちらは津波の情報は必須。
友人の住んでる姫島がこういうとき一番心配でしたが
大丈夫と。
やれやれ。
いつも家では
車の中に簡易トイレや保温シート、水、保存食物、その他防災品最低限を積み込んであります。
寝るときは横に貴重品のはいったリュックを置いてる。
長時間使用できるLEDカンテラとスリッパも横に置いてる。
バッグポケットにはそれらに使える乾電池も少々。
阪神大震災の揺れを経験した依頼
寝る時にそばにそれらを置くのは必須。
京都の家ではヘルメットも横にかけてあった。
今は折りたたみヘルメットというものもあるので
携帯に便利で嵩も低いです。
性能もいい。
私のあとりえは田舎ゆえにボーリングで深い地下水を電動ポンプで汲み上げているので
停電時の水の確保が必須で
井戸の部屋にはいつも飲料水のストックをおいてますし
5リットルの大きな保存飲料水ペットボトルを非常時に台に乗せて蛇口取り付ければ非常用水にできるようにはしています。
まあ準備したところで家が崩れたら使いようがなく
まずは命第一。
車のガソリンはまめに満タンにして
いざというとき避難生活できるようにしています。
今の車は後ろがフラットになるタイプで
これは買った時に条件として挙げてました。
非常時に寝られるようにです。
地域の高台や標高高いところは色々調べてありまして
避難場所のあるところは案外標高低いため
津波の時は役に立たなくなる可能性がありますから
そこは自分で判断材料を集めて備えます。
国東半島は中心部はほとんど山で標高が高いです
海辺に市街地や住宅が集中して国道も海辺。能登半島とにてます。
山には国道ありますが日出辺りから山越えを何度か通って見ましたが離合しにくい細い山道が多いです。
場所によっては道幅広くなるところもある。
自治体の境目が複雑で
ここからは豊後高田市、ここからは宇佐市、ここからは国東市等
大変入り組んでいます
国東市に住民票あるならば支援受けられるのはその地域内にいる時なので
とりあえずは情報取れるように
今はあと何種類か必要な物を考えています。
京都の自宅には地震保険や自然災害時の保険かけていても
巨大地震や広範囲の時は約束通り保障されるかどうかはわかりませんね。
だからこそ最低限命を守って
最低限のものは準備しておかなければと考えました。
阪神大震災のとき
子どもたちをお腹の下に置いて揺れから守ろうと必死になりました
恐ろしかった。
断層が走る地域の建物には亀裂が入ったりしてるのを見ました。
断層のないところは家具も倒れませんでした。
京都も花折断層、あと、大阪から長岡京等に走る断層などたくさん断層が走っています
どこにいても絶対安全なところなどほとんどありませんね。
家族離れていたら連絡どう取るかとか
年老いた母の事とか。
これから課題も多いです。
冷静に何があっても
やっていくほかはありませんね。
仕方ないです。
国東市のハザードマップは毎年更新され各個に配布されます。
結構大判で詳しく見やすいです。
避難場所がどのあたりかもすぐにわかりますし
おまけに防災無線で指示があります。
土地に詳しくない自分にも
一応車で探検はしてますから
どこが標高高くて津波から逃れられるかはよくわかりますね。
夜は真っ暗なので
昼間とは違いますので
地理を頭に叩きつけておかなくては対処しにくいです。
海や津波を怖がる人には
国東半島は怖いと思われるかもしれませんが
どこにいても同じ。
山には山津波もあるし
針葉樹の山ならば根が浅いため地崩れ起こしたりもします。
どこにいても安全とは言えませんね。
国東は神仏の里
美しい自然は恐ろしい時もあります
京の都も結界を張り四神に守ってもらう都として作られましたけど
何度も戦や大きな地震で焼けたりしました。
謙虚に生きて行きたいですね。
助け合って励まし合って。
地域のコミュニティを面倒だと切り捨てる人も多いですが
田舎ではそれはほぼありません。
クロネコヤマトの運転手さんですら
私の留守の日とか色々把握してくださったり
近所の目もコミュニティに入っていたら情報くださったりします。
心強いです。
(都会のようにプライベートというものはあんまりないかも。)
不審者いたらだからすぐにわかるんです。
車走ってたら
「あれはどこそこの某さんの車。あれはそこの娘さんの車」
車見ただけでわかったり。
私が出張から帰ってきても
おかえりとすぐに連絡来ます。
親戚より地域が密ですね。(笑)
結構面白いです。
昔の京都もそうでしたから。
私の子どもの時はみんなどこもそうでしたし
祖父母のいた西陣等はそういうコミュニティでしたね。
懐かしくていい感じです。
日本は災害が多いので
海外のような個人主義は大変かもしれませんね。
困った時にはお互い様
と、国見の皆さん言われます。
あたたかくてありがたい。
だからこそ自分もできる範囲で地域のことは協力したいですね。