夢音(ゆのん)~風のおるごーる~ atelier JUNON

~想いをかたちにするために~
天然木を使った、オルゴール作家

京都は

2022-09-10 15:52:40 | つれづれ
京都は少し

まとわりつく暑さが残っている。

今日も少し息苦しいです。

外に出ると少し風が。

日差しはまだきついです。



空気がまとわりつくのは

辛い

早く秋になって欲しいですね。
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2022-09-10 08:05:26 | つれづれ
朝方夢を見て

鳩時計なおったのを

壁に掛けてた。

そしたら外からどんどん人が入って来られて

どうしようと思ってたら

明石の君がやってきて

いろんなデザインの傘を魔法のように鞄の中から取り出した。

明石の君はそれを表に並べて

カラフルな色んな色の傘をたくさんたくさん並べると

たくさん入ってこられた人たちはみんなその傘に吸い寄せられるように集まられて

一人ひとりその傘を持ちました。

風が吹くと

傘と一緒に人々はみんな舞い上がり

楽しそうに笑いました。

笑い声が響く中

みんな虹のかかる空高く飛んで行ってしまわれて

ボケーッとしてたら

明石の君が笑いながら

「落ち着いた?」

と、言いました。

明石の君は魔法使いだったんだ〜。

と、感心して

不思議な大きな革のカバン見て

「みッちゃん、その鞄は他には何が出せるの?」

と、聞きました。

明石の君は

「みたいもの、聞きたいもの、知りたいもの」

と、笑いました。

誰かが後ろから近づいて

私の左手を掴んで引っ張りました。

私はびっくりして固まりましたが

誰だろうと後ろを見ようとしてもわからなくて

あたたかい大きな手が

引っ張る先に行くと

大きな大きな帆船が目の前にありました。

私は

これはどこに行く船なのかなあ?

と、言いました。

明石の君が

「じゅんちゃん、乗っちゃいけないよ。乗っちゃいけない。」

と言ったら

大きな手はスーッと私の手を離して

船は動き出しました。

明石の君は飛んできて

「まだ鞄は空っぽじゃないでしょう?」

と笑いました。

なぜだか涙がたくさん出てきて

うなずきました。

明石の君は、鞄の中から

大きなボードを出しました。

「かんばん。」

そう言って笑いました。

そうか。看板だ。

看板のイメージを

明石の君は次々と鞄の中から出しました。

「みっちゃん、看板にする木がないのよ」

と、土台の広幅がないというと

明石の君は

「こんなのでしょ?」

と、笑いながら出しました。

「心配しなくても、想えばやってくるのよ。想ったらいいのよ。」

と、言いました。

私はあることをがんばって進めてるけど

なかなかうまくいかなくても

それもちゃんと進めなきゃと想いました。

夜中3時からしばらく眠れなかったのですけど

その後うつらうつら眠り

夢の中で励ましてもらったり

不思議な映像たくさん見た私は

今朝は珍しく7時まで朝寝坊して。(笑)

よ~し

今日も明るくがんばりましょう。

そう想いました。

広島で

何だか懐かしいアンリ人形を見せてもらった私は

子供の頃夢中で見てた頃を思い出しました。

私もあんな木の優しいフォルム作りたいなと想いました。

アンリ人形たちは昔高島屋さんで並んでたか

どこで見たのか。

子供の頃見てたの覚えてます。

多分祖母が大好きだったからですね。

私は祖母とでかけてはおるごーるや陶人形などを見てました。

風のあとりえでは

子供の頃に夢見たそんな世界みたいにしたいです。

この前アンリ人形持ってきて見せてくださった方は電話してこられて

「いいこと、明るく、楽しく。あなたの心のまんまに作ってご覧なさい。とてもとても楽しみにしている方はたくさんおられるのよ。怖がらず。心配しすぎず。」

なんにも言葉で言わなくても人は心で何かを感じられる。

広島では

先生も来てくださった。

私はたくさんの皆さんに支えて頂いてるのだなあと

本当に感謝でいっぱいになりました。

岡山からも連絡頂いて。

どれほど楽しみにしてるか、と。




雨雲を破り

覗いた青い空に虹がかかり

そこにいろんな傘を持った人々が空に向かって飛んでゆく

それはまさに

人々が日々のいろんな物を抱えながら

私のおるごーる聴かれて

少しでも少しでも

心軽く空に舞い上がれるような気持ちになれるような作品

そんな作品目指しなさいということかなあと

目覚めて想ったのでありました。

ああ。

本当に想いは無限の世界。

現実は色々とあるけれど

その中で得たものもたくさんたくさん。

それならばそこに愛を。

愛を。

一つ一つに愛を込めて

大切に作りたい。



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いろんなこと

2022-09-10 05:13:06 | つれづれ
新工房できても

母のこともあり

別に京都を見捨てるわけでもなく

行き来はしますが

昨日も妹と久しぶりに電話で話していて、母が嬉しそうなのを見ると

さみしいのかなと考えてしまう。

一緒にいるか?と聞いても嫌だといい

京都の工房では作るべき作品が作れないという現実。

お借りしているから

母に何かあればすぐにお返しせねばならず

新工房を作るのを余儀なくされたわけです。

出来上がったら母を一度連れていき

見てもらい

一緒に温泉入ろうよと誘う。

船は嫌だというので陸路かな。

4回目接種終わってもコロナ怖いから車がいいのか悩むところですが長時間は疲れます。

本人新幹線乗るの楽しみのようなので一度新幹線で行こうとなりました。

コロナになってからどこにも連れてあげられなかったし

デイサービスを楽しみにしている母は

お友達もできて嬉しそうなので

もう一日増やす?と、ケアマネさんから言われています。

私にもっと甲斐性があれば

もっと身近で広い空間で母と何らかの方法で共に移動できるのにねと話すけど

最近はうちの周りも全て中国資本に買い占められ

土地価格も高騰し

ここは日本なのに

やがて彼の国の看板立ち並ぶんじゃないかと心配するくらい

京都が買い占められているらしい。

何だかちょっと怖い。

京都で家をと思う若い人たちは滋賀の草津や大阪の高槻などによく住まれてます。

このあたりの家はもう若い人たちにも手が出ない。

空き家が増え

それを彼の国の方々が次々と買われるんですよと言われてた。

京都の身売りと言われてますがどうなるんでしょうね。

かくして広いスペースは京都近郊では難しくなりました。

木工機械を並べるにはある程度の広さが要りますし

音も出ます。

今では後から建ったマンションからうるさいと苦情が来ます。

一番いい選択をその度していくしかありませんね。

できないことをぼやくより

できることを一生懸命しようねと母と話す。

出張しても毎日の電話は欠かさないけど

年老いた母のことはやはり気にかかり

人さまのブログを読み涙出たりする。

母を一番に考えれば創作はやめねばならない。

無理になる。

わがままなのかと随分随分悩んだ。

でも

若い頃から諦めるばかりでしたので

もう自分の人生も待ったなし。

色んな人から背中を押してもらい

前に進みなさいと言ってもらい

進めてきました。

来月工房開き。


今月車契約したら

一度母を連れて行こう。


どんなところか

また

涛音寮にも連れて行こう。

涼しく過ごしやすくなるから

移動しやすい。

母がゆっくり眠れる場所もある。

気に入れば長く滞在して

画廊に行くときに京都にもどればいい。

ケアマネさんから

いい別荘できたね。しょっちゅう行ってきてリフレッシュすればいいのよ

と、言われる。

無理さえしなければいいけど

コロナだけがうらめしいです。

今はどこも感染される方がおられます。

田舎でも同じ。

近くに医院もありますし

滞在しても一応対応はできますが

何かあれば京都生まれの京都育ち

京都から離れたくない母の気持ちを考えれば

無理は言えない。

もちろん身内がたくさんそばにいるから

放置は考えられませんが

母の周りには割と人がしょっちゅう出入りするし。

母の兄妹弟たちもみんな元気なので

そばに割と住んでられるので京都を離れたくない気持ちもわかる。

ケアマネさんは

いざとなれば考えればいいし

成り行きでいいんじゃないですか?と、

私の不安を和らげてくださるけど

もっと気楽に楽しんで、と、言われるけど

そうなのかなぁと。

母は今のところ肌艶もよく元気で食欲も旺盛だし声も大きい。

物忘れは年相応にありますが

京都ではお医者様が何軒か先で近く、その間に何と薬局もできて

手の届くところに主治医おられてしかも往診もするからねと言ってくださる。

対応が早い若い先生なのでありがたいです。

もしも弱ってきて、介護必要となれば、近い施設に入って面会しょっちゅうできるなら

彼の地で入所して、私がしょっちゅう面会したら問題ないし、お出かけも一緒にできるならそれもいい。

しかしこのコロナ

面会すらお断りとなるのが本当に厄介で

入院などしたら本当に面会もできず

認知症になりかねない。

このことだけが気がかりで、早くお薬できないかなぁと切望しています。

介護は口では簡単に言えますがそんな容易いものではないことは

父、義父、義母の介護を長年しながら生活してましたので

肌身に滲みています。

経験者にしかわからないいろんなことがありますね。

夜にゆっくり眠るなど

自分の健康管理等

言ってもいられない毎日でした。

よく創作を細々でも続けられたなあと今更ながら想いますが、若さですね。

自分が年老いて介護となればかなりきつくなるのでしょうね。

それでも3人の介護でいろんなノウハウは蓄積されました。

それこそ父の病気介護

義父の徘徊や怪我の対応。

義母の壮絶な徘徊や警察通い、探し回ったり、鍵をかけても破壊して窓から飛び降り徘徊しようとしたり。義母の時が一番大変で、下の世話の大変さも長く味わいました。

それでも今ではグループホームを経て老健病院にいますが面会はできません。

ほぼ寝たきりの90歳。

母は料理も何でもしますから今はいいですが

それでも衰えは感じます。

自分の心と対話しながら

向き合います。



しかし

私が新工房作らねば 

成り立たない面もあるのが現状です。(笑)

だからこそ

明るく前向きに進むしかないんですよね。

とどまれば先はなく

進むことで周りの母などにも

ちゃんとしてあげられる。

このジレンマを乗り越えて行って

その都度その都度対応して行きたいです。





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