夢音(ゆのん)~風のおるごーる~ atelier JUNON

~想いをかたちにするために~
天然木を使った、オルゴール作家

同窓会

2024-08-08 07:02:31 | つれづれ
自分の病気や母の病などで

楽しめなかった高校時代

卒業後1年棒にふり

進学も諦めた私ですが

それをやり直そうと誘ってくれた当時の同級生達は

学年全体の幹事をしてくれたり

いつもいつもとても気にかけてくれてる。

これから付き合い始めたらいいんだよ!高校時代にできなかった交流もできるよ!


いつも誘ってくれる。嬉しい。

今回の同窓会は京都駅のホテルグランヴィアで。

しかし残念ながら一次会も二次会も姫路山陽にいるので参加出来ない残念なことに。

残念ながら欠席すると伝えたら

「またあるよ。頑張れ。活躍してくれてて嬉しいよ」

と、あたたかいラインが来る。

当時の同級生達の色んな活躍を聞くと

ああ、みんな頑張ってるんだなあ。と、感慨深くなり

訃報を聞くと

文化祭の仮装行列の準備の時、その人が一生懸命一緒に装備作ってくれたのを当時の顔や姿のまんま思い出す。

一時期同級生の顔や名前すら消失するような病に苛まれた私は

覚えてる友は本当に少なくて

アルバム見てもわからない人も多い。

それでも上七軒での同窓会の時は

ほとんど記憶のない私の事を受け入れて楽しくやり直そうと言ってくれた彼ら

その後日を改めて同級生のジビエ料理のお店に連れてくれて

楽しい時間作ってくれた。

本当に楽しかったです。

進学校ゆえに単位選択制でホームルームに戻るのは1日の最後で

みんな必須科目以外はバラバラでした。

私はある時期から鳩の声しか覚えていなかったのですが

いまだに鳩の声は苦手ですが(笑)

自分がどのクラスで卒業したのかわからないというような現実を

同級生達のあたたかさが破壊してくれて

受け入れてくれて

本当に楽しむのはこれからだよ、ゆのん。

と、

言ってくれるみんなの想いに涙が出ました。

本当に嬉しかった。

次は参加できるかなあ?

きっとできるねえ。

若い頃辛くても

大人になり後に

こんな楽しみが待ってるなんて

思わなかったです。

年を取る度に楽しみが増えていくこの人生。

何だかありがたくて涙がでてきます。

励みましょう。



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廃線の旅かあ

2024-08-08 04:24:14 | つれづれ
早くに寝入ってしまい、夜中に目が覚めて。

ふとBSつけたら大分温泉、絶景、廃線を巡る日豊本線&耶馬渓線の旅

というのをしていた。

乗り慣れた日豊本線の宇佐駅が。

あらら。いつもの駅だ。

宇佐神宮





豊後高田。




そうです。廃線になった宇佐参宮線。

宇佐神宮と豊後高田を結んでいた鉄道で

わたしは初めて宇佐神宮に来た時にこの廃線を走っていた列車の事を知りました。

そこからまた、日豊本線を中津に。

中津もお馴染みの駅です。

耶馬渓線は知りませんでした。

中津から耶馬渓の方までこのルートで一度ドライブというのも楽しいかもしれない。

山国川を渡るオランダ橋や、耶馬渓の見事な秋の景色が広がっていた。

映像ではどこまで車で行けてどこから散策なのか距離感はわからない。

ローカル線が次々と廃線になりますがその走りだったのだなあと思います。

国東半島をぐるりとまわる国道213号線は

海を臨む美しい景色の広がる国道ですが

時々

ああ、ここを並走するローカル線あれば楽しいだろうな。

宇佐から分岐して国東半島巡り大分駅まで、日豊本線の支線があればどれほど素晴らしいだろうなあ。と、思ったことがあります。

もちろんそんな予算はないし

ビル・ゲイツさんみたいな富豪が国東半島に現れたら。なんて。

いやいや、作ってもそれを維持し継続経営することはとてつもなく大変なこと。

理想だけで経営などできませんね。

しかし耶馬渓まで向かう道をドライブしてみたりすることは楽しいかもしれません。

不思議なことですが

京都市内で、長年生まれ育った私が

2年前に国東半島にあとりえを移し

まだまだ知らないところばかりなのですけど

少しずつ馴染んで来ていることは不思議なことです。

昭和40年代に廃線となった列車の古い映像は

それはもう心を揺さぶられる景色でした。

そこには速さとか便利さを優先した世界とは少しばかり違う

まるで物語のような世界があるからです。


個人的に私はリニアには乗りたくない。

新幹線が、限界だ。

もちろんビジネスの世界ではあのような速さは必要なのかもしれないけど

私はやっぱりゆっくりが本当はいいですね。



朝夜明けと共に

鳥たちの賑やかな歌で目覚め

夜はストンと闇に満ち

秋深くなり冬にかけては強風が吹きすさび

風の音がひょうひょうと鳴る。

夏場は窓や玄関戸にバシバシ虫たちが当たり賑やか。

朝に見たら大きなカミキリムシとか時々カブトムシやクワガタとか

おそらく椎茸の原木があるクヌギの林が谷の奥にありますから

そういう虫たちも飛んでくる。

そんな都会ではもう聞けなくなった色んな音が

静けさの中現れる。

夏のセミもそうだ。

最初アブラゼミが現れ、ツクツクボウシが鳴き、うるさいクマゼミがシャアシャア鳴く

ツクツクボウシの声が大きくなりクマゼミ達の声が少なくなると

いよいよミンミンゼミが鳴き出す。

お盆だ。

夕暮れにはヒグラシの鳴く声。

意外にもヒグラシは京都のうちのほうがよく鳴いた。

左大文字から御室に抜ける山には

夕暮れになるとお寺の鐘がなり、ヒグラシのさみしげな声が響く。

ヒグラシの音は京都のうちのあたりの方が多い

京都市内と言っても金閣寺の界隈は昔は田舎で

狸も走るしイタチや大きなアオダイショウ、ホタル、ヤマヒル、カエルたち。

怖いマムシもスズメバチもたくさんたくさん。

時々熊。

それらはリゾートができ

ゴルフ場ができ

農薬流れ川のあたりのホタル達は消えサワガニ達や水の生き物達は姿を失くした。

子供の頃の遊び場だったところは今では外資系のリゾートホテルになり

住宅建築のために山は2つほど消えた。

クヌギの林は観光バスのガレージとなり

カブトムシ達はいなくなった。

私はもしかしたら

子供の頃馴染んだそんな景色を

国東のあとりえの周りに思い出しているのかもしれないです

京都も昔は星がきれいだった。

今や都会の光が溢れ月も星も輝きを失くしていった。

国見にはコンビニもないし不便かもしれないけれど

降るような星たちが見えるし

月も月明かりを感じる事ができる。

朝日も夕日も美しい。

失くなっていく物語のような景色を。姿を。

焼き付けて焼き付けて。

物語を紡ごう。



人の心を癒すものは

スピードではなく

物語のような時間や世界。

緩やかに時が流れる空間は時間軸が伸びる。

時間というものは絶対ではなく相対的なものではないかと時折想います。

リニアのような時が歪むような高速に身を置くと

時間が短くなる気がするのはなぜだろう。
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