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気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

高野山へ行こう

2015-09-29 | 旅行記

9月中旬木曜日、夜明け前に東京を出発しました。

首都高、東名高速そして第二東名(新東名)と順調に走り、浜松いなさ JCTに・・・ここから先の開通がトラブルにより遅れています。

・・・浜松いなさ JCTから名古屋圏の豊田東JCTの間、約55㎞が2014年度末で開通予定だったが、土砂崩れ、地盤沈下などで開通が1年遅れと報じられていました。

・・・旧東名高速の愛知県内は速度規制が多く、早く第二東名が名古屋圏に接続するのを待ち望んでいるが開通日は?。

三ケ日JCTから旧東名へ・・・やがて伊勢湾岸道路へと分岐して・・名古屋港をまたぎ・愛知県から三重県へ。

通勤の人々で込み合ってきた四日市を抜け、東名阪自動車道の亀山ICで名阪国道に分岐して一般道に下りる。

時間は8時を過ぎた、ここから先は時々走るので今では違和感がないが、この国道(自動車)の規格は高速道路・・・、三重県伊賀上野を通り奈良県天理市まで事故渋滞も無く順調に走ることができた。

当初は針インターで一般道に降り、吉野方面に進もうと計画していたが、最近この先の天理から高速道路が和歌山市に向けて部分開通している情報を入手しました。

そこでこのまま針インターを通過する、次の福住ICを過ぎると急カーブの連続が続き、あっと言う間に山麓を下り天理市街が見えてきます。

奈良市内へはこの出口で降り、先の信号を右側(北)に進みます。高野山は和歌山県ですからこのまま直進(西)します。

この先には料金所があり、わずかな区間しか走らないが便利なので有料道路に入ります。

料金所から1.5㎞で京奈和自動車道と接続するので、JCTを大きく1周して和歌山方面に乗ります。ここから無料区間の表示(部分開通なので無料)がされています。

交通量は少なく走りやすい。和歌山まで87㎞、全線開通すれば40~50分と便利になるようです。

10分も走った頃、部分開通区間終了のようです。橿原北出口で一般道に下ります。

朝の9時30頃、一般道は自然渋滞でした。ノロノロ運転で15分くらい進み案内を見つけ、再度高速道路へ上がりましょう。

大和高田市通過中・・・交通量が多くなってきました。

4~5分走り、この区間はここまでと、御所南でまた一般道へ下ります。

高架下でこの先T字路、どちらに行こうか?・・・カーナビは、道路表示のない所を走ってきたので、新設道路として記録する作業で忙しい?

右折し、しばらく進むと、交差点に国道25号が直交しています・・・左が和歌山方面、信号を左折します。

緩やかなカーブが続く国道25号を走っていると、緑の大きな案内板、高速道路の標示がまた現れました。

居伝町の信号を右折し川を渡ると、ここから京奈和自動車道が和歌山市付近まで既に開通しています。

この先、全線開通ではなくて、終点の和歌山市内は今開催中の和歌山国体に向けて最近部分開通したところもあるようですが・・・

こちらは空いている自動車道を約20㎞、15分位走ったところで目的のインターが近づいてきました。

九度山IC、・・・空海が月に9度も会いに来たので九度山と名付けられたそうで、ここが高野山の旅の始まりにふさわしい所となります。

インターチェンジの出口に、左に世界遺産の案内があります。・・・動画から静止画の切り出しは画像が荒くて、申し訳ございません。

大野の交差点を直進し間もなく右折、紀ノ川を渡り左折、3分くらい走りると交差点に右 世界遺産***、

交差点は「慈尊院」と表示があります。ここで右折して100m先・・・山門が・・・見上げるような楼門でもなく、やさしい山門です。

石垣に土塀・・・箱庭的な、壊れやすそうな、土埃が立ちそうな・・・威圧感が無く、少し周りを見てみよう

思いに集中すると、多分・・・建立当時、こちらの想像以上に文明が発展し、雨が降れば辺り一面泥だらけ・・・そんな状況は克服できて、これらの土塀まで進化したのかなぁー

グループ客が通り、当たりを見渡す。

正面から右側に回って土塀を観察したくなった。

そして再び正面へ、山門右に「女人高野 別格本山 慈尊院」、左は「世界遺産 慈尊院 高野山町石道・祈りの道出発点」と寺名札が掛けられています。

では階段を登り、山門から境内に

右手に「弘法大師堂」(大師堂・護摩堂)が

本尊は弘法大師です。正面右手には朱色の「多宝塔」が建てられています。

この多宝塔は空海によって建立と伝えられているが、江戸時代初期(1624~1643年頃)に再建されたようです。本尊は「大日如来」

正面左側に、「拝堂」がある。どこが正面なのか分かり難いがそれは後程として、

さて拝堂の手前に通路を隔てて、このお寺の有名なエピソードが目に飛び込んでくる。

これらの地蔵さんの隣に「本堂」が建つ、

そして本尊が「弥勒菩薩」・・・

・・・「高野山にはの、女は入れえへんがのう、この慈尊院までは上れるんやしてよし。そやよってに、ここは女人高野と云うんやして。

・・略・・・。廟の前の柱にぶら下がっている数々の乳房形に気がつくと、しばらく目することを忘れていた。

それは羽二重で丸く綿をくるみ、中央を乳首のように絞りあげたもので、大師の母公と弥勒菩薩を祀る霊廟に捧げて、安産、授乳、育児を願う乳房の民間信仰であった」。

著名な有吉佐和子さんの小説「紀の川」の抜粋です

「紀の川」がこの弥勒堂を有名にしました。

今日でも女性の厄除けに絵馬はこのようにたくさん、弥勒堂に奉納されています。

創建当時は、紀の川の川原近くのお寺があったそうですが洪水で流されこの地に再建されたそうです。

通路を東側に進み、振り返って拝堂を見てみましょう。

中央に噴水があり、東の奥、小高い山裾に

高野山案内犬「ゴン」・・・空海さんが高野山で犬を連れた猟師と出会った話がありますが、その犬の名前がゴンとは知りませんでした。

拝堂を一周して、境内から南側に急な階段があるのが気になっていました。鳥居があるので神社のようです。

119段の石段を登ると小高い山の頂に丹(アカ)塗の鳥居が

丹生宮省符神社(ニウカンショウブジンジャ)、816年 空海によって創建されたお社です。

創建時は「慈尊院丹生高野明神社」・・「丹生七社大明神」・・「丹生(ニウ)神社」・・「丹生宮省符神社」と変遷します。

明治維新後、神仏判然令(神仏分離令)などにより多くの建物が取り除かれ、室町時代に再建された本殿の内、三棟が残っています。

拝殿でお参りしましょう、向こうに極彩色の神殿が見えます。

拝殿の左側に、こんな大きな案内板がありました。

この神社は、空海が東寺を出て真言密教の道場の地を探していると猟師に出会い、「山上に霊地がある・・・そこは高野」と教えられ、白黒2頭の犬を放たれ、空海を高野山へと導かれた。先程の「ゴン」がその1頭のようです。

猟師は神様が姿を変えてこの世に現れた・・・「化現 狩場明神」というようです。

空海は知性の高い方で神道も理解され、この地の神(地主神)・・・高野御子大神(高野明神)を大切に考えられ

密教を布教する前に、まず周りの神さまを敬い、結果見事に神仏習合を実践された偉大な方のようです。

階段を下りると拝殿の戸が開いている、こちら(南側)が正面のようだ。

内部は、違和感があるほどきらびやかだった。こちらで参拝すると、真裏の弥勒堂も同時に参拝できる・・・そういう配置になっているのでした。

10時45分を回った、この先から裏山を登る国道370号より、紀の川に沿って西に10分位下り国道430号を登る道路の方が、迂回することになってもカーブが少なく結果的に早く着きそう。

では高野山へ・・・。

 

 

 

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東寺から伏見稲荷

2015-09-19 | 旅行記

1週間前に高野山を訪れ奥の院に参拝してきました。

奈良から和歌山県に向かう道路事情も、今月末からの和歌山国体に向けて、急ピッチで工事が進んでいました。

天理から和歌山市に向かって内陸部を高速道路がツギハギ状に部分開通しています。

近日中に整理しましょう。

その前に、空海・高野山と言えば京都駅近くの東寺に寄っていかなければ・・・

道路から見える五重塔、この右側から境内に入りましょう。

右は駐車場、左は蓮池その中に宝蔵

ここで境内の案内図を

拝観受付近くから五重塔を

中央の食堂裏では、業者の方が縁日に向けて小屋の組み立てに忙しく、ワゴン車から材料の搬出と賑やかでした。

密教の中心的建物(東寺HPより)といわれる講堂。

境内の中心にあり839年に完成、1486年に焼失します。

平安遷都と共に、嵯峨天皇が国立の寺院として空海に建立を託された・・・日本で初めての密教寺院を最優先で再建しなければ・・・

共に焼失した金堂は桃山時代、南大門が江戸時代の再建に対し、講堂は1491年、わずか5年後に再建されました。

この講堂には大日如来が安置されています。

こちらは隣の金堂(コンドウ)、東寺の本堂のことです。

本尊は薬師如来と両脇には日光菩薩、月光菩薩

金堂の東角に五重塔が

南大門からのカットがこちら

真言宗豊山派としては、機会を見つけて密教をじっくり勉強したいのだが

駆け足で、京を南下します。

・・・・・

ここの鳥居は、

出迎えてくれて、

貴方も

貴方も、・・・弓矢ですね。ここはお稲荷さんの総本宮

伏見稲荷大社です。立派な楼門です。豊臣秀吉1589年の造営とされます。

ここのお山(稲荷山 海抜233m)に御祭神の稲荷大神様が奈良時代711年に御鎮座されたそうで、この神社も御鎮座1300年を2011年に迎えたと言われています。

「五穀豊穣・商売繁盛・家内安全・諸願成就の神」と万能の神さまです。

境内の案内板です。

現在地から、本殿に参拝し

社務所の間の

鳥居をくぐり

階段を登ると稲荷山神社

この階段の先から

千本鳥居が続く

なだらかな勾配を登り

少し下ると

分岐点に到達する。

同じ案内板?・・・これがこの分岐点(現在地)にありました。

稲荷山に登りますか、多分山頂まで30分位でしょう・・・戻りますか、この先まだまだ鳥居が立ち並んでいます。

時間は午後3時半を回った。6時に鈴鹿で約束があり・・・

駐車場へと戻り、道路から参道の写真が

伏見稲荷、初詣客は西日本一とか・・・人気があります。

結構外国の方が多かった。朱色の鳥居のトンネルは印象が強いのだろう、御利益はあるし拝観料も無料で、駐車場も無料

外国人の観光地人気No.1になったようです。

この神社の前の道路が渋滞している、左折も混んでいたので直進し・・・商店街を進む。

九条通りで右折したが、この先大きく迂回して国道1号で京都東ICに向かうのは時間がかかる。

・・・何とか右側の山を越えられる道はないかとナビを除き込む。

泉涌寺道の信号の先で、どうにかなるだろうと右折し小道へ、その先醍醐道という118号に合流し山を登り始めたら・・・カーブを曲がるたびに道幅が狭くなり、いつの間にかすれ違いができない状態になった。

京都の市街地から5分位で舗装道路がこんな道幅になるとは想像外でした。

険しい山でもないのに何故だ、道幅の無い林道でも走行するのは苦にならないが、・・・一台タクシーと何とかすれ違い、下りカーブをクネクネ下りて市街地に出てきた。

イヤー対向車が少なくて良かった、抜け道で10分位でしょうか。稲荷山は標高が低くてもそれなりに山並みが続いていたのだと実感したのでした。 

 

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下鴨神社から平安神宮そして東寺

2015-09-16 | 旅行記

京都御所の東隣に賀茂川(鴨川)が流れ、近くに賀茂大橋が架かっている。

この橋で上流を眺めると左(北北西)から賀茂川(鴨川)が、右(北北東)から高野川が流れここで合流し、地図ではここから下流が鴨川と漢字が変わっています。

昨日、三千院からこの高野川に沿って京の街に下って来て、この賀茂大橋を渡って京都御所近くに宿泊したのでした。

・・・朝日を浴びたこの橋の北に、両側を川に挟まれた緑の三角地帯があります。ここ向かって車を走らせ、間もなく駐車場に到着する。

駐車場の直ぐ東側100m先に目的地があるのですが、木々の間を散策しながら馬場を南下して正面入口に向かいます。貴重な森林浴の時間帯です。

そして振り返ると

ここは下鴨神社の参道正面入口になります。

この神社は正式には「賀茂御祖神社(カモミオヤ ジンジャ)」と呼ばれるとのことです。

この参道から北側が世界遺産で、道路を挟んで反対側(南側)も当神社の敷地ですがここに分譲マンションを8棟建設中のようです。

さて戻って、参道は広大な面積ではないので、それほど鬱蒼とはしていないのですが

古木が大切に管理されています。改めて歴史を感じながら参道を進むと鳥居が見えてきました。途中右側に手水舎が、

近づくと「御手洗(ミタラシ)」と書かれた案内板がありました。

手洗石は神話伝承から舟形の磐座(イワクラ)石で、樋は樹齢600年のケヤキとのこと。


覆屋(オオイヤ)は、再現した「透塀(スキベイ)」で古風な雰囲気が表現されています。

南口鳥居から境内に進みます

この神社も式年遷宮の年のようです。

目の前に楼門が立ちはだかるその左手前に、かわいい神社があります。

縁結びの神社として人気のようで、・・・なるほど「神皇産霊神(カムムスビノカミ)」という縁結びの神が御祭神の 相生社(アイオイノヤカタ)でした。

下鴨神社の末社ですから、多くの参拝客に不思議なご神木の話題やこの様な作法を

貴方知っていますか?・・・と伝統の?作法を仕掛け、話題創りに頭が下がります。

管理しているだけでは衰退するのが避けられません。積極的に情報を発信して、相生社は商売繁盛の様子です。

立派な楼門をくぐり

 ここで境内の案内図を見てみましょう。

チョット見にくいですね。下鴨神社のHPを調べていたら、境内のイラストがありました。

これは相生社と作者が一緒ですね。上半分のアップです。

さてこの右側のこの建物は、

案内板によると、この建屋も21年毎の式年遷宮時に解体修理が行われる対象とあります。

 

更に右側には、御手洗川(ミタラシガワ)の案内がありますが、水は流れて無く、土用が近づくと涌き出しその様子をかたちどった「みたらし団子」発祥のところとありました。

乾いた池から泉がポコポコと湧いてくる様子でしょうか。

中央に戻って、中門を入ると小さい社が建て込んでいます。 

中央に2社、右に2社、左に3社、全部で7社・・・これは言社(コトシャ)というそうで、昔から「大国(オオクニ)さま」と呼ばれ干支(十二支)の守護神が祀られている。

干支の12を7社にするには、円周上に干支を配置し、上が子、下が午、この二つが単独で、子の次の丑は、子の前(反対側)の亥と合わせて1社、寅も子の反対側の戌という組み合わせのようです。

7社にしたのは、守護神が足りなかったからでしょうか?

この午社の前の建物が本殿です。

東本殿と西本殿があり共に国宝、東本殿はパンフレットによると、縁結び・安産・育児の神様「玉依媛命(タマヨリヒメノミコト)」でした。

末社の相生社と本社が同じ縁結びとは不思議な感じですが、2社にお参りすると相乗効果になるのでしょう。

左側にも、言社が3社あります。

・・・お見かけしました、白無垢姿・・・白、緑、朱・・・鮮やかなコントラストです。

神服殿(シンプクデン)

・・・日本の生け花の歴史を見るような作品がありました。

池坊 生け花の元祖 老舗のブランドです。

このような場所には、格式と気品、伝統の様式が必要になるのでしょう・・・これが文化の継承とさりげなく主張しているような、・・・優しい風景がありました。

 

賀茂御祖神社 由緒記 です。

神服殿の西側では式典の用意がされています。主賓が登場、個人の肖像権がありますが、作品(写真)の展覧会の挨拶のようです。

現在も公開中ですから、肖像権より無料のPRが喜ばれますでしょう。ご紹介しましょう。

NHK日曜美術館で司会を務める井浦新(イウラ アラタ)さんの写真展が開かれていました。

作品は下鴨神社の自然・祭事などで著作権がありますので転載は出来ませんが、機会がありましたらお出かけください。

一説では式年遷宮に約30億円も必要で、国の補助は8億円、残りは寄付金となるようですが収支はかなり厳しく、・・・参道南の森に3階建て、景観に調和するマンションを建築中、これで50年間、賃料が7000万円/年の契約とか・・・文化の継承、維持保全は改めて大変なことと思いながら下鴨神社を後にしました。

 

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京都 大原・・・

2015-09-01 | 旅行記

昼近く、永平寺を後に坂を下り、国道に出て左折・・・山道を登る。国道364号は交通量が少なく走り易い。

トンネルを抜け、下り坂をしばらく走り川沿いに下ると、安波賀町で斜め左に県道18号線が分岐している。

この県道を走り、少し先の左側に一乗谷朝倉氏の遺跡が残っている、ここに立ち寄り、それから鯖江の街を散策する予定だった・・・が、

迷って分岐点に停車したが・・・断念し、国道を直進してすぐ先の福井インターから北陸自動車道に乗った。

・・・若狭街道・鯖街道とも呼ばれる山間部を走り続け、時間は午後2時半を少し回った。

国道367号線を左に折れ、狭い道を対向車に注意しながら斜面を登る。

ここで行き止まり。近くの駐車場に車を入れ、目的地に向かって歩き出す。

ここは山間部で標高が高いかと思ったが、280m位でしょうか。小川(呂川)を横切り

この階段の先は、カラフルな店が並び観光地のようだ。

この配色は京の商店街、茶店が左側に数件並んでいる。

そして100mも進まない右側に門扉が、

右の看板は 国宝 往生極楽院とあります。左の三千院は有名です。

三千院の上部に小さく 梶井門跡(カジイモンゼキ) と書かれています。

近くの案内板です。

天台宗(最澄)の比叡山はここから南南東5㎞位、梶井門跡(モンセキ)は比叡山の東の山麓、琵琶湖に面した坂本の街に縁があったようで、長い歴史があるようです。

境内に入りましょう。門を入ると案内が

左の階段を進みます。

そして振り返ると、木々に覆われた素敵な入口です。

階段を上り、正面の建物で拝観料¥700-を支払います。

また思わず後ろの風景をパシャリ、中ほど左が、客殿

ここで素敵な三千院のH.Pから境内案内図を見てみましょう。

では受付のある建物から、中に入ります。

中庭に小さな宇宙がありました。

物皆劣化する世の中で、寂びる時の流れに逆らって・・・雨に打たれて、命の泉が蘇る。

岩石と苔だけで有限で雄大な世界が・・・周りに砂利を敷き詰め、周辺部の放射状の筋で無限の海、竹で天地の広がり、生命力が強く維持管理が簡単で、季節感もオールシーズン対応、・・・侘びの心を磨きたい。

庭園が目に飛び込んできた。

ここでおもてなしを受けることもできます。

緑の補色、レードカーペット・・・この雰囲気ですと緋毛氈ですね。

角を回って 、宸殿(シンデン)へ、「薬師瑠璃光如来」(ヤクシルリコウニュライ)が祀られている。

武家中心の時代に、皇族に生まれたが寺に出されてしまう人々もあった。

ここ三千院は、そんな皇族や貴族が寺を継承している門跡(モンゼキ)であり、天台宗の5箇室(五つの)の一つです。

この宸殿には、天皇の玉座の間が設けられているようです。

緑の絨毯が気になってしょうがない。

ここが有名な・・・京都市指定名勝です。

立札に目を通して頂きましょう。

杉苔と杉の大木の有清園(ユウセイエン)と清流と築山で江戸時代に築かれた聚碧園(ジョウヘキエン)です。

そして、寂びた建物が、歴史を感じさせる。

往生極楽院、平安時代986年建立といわれている。

風化して、劣化して、土に帰るのではありません。

「地蔵さま」・・・、ここでは「わらべ地蔵」と呼ばれ観光客の人気者です。

通路から少し離れたこんな場所にも

苔と一体になっていました。

庭園の右端から鳥居をくぐり、斜面を登ると

「おん そらそばていえい そわか」と書いてあります。

なんじゃ! 長いナァ・・・多分 サンスクリット、日本語は、弁財天とあります。

この周りは、散策コース

紫陽花苑に花々が咲き

星アジサイ

金色不動堂があり、この右側の斜面を階段で登ると朱色の建物が

観音様を祀っている観音堂です。

金色不動堂の裏から斜面を下り、紫陽花苑を一周し、・・・左手の先に朱雀門が見えてきた。

この先右手は、先程の緑の絨毯

三千院の出口に向かう。

この左の門から入り、向こうの階段を登りその先が受付でした。

では、こちら側の階段で降りましょう。

門前の茶店が京都らしい雰囲気で、景観が華やかになります。

ゆっくり散策したいのですが、・・・先約があり、先を急ぎます。

ここから、京都市内のホテルへは30分位で行けるでしょう。

チェックインの後、地下鉄で京都錦市場へ・・・

 

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永平寺 その2

2015-08-27 | 旅行記

曹洞宗の聖地に向かいます。

永平寺の御開山 道元禅師のお墓、日本曹洞宗の発祥の根源として曹洞宗の聖地とでも言うべき場所です。(パンフより)

承陽門を左に見て廊下の階段を上ると本堂の左端に着きます。

ここを左に折れると承陽殿(ジョウヨウデン)になります。

この様に一般の参拝客は狭い廊下を回り込むので込み合いますが、

関係者は、鐘楼の手前の左側にある斜面を、承陽門から階段で登ってこの本堂に到達します。

廊下を戻り、永平寺の本堂(ここ永平寺では法堂(ハットウ)と呼ばれ、説法や各種法要が行われます)に進みます。

中央に聖観世音菩薩(ショウカンゼオンボサツ)が祀られています。

法堂の左右には、このような階段の廻廊で、他の伽藍に行き来することができます。

この斜面の一段下に先程見えた仏殿があります。ここからは屋根しか見えませんが・・・。

板の間に座って、静かなこの風景を目に焼き付け・・・、想像してみよう・・・季節が移って、・・・間もなく見事な紅葉、そして徐々にモノトーン、いや、何も無い・・・ただ、白い世界が待っている。

何も無い世界から生を受け、心の臓が赤い血を休みなく運び続け、世界は見事な有彩色に染まり、いつしか・・・時の流れで、物皆 経年劣化

全てのものは、寂びていく

晩秋、落ち葉の向こうに、元気な常緑樹もあり、木枯らしの中にも新芽を抱いた木々があり・・・劣化の中に一味違った美を見つけたい

・・・侘び・・・、物欲が減少したら・・・何とか精神を豊かにしたいものですが、座禅修行の未経験者は、悟りのイメージすら思い浮かばない。

坐禅の精神、思想はこのような方達にも関心が高いようです。

少し階段を降りて、振り返ってみましよう。

先程の法堂、間口が18間、奥行き14間、1843年に再建されたとあり落ち着きが感じられます。

更に下ると先程の仏殿を反対側から見る形になります。

ご本尊、釈迦牟尼仏(シャカムニブツ)(お釈迦様)が祀られています。

廻廊を進むと、台所に関係する大きな物が掛かっていました。

永平寺の名物、大すりこぎ棒と案内があります。長さが4m、周囲1m、一説には、3回撫でると女性は料理が、男性はご機嫌取りが上手くなるそうです。

ここは、大庫院(ダイクイン)、1930年の改築で3階建て、ここ1階は食事を作る台所があります。

さらに進み、右に曲がると仏殿の正面になります。

ここに山門がありますが、もちろん閉じられていました。

1749年に再建された楼閣門(ロウカクモン)、(重層なので楼閣)、四天王は、・・・仏教の守護神、両側に配置されていました。

上の左が、北方・多聞天、右が東方・持国天

そして、左が南方・増長天、右が西方・広目天

吉祥山永平寺の命名の由来とされる「吉祥の額」も見上げるとありました。

この山門二階は、五百羅漢などがあります。

山門から法堂を見上げますと、仏殿の手前に

一段高く、中雀門(チュウジャクモン)と呼ばれる立派な門がありました。

山門の反対側の外に、見えているのが鐘楼堂です。

1963年の改築で、ここがあのNHK「除夜の鐘」で有名な場所です。

重さ約5トン、大梵鐘(オオボンショウ)は、一日4回、朝、昼、夕、夜、と修行僧が撞かれます。(パンフより)

東司(トウス):お手洗い によって、もう一つ大きな物があるそうで、一般の方々の法要が行われる祠堂殿(シドウデン)に

中央は、地蔵菩薩そして・・・大数珠が掛けられていました。

祠堂殿に直接進むには、通用門を入って右側、階段の先にあります。

この祠堂殿の正面からは、最初に参拝の説明を受けた吉祥閣が見えます。

1971年に檀信徒や参禅者、一般の人が写経や研修をするための道場として建てられた、鉄筋5階建て、禅の修行体験もできます。

吉祥閣に戻り、隣の宝物館(瑠璃聖宝閣)で貴重な歴史の一端を拝見します。

撮影禁止です。

・・・最澄(天台宗)、空海(真言宗)の難しい仏教から時代が流れ、鎌倉時代、「南無」:どうかよろしくお願いします、「阿弥陀仏」と唱えれば 阿弥陀さまが極楽浄土に導いて下さる

という、浄土宗が広く受け入れられた。

しかし、お釈迦様の教えは違うだろうと本場の中国に渡り、禅宗を持ち帰ったもう一人が栄西さん。

既存の仏教の抵抗を受け、京都での布教を断念し、武家社会の鎌倉で臨済宗が受け入れられます。

武士は死と向き合っているので、心の安定に座禅が受け入れられたようです。

一方、道元さんも京都での布教を断念し、44歳でこの地に曹洞宗を開かれ農民などに布教を始められます。

貴重な資料が展示されていました。

通用門から出るとすぐ前に永平寺川が流れ、

振り返ると、木立の中の通用門はこのように。

参拝で心境の変化はあったかな~

館内に掲げられていましたこの言葉を胸に刻んで、永平寺を後にしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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金沢から東尋坊へ

2015-08-03 | 旅行記
金沢の市中心部はそんなに広くないので、徒歩で散策が良いのだが、1㎞先の浅野川大橋を渡り、直ぐ川沿いに右折したいのだが

直進して、適当にUターンして来る。川沿いの小路を入り、路肩に停車。
この1本左側の小道が

ひがし茶屋街です・・・昼下がり、三味線の音が・・・アラ 流れてこない・・・静かなたたずまいでした。

10年前に、観光都市 金沢の象徴としてJR駅前に大きなモニュメントができています。

これは噴水、こちらが鼓門です。

何か地元のTV局でしょうか

駅に続くもてなしのドームを抜け、反対側の西口駐車場へ
日が暮れないうちに東尋坊へ向かう。
金沢から西は、今回始めて訪問する地となります。
・・・
かつて戦国時代は加賀の城も一向宗に落城させられ、一向一揆の強大な越前・加賀地方という印象です。
福井県の永平寺の西に「朝倉家」があります。領民の多くは一向宗信者で、武装蜂起すると巨大な勢力になり、朝倉家は30万人に攻められたこともありました。
信長は、親鸞が広めた「浄土真宗」の総本山「本願寺」を攻め、ついに本願寺も武装宗教集団となります。
各地の「一向宗」に檄が飛びます。「仏敵・信長を討て!戦え!従わぬものは破門する!」
 この先越前の地で、一向宗の門徒は、なんと7万人以上も惨殺されたと伝えられます。
「進めば極楽、退けば地獄」と教えられ・・・「南無阿弥陀仏」を唱えながら死を恐れず押し寄せる集団は、女、子供も全て、信仰を捨てない限り殺害されました。
当時多くの農民は生きるのが厳しい戦国時代、浄土宗を勧められたら頼るのがごく自然の生き方だったのでしょう。
 信長は各地の一向宗を弾圧し、弱体化させるのに成功しましたが、かつて、あの強大なローマ帝国はキリスト教を弾圧できず、ついに国教とします。
その後、他の宗派は邪教と多神教を認めない一神教のキリスト教がヨーロッパ全土に布教され暗黒の中世が続きます。
・・・
金沢から海沿いにある小松空港の横を通り、大きな汽水湖の北潟湖を眺めながら・・・もうすぐ目指す東尋坊
越前松島水族館、潮の香りが・・・窓を開けよう!  公園でチョット休憩

この木立の先、岬がある。先端に雄島があるが、ここからは見えない。・・・もう少し進もう
岬を左に曲がり、東尋坊は直ぐこの先、振り返ると雄島が見えた。

緩やかな坂道を上ると、レストランなどの周囲に駐車場が・・・建物に活気が無いのでひと回りして坂の途中の駐車場に車を入れる。
海に向かって寂れた建物の横を下る・・・、ふと、20年前ころは平日でも大型観光バスが並び、この辺は賑やかだったのだろう
目の前で閉店している建物は歴史的建造物には縁遠く、使い捨ての文化の行き着く先は、・・・老朽化は粗大ごみと同じ、残念な現状です。

この方も、残念!と言いたそうでした。

昭和43年、地元三国町が東尋坊の地層について案内されています。

そして、記念撮影ポイントが

越前加賀海岸 という国定公園です。
東尋坊の絶壁はこんな感じです。

海に囲まれた日本では各地に絶壁があり、伊豆高原も遊歩道が有名ですが、何故、鉛色・冬・日本海・陰の印象が強調されるのでしょう。

この絶景に、仮設建造物を据付け、

東尋坊と呼ばれるこの絶壁から、バンジージャンプに挑戦です。これで全員身投げから生還です。
イメージが変わりますよ。今はやり言葉のアクティビティー、このロケーションで日本海から邪気が一掃されます。

告知にはこんなカットも

この場所が撮影スポットになります。
あれこれ思案してみたが、・・・旅行客は宿屋に食事の連絡を入れないと。
15分位でチェックインします。

越前ガニ食べ放題!

1時間以上格闘すると身を取り出すのに疲れ、網焼も、鍋も、少量味わうのが一番、一人平均二皿でダウンして・・・

この港ホテル、少し前に期待されたアギーレさんと縁があるところです。

サッカーグランドがあります。日韓ワールドカップで来日したメキシコチームが、このホテルに宿泊して隣のこのグランデで調整しました。
この時の監督が、アギーレ監督、残念ながら日本の監督を辞任しましたが・・・ピンクの楕円の場所に行ってみましょう。

メキシコチーム キャンプの記念石碑です。高さ150㎝、掲げられたサッカーボールは直径60㎝、代表選手23人と監督のサインがあります。
aguirre どこにあるのでしょう。・・・さすが、監督ですから、指定席は左の面(表側)もちろん最上段のようです。











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慌ただしいドライブ旅行

2015-07-31 | 旅行記
長引く梅雨で咳が流行っていたのが昔のこと。梅雨明けと共に猛暑の毎日が続きます。
ベランダのサラダ菜はとうに疲れ果て、オクラとモロヘイヤ、そしてバジルが元気に育っています。
無花果も実をつけ、しかし、ハイビスカスには暑すぎる毎日・・・ヨシズと寒冷紗で遮光しよう。
昨年、タイミングが悪く金沢で立ち寄らなかった所にもう一度出かけることになった。
関越、上信越、北陸自動車道で日本海側にたどり着いた。
トンネルが多く、サービスエリアも少ない・・・富山県に入って有磯海SAで朝食休憩。
6月18日木曜日、朝早く出かけてきたので、道路は空いていた。
昼に金沢の予定、この先で高速を降りて、海に向かうことにする。

この船は、北前船でしょう。

回船問屋が栄えた岩瀬地区。
森家の土蔵
他にも馬場家・米田家・佐藤家・佐渡家・・・

この近くに「ポートラム」が走るのも有名で駅に行ってみよう。
小さな駅で・・・何も無い。
では探しに行こう富山ライトレールに沿って、スマートでグッドデザイン金賞を受賞したこともある超低床車輛を
nnn・・・アレガそうか

廃線となったJR富山港線の線路を走っているのでしょう、隔離された所を走っている姿に多少違和感を覚えた。
都会のビルの間をカラフルでスマートな車体が、蛇腹の連結部を優雅にくねらせ滑ってくる姿が欧風スタイルでしょうか。

優雅でしょう・・・ほのぼの、レトロ、日本的?

こちらを探しに高岡に寄ったのですが、高岡駅で聞いてみる。
電鉄の車掌さん・・・「本日は関係者が会議中で、午後の運行が予定されているが、今のところわかりません」
パンフレットは

駅前に、こんな小路が

ドラえもんの作者の故郷でした。

高岡は鋳造品、銅器などの工芸品も有名ですが、またの機会に
昼近い、金沢に向かう

市場の駐車場に車を入れ、店を探す・・・もう団体さんで混雑が始まっていた。

そうお目当ては

どこも行列が

ひと回りして、並ぶのを覚悟で・・・やっと赤むつ、のど黒と対面した。

「白身のトロ」この脂が何とも上品な・・・

市場であれこれ物色したいがこの先3泊する予定で、冷凍物は断念した。

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志賀高原スキー場 その2 ヤケビ第一、寺子屋スキー場の眺望

2015-04-12 | 旅行記
東京に、4月としては久し振りにミゾレ混じりの小雪が舞った。
今年は日本海側の大雪で、東京はほとんど積雪が無かった。
桜も体調不良になりそうなこの頃、今日は15度を超えるそうで、これからスタッドレスから7夏タイヤに交換しよう。

松柏盆栽も、昨日安行の盆栽店に写真を持参し相談したら、松脂の除去はほとんど心配なさそうで安心して、ブルーべりの鉢を頂いてきた。
盆栽愛好家も高齢化しているのか、管理できずに持ち込む方が多いとか。
盆栽は生き物で、大きく成長するのを自分の理想の型にはめようと、日々注意深く観察し、管理するのだから大変な労力が必要でしょう。
住宅事情もあり、小品盆栽が人気のようでした。

季節は、春スキーから残雪のスキーに移りますが、春は何かと忙しい。
中途半端な志賀高原の 焼額山 オリンピックコースとダウンヒルコース、そして、好天に恵まれた東館山の裏山にある 寺子屋スキー場を
取り合えず10分強に編集しました動画を You Tyube に限定公開します。

御関心がおありの方、コースの参考になりましたら幸いです。
この動画は、長さ1mくらいのショートスキー板を始めて履いて撮影しております。
雪面の凹凸に敏感に反応し楽しいのですが、くるくる回りすぎるので、その様なシーンが数多くありますが
凝視して気分が悪くなりませんよう、ご注意いただけますようお願い申し上げます。

1501YouTube SHIGA Ski 2


<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/bmchRYLxKoI" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

https://youtu.be/bmchRYLxKoI
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苗場 Ski Area

2015-03-14 | 旅行記

なに、これ・・・ 砂糖に蟻?、虫?、ホテルからの正面山麓の中央を切り取るとこんな風景です。

直ぐ近くのゲレンデでは、ファミリースキー教室です。・・・昔の懐かしい光景です。
2月27日は天候が悪かったが、28日(土曜)は朝からスキー日和、中国語の飛び交う団体も多く見られるようになってきた。
あたり構わず飛び交っているのが大声の中国語なので、中国人が目立つのでしょうか?
志賀高原の焼額山スキー場は、山麓にあるホテルや道路からはゲレンデがほとんど見えない.
山麓が広大な針葉樹で覆われ、その中を必要なコース幅だけ切り開いて造られている。
ここ、新潟県 苗場スキー場は、山麓が草原状態に整備されているのでゲレンデの大半が眺められる。

山頂へ行こう。
第一ゴンドラに長い行列が出来ていた。
最後尾に並んで、・・・右端のみ流れが速い。そうだ、一人乗りの列があるはず、・・・一気に改札近くまで進み、グループと相乗りに乗り込む。
正面のゲレンデの尾根を乗り越え、裏の沢を上って行く全長2.2㎞位で、ゴンドラは6人乗り、繁忙期は一人づつ乗るのが一番です。

ゴンドラ山頂駅の横から筍山の景観です。

この辺の標高は1670m位、筍山の山頂が1789m・・・標高差120mあるようです。

筍山の山頂へは、ここや先のゲレンデから下に見える窪地のリフト乗り場で、もう1本リフトに乗ることになる。

筍山ロマンスリフト(560m)に乗ると

先程の第一ゴンドラ山頂駅を右に見て、筍山を上っていく。

山頂は結構広く、四方の山々が望める。

筍山の山頂から、ゲレンデはリフト沿いに左側を滑降する。
コブが多い上級者コース、

ゲレンデ下部のコース外をこちらのカメラに向かって、スノーボーダーが

ガリガリ斜面をエッジを利かして、

この先は急斜面、そして道路、
その先斜面だったが・・・

雪煙・・・大丈夫?

若い!、直ぐ起き上がって、再スタート・・・多少の打撲痛は、明日の朝だろう、・・・怪我に気を付けて下さいね

コース外となるリフトの右側の斜面は新雪が残り、ウェーデルンでシュプールを描くには膝への負担が大きい。
沈みが少ない幅広のスキー板もあるようですが、見ていると手こずっているようです。

筍山のコブの斜面を滑り終えると緩斜面になる、ここで休憩。
ここは第二ゴンドラの山頂駅から筍平ロマンスリフトを乗り継いでもこれる初心者向け穴場コースです。

ここで、視点を変えて下のゲレンデから第一ゴンドラの山頂駅から右に出てきたところが見えます。
ここに向かって、なだらかな斜面を400m位滑ると、コースの中央部を除いて左右にロープが張られています。

ここで一旦停止
初心者から上級者まで、リズム・スピードの異なる人たちが衝突しないように注意が必要です。

周りの人々を観察して、一人一人ずらしてスタートします。

昼を過ぎて結構雪面が削られていてコブの下側は吹き溜まり状態。下の雪質は堅い

オット、危ない! 斜めに横切る人が衝突に巻き込まれる危険が高い、時々山側を見て欲しいものですが
この斜面を下ると、男子リーゼンスラロームバーンがあります。
行こうかな・・・カメラバッグが気になる、安全に滑ろう右にカーブ、ダウンヒルコースを進む。
直ぐに左に女子リーゼンスラロームバーンの案内板
誘われるように滑り始めていた。
ここはコブが大きい、このゲレンデは東向きだから徐々に日が陰ってアイスバーン状態になる。
足首・膝が疲れる
男子コース合流地点で休憩

いい運動だ・・・、滑っている人も少ないから衝突の危険はないが、自損事故?転倒の危険はある
残りの急斜面はゆっくり降りよう
遅い昼食はどこにしようか、
結構賑わいが戻った苗場スキー場でした。









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ごはんちょうだい 善光寺

2015-03-10 | 旅行記
善光寺は、有名なお寺ですから、仏教の宗派は? と考えると、   ・・・そうでした、善光寺は古いお寺でした。
日本最古の仏像が本尊だけあって、無宗派の広く親しまれるお寺でした。

山号は、定額山(ジョウガクサン)、この門は仁王門、1752年江戸時代中期の建立です。二度焼失し、1918年(大正7年)に再建
案内板がありますのでそちらを

ここの案内板には、設置されている場所が左下に赤で表示されています。何かと便利な案内板です。

仁王門ができたのは江戸時代ですから寺院を守護する役目で、阿吽の仁王像が仁王立ちしています。
筋骨隆々、健脚のようです。健脚祈願の藁草履がたくさん奉納されています。

裏に回ってみましょう。三宝荒神像、三面大黒天像は風雨から守るためか格子が多く良く見えなかった。
この門から先、一般道まで7~80m石畳の参道が続き、右側には菊の御紋の大本願があります。
尼僧寺院で代々皇室関係の方が入山されています。明治に大本願は浄土宗、そして戦後浄土宗の大本山となります。(善光寺大本願HPより)
さて、仁王門から仲見世へ

この先左にお地蔵さまがある

もう少しアップにしてみよう

案内板がある。
旧如来堂跡地蔵尊:善光寺本堂は、古くは「如来堂」と呼ばれ、642年の創建から1700年までの間はこの場所にありました。
この地蔵尊は、旧本堂内のご本尊さまの位置に建てられています。(要約)
昔の本堂は、朝日を正面に受ける東向きだったのだろうか。
この位置だと、本堂の両翼に大本願とこの先にある大勧進が配置される良形になるように思えるが・・・?参道が今と異なり東に延びる?

仲見世も半分過ぎたので少し休憩、若い女性に人気のお店が並んでいる
この先で仲見世が終わり

足元に石橋がある?

これが駒返り橋? ・・・馬蹄の凹みが現在も橋の左側に見ることができます・・・とありますが?
頼朝がここで馬を降り、ここから先は徒歩で奥に入ったとあります。当時の本堂は?、先程の旧如来堂跡は、直ぐそこですが・・・

右手に整然とお地蔵さんが並んでいる。6体
案内によると、6地蔵と呼ばれ1759年の造立、戦時中に解体され1954年再興される。
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つの世界(仏教の6道思想)を各々の地蔵さんが担当されているようです。

その隣に、通称 ぬれ仏 の案内板

これも、善光寺が徳川幕府の江戸時代以後繁栄し、江戸の大火の火元といわれた 八百屋お七 の霊を慰めた
八百屋お七のぬれ仏 という伝承も伝えられているそうです。

さてここで、左手の橋の先に大勧進があります。
本堂の造営・修復などの寄付を募る役目のようですが、善光寺の案内によるとこの大勧進の住職は、貫主(カンス)と呼ばれ(貫主は代々、比叡山延暦寺より推挙されています)、大本願(仁王門の先にあります)の上人(ショウニン)と共に、善光寺の住職を兼ねています。
なるほど、このお寺は歴史が古いので無宗派でしたが、住職が大勧進の天台宗と、大本願の浄土宗の方がなられてからは、日常のお勤めも大法要も各派が時間をずらして営まれています。
大勧進の北側奥には、役目が終わった回向柱(エコウバシラ)が土に帰るまで立てられています。

本堂? 斜めから立派な山門を鑑賞し、正面に戻る。

山門(三門)ここも1750年の建立、二層入母屋造りの門。
有名な「鳩字の額」が掲げられています。

勘の良い人は、鳩字の意味が解るでしょう。
5羽いるそうです。善に2羽、光に2羽、判りにくいのが、寺の寸に1羽でしょうか。

山門を抜けると本堂
本堂も十数回火災にあっているそうです。目の前の本堂は、江戸時代1707年に再建され国宝指定です。
画面中央の常香炉の手前に、4月3日午後回向柱(エコウバシラ)が立ち、信州 善光寺、今年は7年に一度の結縁(ケチエン)・ご開帳が始まります。

本堂の階段を上がり、右手に進むと僧侶の年季の入った像がある。
びんずる尊者、撫仏とも呼ばれ、自分の体の悪い部分と同じところを触れて神通力にあやかり治して頂く信仰です。
中央に大きな賽銭箱、ここで参拝して・・・薄暗い内陣の奥に行列ができていた。
そうだった、まだ新春のこの時期、1月7日~1月15日限定で ごはんちょうだい(ご判です)が受けられるようです。
御印文頂戴ともいいます。
左の閻魔像の横に順路の案内がでているので、一旦外に出て本堂西の階段から行列に並ぶ。
行列は内陣左にある弥勒(ミロク)菩薩の横を通り、右に折れて中央の奥で頭に宝印を押されています。
その真上には、内陣と内々陣を隔てる欄間に來迎二十五菩薩像があります。
この内々陣の左奥が最重要なお宝瑠璃壇、誰も見たことが無い秘宝のご本尊「一光三尊阿弥陀如来像」が安置されてるようですが順番になりました。
錦の布で巾着状に包まれた直径10㎝位の重そうな御印文を箱の中で温めているようです。
ご印文は、善光寺如来さまの宝印三判(本師如来・剣印牛王、本師如来・宝印牛王、本師如来・往生牛王)のこと。
如来さまの御利益にあずかり、罪障が消滅し、諸願が成就される祈りが込められています。
僧侶が両手に各々宝印を持ち、頭上に両側から押し当てて頂いた。(捺印して頂いた?)
・・・何事も体験です。これで極楽往生のご利益が得られました。
順路の通りに東側地蔵菩薩の前を通ると、すれ違いに別の行列が伸びていた。
この行列は・・・案内が貼ってあり、暗闇の回廊巡り(お戒壇巡り)の人達だった。
東側の階段から外に出て、正面横にある売店のような大きい授与品所へ、

・・・長椅子もあり盛況だった。
552年、仏教伝来のおり(百済の聖明王から日本の欽明天皇へ仏像・仏具・経典を贈った)「一光三尊(パンフレットなどに写真もあるが、一つの光背に阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩の御三体の仏さまを祀ること)阿弥陀如来」も伝えられた。
仏像は外国の神さまで、日本の神さまと論争になり(曽我VS物部)敗北した物部によって仏像は捨てられたそうです。
後年、この仏像を持ち帰った方が本田善光さん。644年に天皇の祈願により伽藍が造営され、本田善光の名前から善光寺と名付けられたとは、・・・知らなかった。
ここの秘仏本尊、誰も見たことが無い本尊は、鎌倉時代にコピーされたそうですが、この像が前立本尊(マエダチホンゾン)
そして、前立本尊御遷座式(ゴセンザシキ)が4月4日に行われ、翌日の大法要から5月31日まで大開帳となります。
鎌倉時代にこの善光寺に浄土真宗の親鸞(聖人)さんや時宗(ジシュウ)の一遍さん(上人)も参拝されたそうですが本尊は見れなかったようです。
そして現在も、・・・秘仏は誰も見たことが無い伝説の本尊です。
一か所気になっていた本堂西裏の新しい塔に向かう。

日本心霊殿・・・戊辰戦争から第二次世界大戦までに亡くなられた240万余柱の英雄を祀る、仏式による霊廟でした。
その霊廟を守護していたのが、大胸筋が発達した重量級のこちらの方々です。

日本全国から選ばれた善光さんゆかりの人気者でした。


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善光寺参り

2015-03-08 | 旅行記
2月27日(金曜)練馬から苗場に出かけた。途中まで一緒だがこれは、1/9の志賀高原の画像だった。

練馬区谷原から関越自動車道に乗る。

そして間もなく、練馬インター
西に富士山を眺めながら、上里サービスエリアを過ぎると群馬県、関越と上信越に分岐する。
西の藤岡、長野方面・・・上信越自動車道に進み

正面の浅間山を目指し富岡から先は、

・・・トンネル、橋、トンネル・・・天候は快晴

もうすぐ西に分岐すると長野自動車道、更埴(コショク)ジャンクション、ここまで練馬から約200Km、もうすぐだ。
道なりに上信越自動車道を北に進む、長野を過ぎ・・・信州中野が近い

ここで降りる。道路に雪は無い。

湯田中温泉に向かう。

温泉組を降ろし、志賀高原に向かう。
坂道にさしかかり、ここから志賀高原

路面に残雪が見え始めてきた。

路肩を団体が・・・サンバレースキー場はカーブの先に見えてくるだろう。
そして分岐点にさしかかる。
夏と冬で雰囲気が大きく違うが、道なりに右カーブで進むと熊の湯スキー場、草津へは冬期間通行止めで峠が越えられない。
一の瀬、奥志賀は左に回り込む、最近上りと下り(トンネル)が一方通行に分離された。
ジャイアントスキー場の下をトンネルで抜け、雪道を暫く走ると高天ヶ原スキー場が右に見えてくる。

ここから志賀高原の中心地、続いて右に一の瀬スキー場、

この先左の山が、焼額山スキー場となる。
・・・・・・・・・・・・・
湯田中温泉に戻って、スキーの帰りに新春特別行事の 信州 善光寺に参拝した。

長野駅の北3㎞位
境内の北側のつばめ池通り沿いの駐車場に車を入れ、北側から本堂前へ

境内にはこんな立札が

本堂の横を通り正面から山門へ向かい、山門から参道・仲見世を見渡す。

向こうに見える仲見世まで下っていき、改めて参道を散策しながら参拝しよう。
まだ謹賀新年の余韻が残っていた。


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寺子屋スキー場

2015-02-26 | 旅行記
寺子屋に登ろう!

天候が悪いとリフトが運休してしまう寺子屋、今日は絶好のスキー日和、
まずは隣の一の瀬スキー場に車で移動

この一の瀬はゲレンデ幅が広く、緩斜面が長いので、スキー学校で人気のゲレンデだ。
正面の斜面中腹から上段は樹氷地帯・・・このゲレンデの右端のリフトで山頂へ上る、
この山頂から左に移動するのだが、しばらくスケーティングをしなければならない。
そして、この裏側に下り坂を滑り降りると寺子屋スキー場が見えてくる。
気温がさらに下がっている、風を避けながらリフトで山頂へ

ゲレンデは急斜面でもなくこのような素晴らしい眺望が楽しめる。

天候に感謝しつつ、パウダースノーの雪面を滑っているとゲレンデの麓は日陰になってきた・・・寒い、

暖かい地点に移動しよう。

目の前には日が当たっている尾根が

ゲレンデ左端のリフト乗り場から一の瀬スキー場の隣の東館山山頂へ

リフト右手の峰の先が一の瀬スキー場の山頂

峰の上でリフトを下りると、東館山ゲレンデ、高天ケ原マンモスゲレンデ方面に滑走できるが、
車の置いてある一の瀬方面へと右に進む。

この分岐案内板を左に下る。
戻ってきました、先程のリフト終点地点へ。
この一の瀬スキー場の上部斜面は、斜度もあり上級者コースでしょうか、
込み合ってなくお勧めの場所です。
中腹からのゲレンデ

下側の緩斜面は、スキー講習で込み合っている。
そして、天候悪化が予想された翌朝

窓の下、除雪作業で忙しい
朝食の時間、レストランの窓から少し明るくなってきた外を見渡すと、ロマンスリフトの除雪の最中だった。

天候の回復を待つより、散歩に出かけよう。

隣の(志賀高原一番奥のスキー場)奥志賀高原、・・・風が冷たい。

このゲレンデは滑ったことが無いので一度はと思うのだが、

焼額山頂からこちら側に降りてくる機会がその内にあるでしょう。
またの機会にしましょう。
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久し振りのブログです

2015-02-25 | 旅行記

新年を迎えたと思っていたら、早いものでベランダで沈丁花の香りが漂っていた。もう春、そんな季節に移っていた。
週末に苗場に行く予定だが、その前に志賀高原のスキーの写真や動画を取り急ぎ整理しよう。
1月9日(金曜)、天候は晴れ、新潟も天候は良さそう。
昼には、スキー場に到着するように出発する。
湯田中で連れを降ろし、・・・雪道を走ると、ここはヤケビ!

宿泊する南館で準備をし、志賀全山有効の午後券を購入し、早速第二ゴンドラに乗る。6人乗りだが平日の午後は、当然貸し切り状態。
気温は氷点下8度、ゴンドラに揺られること2.1㎞、山頂は新雪が舞ったようで樹氷がキラキラとすがすがしい。

コース案内図にビューポイントとあるので、パノラマコースをご案内しましょう。
カメラバッグを肩から、Sonyのアクションカム(ムービー)を頭に付け滑走開始。
・・・山並みを眺めながら気持ち良く滑走していて、気が付くとあっと言う間に麓に到着。
立ち止って撮影してなかったので、この部分は近日 You tube にアップします。
このコースは、1回で終了。車で隣の東館横の第一ゴンドラに移動しよう。

ここの8人乗りのゴンドラで(ここも貸切)1.9㎞先の山頂へ!
ここのスキー場は、第一ゴンドラ中心に滑るのが楽しい。
スタート地点は足慣らしの緩斜面を滑る。

そして、間もなく正面にオリンピックコースの看板、

好天に恵まれラッキー直進すると眼下に急斜面が
中間地点まで滑り降り、ここで撮影しよう。

誰も滑っていない・・・暫く待っていると数人のグループ、皆さんもここでいったん休憩、下を覗くと・・・まだアルナァ~
では、斜面の下から撮影しよう。

コースコンディションは最高、・・・もう1本ダウンヒルコースを滑って、寺子屋に急ごう。
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鈴鹿スーパーGT1000㎞

2014-10-08 | 旅行記

日曜の夜明け前、5時頃千代崎に到着、夜釣りの人も数人見えるようだ。

さて、先端の堤防中程で投げ竿の準備、浮子、籠、仕掛け3本針、錘を用意し、アミを入れて沖合い100m位に投げ込む。

竿立てに立て掛け、もう1本用意する。

こちらは投げ竿にサビキ10本針、集魚用のプレートを付けて、沖合100m位に投げて、サビイ(竿をあおって・・・巻く)て来る。

70m位で魚信がある、まだまだとゆっくり引いていると、何匹か掛ったようだ。・・・巻き上げると小アジ3匹、カマスの子供が2匹。

大物釣りの仕掛けではないので数を釣って、カラ揚げか南蛮漬けでもできるかな・・・。

周りは釣れていないようだ、・・・”3~4日前まではよく釣れたが”、と地元の人同士の会話、朝日に当たりながら・・・健康な常連さんの社交場だった。

6時までに10投くらいで、アジ40匹くらい、カマスの子供10匹くらいか?・・・

もう時間が無い・・帰って魚の処理をし冷蔵庫へ、食事をし7時半、家族でサーキット場へ向かう。

昨日とは違う臨時駐車場へ・・・渋滞もなく10分位で到着、駐車場は大半が埋まっていた。ここから無料のシャトルバスが出る。

1

グーグルの航空写真を利用させていただこう。左上からの赤い線で駐車場へ・・・ここから黄色がシャトルバス。

クーラーBOXやキャンプに向かうような荷物の人々が結構多い。シャトルバスはサーキットの下をトンネルで抜けた所付近から渋滞していた。

サーキット道路との交差点、鈴鹿サーキット前 があり、ここの信号で右折車が多く渋滞していた。

00000002

十数分でサーキットボールの北側駐車場に到着し、徒歩で入口へ。

遊園地の端を進み、サーキット道路を横断橋で渡ると・・・

Dsc_0966

観覧車が左に、そしてサーキット場も見えてきた。

Dsc_09671

テント村は別の場所があるが、こんなコース横やスタンドの裏側にテントのグループが多い、クーラーBOXは必需品だ。

Dsc_0890

AM8時半、スーパーGTのフリー走行が始まった。フリー走行は9時まで、・・・待ち合わせ場所の集合が9時15分。

そこで、コースを半周して、他の撮影ポイントを確認してみることにし単独行動。

130r00000000

最終コーナーから、シケインそして500mくらい歩くと、土手に沿って観戦場所が・・・立体交差から・・・ウィーンと・・・

Dsc_0985

更に100~200m歩いて、ここは有名な立体交差ポイント。画面左外のデグナーカーブから直角に曲がり下側のガード下を飛び出してくる。

この先右へ・・・180曲がるヘヤピンカーブから200Rを過ぎ・・・コースの一番西の端、スプーンカーブを利用してUターンし、西ストレートを疾走する。

そして猛スピードで立体交差の上のレーンを、右から左へ走り抜けていく。

この西コース方面を周回しないで、西ストレートのコース下をトンネルで抜ける小道があるというので、右側に150mほど進み、

1

土手の階段を下る、左から右へ ヘヤピンカーブ目指して車が疾走している。

Dsc_0986

歩行者用トンネルが見えた。

反対側に抜けたら、山の中に迷い込んだ感じ・・・50m位進むと、200Rと西ストレートの案内があり、ここは周り3方向コースに囲まれた孤島のようだ。

左カーブしながら50mほど進むと西ストレート方面へ・・・

Dsc_0987

なるほど、コースを2ヵ所トンネルで抜けてやっと反対側に出られた。・・・トンネルを抜けると、目の前は左に小道、正面から右に丘陵が迫り・・・

Dsc_0989

正面の斜面を登ったら、サーキットの西側が見えた。右奥がスプーンカーブに向かう所、そして右奥のスプーンカーブで折り返し左上から目の前が西ストレート。

しかし、この先コースに沿って東第一コーナに進む道が無い。

周囲を見渡すとコース外に一般道路が走っている。・・・困った、来た道を戻るのもしゃくにさわるし、・・・。

土手を降り、ゲートに行って聞いてみる。・・・一旦出て、一般道を進んで先のゲートから入場するか、戻るか2者択一のようだった。

思ったより大変なことになった。・・・走る・・・走る・・・600m位か。そして再入場、しかし目の前の急坂を上らないとコースが見えない。・・・撮影ポイントより、時間が気になる。

半周と思ったが、多分2/3周は必要だろう。まだコースの半分は残っている。

観覧席の裏側の小道を走る・・・600mも走ったころ、時間は9時、フリー走行も終了してしまった。反対側に応援するスタンドが見えた。

S00000002_2

パドックを通って向こう側に行きたいが、ここからパドックには行けないし、・・・家族に待ち合わせ時間に少し遅れそうと電話をし、スタンドの裏側を日ごろ鍛えた健脚で?・・・走った。

1.2~3㎞を走ったころに、正面スタンド前に到着。

Dsc_09921

・・・人混みの中を進むとその先にブルーの一団が集合していた。汗だくで、何とか合流・・・

大まかな半周の足取りは、先程のグーグルの地図に記入した青い線となります。

9時45分、団体で、#17号車の応援パッドクツアーに参加する。

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地下2階の通路に降りるにはは、階段、エスカレータ、エレベータとある。

通路の途中にピットやラウンジ・テラスなどの建物の出入り口があるが、そのまま反対側まで進み、地上に出る。

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ここがセンターハウス、右側に建物を回り込むとピットビルが見え、大勢の関係者、関係車両の中を、係員の案内で#17ピットに向かう。

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フリー走行から帰った車のメンテ中でしょう。車の奥にはタイヤの山が、PCや各種センサーの表示板・・・関係者に挨拶しピットロードに出てきた。

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ここから自由時間、ピットロードの端からメインストレートに足を踏み入れることができる。

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ここが、メインストレートの最後尾付近、フォミュラーカーが展示されていた。

このパドックツアーをグーグルの写真でご案内

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現在は、左上の青い線上付近です。

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この横断幕の右端に・・・チェッカーフラッグが振られる所、コントロールタワーがありました。

右側のコの字型の枠・・・グリッドと呼ばれ#34の数字、先頭から34番目のスタート位置です。

左斜め上に、#33があり、間隔を取って交互に並ぶ。

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そして・・・メインストレートを300mくらい進むと先頭部付近に、この横断幕、シグナルが青になると・・・一斉スタート・・・・F-1の世界でよく見かけますね。

その先にリーダータワーがあり、ピットレインと呼ばれるこの右横のピットから走りりだした車が、このタワーの先でこちら側の走行レーンと合流する場所です。

ここで、足元に目を落とすと、

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#1の数字、予選トップの車のスタート位置の表示です。ポールポジション目指して予選を戦い、トップがここ。

右横、斜め後ろが 予選2番手者 #17号車がここからスタートします。

・・・エッ!・・・キャンペーンガール(レースクイーン)? おりました、大勢、・・・まとめてご案内します。

日本で始まったキャンペーンガール・・・マスコミが注目すると、目立て目立てとバブルの時期は大人数・・・、現在は、人数制限があるようです。

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2

肝心の、応援する#17号車のキャンペーンガールは、・・・再登場して頂きましょう。

KEIHIN NSX #17号車の キャンペーンガール

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では、ピットロード側に回り込んで、・・・マーシャルカー(サイレンとストロボを点滅させながらコース所のトラブルに駆けつける車)が展示され、隣りに救急車があり、救護の方法などを説明されていた。

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ピット裏のパドックに戻り、車の整備も済んだ頃、係員の案内で再度ピットの中を通り抜け、ピットの前に集合。

キャンペンガールと#17号車応援団全員で、車の前で記念撮影。

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上の写真は、他の方々に見られている所、・・・集合写真を勝手にとるな、肖像権があるぞ、などと思いつつ・・・撮られてしまった。

参考:ピット内の写真・動画は、撮影可能でしたが、ブログなどに公開するのはマナー違反です。係員から丁寧に説明があり、割愛します。

間もなく各車がピットから出て、コース上に整列すると、・・・スタンドからの風景

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12時を回った、・・・雨雲はいつのまにか青空になり、日差しが痛い。

場内の観衆にはTV中継用のアナウンサーや解説の声が、モニターの画像と共に伝わってくる。

全員、ご起立下さいのアナウンス、そして国歌斉唱、

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間もなくスタート・・・、F1のように、ホイールスピンしながら各位置から一斉にスタートダッシュする・・・スリリングなスタートではない。

先導者に従って、並んだ通りに予選上位から走りだし、ゆっくりコースを周回して最終コーナーへ。

コントロールタワーでフラックが振られると、スタートラインから全速力でのスタートとなる。

今回は三重県警が初めて先導者として参加とのこと。

・・・そして、三重県警の先導でフォーメーションラップがスタートした。・・・各車ユックリとスタート。

そして、後方に並んだ馬力が違うGT300クラスの車が20数台、GT500と半周位間隔が空いた頃スタートした。

GT500クラスが15台(だったと思う)、トヨタ・ホンダ・日産の3大ワークスチーム、・・・暫く距離を置いて、GT300クラスが20数台、トヨタ・ホンダ・日産・スバル・ポルシェ他海外メーカ・・・が続く。

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・・・先導者が最終コーナーでピットロードに離れると・・・、爆音が上がり、フラッグが振られ、・・・1000㎞ 耐久6時間レースがスタートした。

正面スタンド前を、耳栓が必要なほどの大きな爆音を響かせ疾走する。・・・1コーナーに向けて減速が始まると・・・アフターファイアーを起こしたのだろう・・・

「バン・バン・バン」とビックリするような爆発音が飛び込んでくる。小さな子供達は、パニック状態・・・泣き出すのもやむを得ない。

TV観戦と生の臨場感の違いで、この消音装置が無い排気音が心地よい人も大勢いるし、・・・もちろん耳栓も販売している。

GT500に続き、1周したGT300クラスの先頭グループが見えてきた。

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GT300も目の前が開けた状態でスタートした。

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GT300のトップ争いは、

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HONDA CRZ ハイブリッド の争いのようだ

数周もすると、徐々にGT300の車がGT500に追いつかれ、10周近くには最後尾の車が周回遅れにされそう。

先頭争いをしていた#17号車 HONDA NSXが仕掛けている。Dsc_1056_2

大歓声が上がり、メインストレートの端で距離を詰め

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スタンドの目の前で、横に並ぶか?

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抜け・・・まだ直線は残っている

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もうすぐ・・・横に並ぶ・・・そして、大歓声の1コーナーへ

GT500もGT300も混在して走行するようになる。

10周目・・・正面の大画面と実況中継で、HONDA NSX #17号車がTOYOTA レクサスを抜いてトップと繰り返し放送している。

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目の前を、応援する KEIHIN HONDA NSX #17号車 がトヨタを抑えて、トップで通過した。応援団も声援に力が入る。

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そして、このまま#17号車 無事周回を続けている。

順位はモニター表示や実況中継で確認できた。

更にこの後、燃料補給とドライバー交代、でピットに入り始めると、応援も中休みとなる。

気温は30度、日差しも痛く、・・・水分補給と、地元赤福の赤福氷

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夏季限定、抹茶蜜が掛かった氷の中に、定番赤福の餅とは違うらしい、氷になじむ餅が入っています。

これは、お勧めです。

元気を出して、他のNSXの雄姿を・・・

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まだまだ走っていますが、暑いので中座し、00000003

ショップの雰囲気を・・・、

時間がたつにつれ、右腕、肩が痛い。日陰のレストランで休憩し、家族は乗り物へ・・・

残念なことに応援を中座したら、88週目あの立体交差からシケインに向かう・・・土手横の・・・高速130Rで#17号車・・・クラッシュしてしまったと・・・

ドライバーは、大怪我で無いことを祈りつつ・・・塚越 広大さん、金石 年弘さんのどちらだったか?

そして、夕闇迫るスタンドで、参加した応援団の一員として、チェッカーフラッグを確認した。

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ライトを点灯した中島一貴、ジェームス・ロシター組の勝利を祝福し、

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レース終了の花火で、・・・気分一新、

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園内で涼んでいると、夜空に花火が・・・

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そして、夏の終わりは、・・・鮮やかにライトアップされた・・・観覧車!。

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金沢から白川郷へ

2014-07-31 | 旅行記

喧騒から離れて、ここは金沢市内の武家屋敷跡・・・

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兼六園から祭りで渋滞する中央通りを進み、やっと目的地近く・・・次を右折とカーナビが指示するが、脇道が狭い、見通しも悪く・・・やり過ごす。

先の路地・・・また右折の指示・・・ここも狭い、大回りしてやっと次の交差点を右折する。

狭い小道を進む、この付近には駐車場が無い・・・鞍月用水(クラツキヨウスイ・江戸時代初期に築かれた)に突き当たり、用水に沿って右折するとまた渋滞に巻き込まれた。

ノロノロ走ってやっと繁華街の駐車場に入れる。

駐車場から徒歩数分、鞍月用水の西側にこの様な静かな街並みが残っている。

加賀藩の上・中級武士が暮らしていたところで、土塀と瓦屋根、石畳、・・・直線とT字路の組み合わせ。

見通しが良く整然とした小路だが・・・この雰囲気は、・・・T字路の左右は見通しがきかない・・・土塀の左角から侍が飛び出してきた・・・

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この様な街並みは、緊張感が漂います。武家屋敷という先入観も影響していますが・・・

曲がりくねって自然に出来た道の両側に、・・・この様な導入路があり、その先に玄関があると

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この玄関までの空間が自然であり、安らぎになる・・・(ここも武家屋敷界隈ですが)

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当時の面影が残る武家屋敷の街並みだが、屋敷の中には、今日では画廊や店舗として営業されている所も多い。

・・・金沢は、お城を中心に東を浅野川、西に犀川(サイガワ)が流れている。

川の外側に武家屋敷とは雰囲気の違う茶屋街があります。

こちらは犀川の西にある西茶屋街、(浅野川の東には東茶屋街が,あり、近くに主計町茶屋もあるようです)

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西茶屋街の範囲は狭いが、現在でも営業中の茶屋は5件、芸妓さんも20人以上と元気な様子。

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江戸後期、1820頃茶屋街がつくられたそうです。

朝は静かな、二階建て格子の街並みが、・・・夕方になるとあちこちから三味の音が聞こえてくるのでしょう。

・・・近くの犀川に沿って10㎞くらい北上すると・・・日本海・・・金沢港があるはずです

金沢の海、海産物を探しに行こう・・・

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北陸の有名都市の港は、北前航路で大繁盛とのイメージを持っていたが、この金沢港は思ったより〇△でした。

堤防で釣りをしている横を貨物船が出て行った。

AM9:00 みなと会館の魚市場が商売を始める時刻だ。寄ってみると、元気な掛け声・・・まだ水揚げ待ちのところもあるが鮮魚以外の加工食品・干物も多い。

のど黒(赤ムツ)を探す。15㎝クラスの小物から並んでいたが、のど黒だけは値引きに応じない。

高級魚、脂がのった魚でグラムで販売しているとか。鮮魚は持ち帰るのが大変なのであきらめ、干物にする。

あちこち散策して、・・・昼食は、高速を飛ばして次の目的地にしよう。

金沢森本IC から北陸自動車道に入り、富山方面に10分くらい走ると小矢部栃波JCTとなる。

東海北陸自動車道が交差しているので名古屋方面に南下する。

のどかな道路を進む、ここは富山県、砺波(トナミ)・・・必ずゴールデンウィークにTVが放映する・・・チューリップで有名です。

南に山を抱えた平野には、日本海からの横殴りの寒風を避ける「カイニョ」で囲った民家がモザイクのように散らばっている。

・・・この付近からの映像を記録したSDカードがどこかに紛れて見つからないので、・・・画像割愛で。

車は南に進んでいるので、左前方に北アルプス(飛騨山脈)の雄大な山々が連なっている。20分も走ると南砺波、左右、前方と山が迫り間もなくトンネル。

この山の向こうが五箇山・・・この付近も豪雪地帯で合掌造りの集落があり(相倉:23棟、菅沼:9棟)、世界遺産に指定されている。

五箇山ICから白川郷ICまでは、トンネルが6つ、トンネルは2本貫通しているようだが運用は1本のようで、片側2車線がトンネル部で1車線と狭くなり、センターラインが赤いパイロンで仕切られている対面交通となる。

トンネル出ると陸橋、谷を渡り正面の山のトンネルに吸い込まれる・・・この繰り返しで飛騨白川PAに出た。

このすぐ先が白川郷IC、ここで降りよう。

斜面の高台を走っている高速から、Uターンするように斜面を下って国道に降りる。

国道は庄川に沿っているので上流に向かうと集落になるが、途中で国道をそれて右折、白川スーパー林道に入る。

山麓を数百メートル登ると道路左の崖下に木立の間からこのような風景が・・・

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川の向こう側に・・・合掌造りの集落が集まっている、さらに上流の街外れの一角では

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観光バスが集まっている、時刻は12時半、食事やお土産の店でしょう。手前の坂道は河川敷の臨時駐車場につながっている。

集落の全景を見ようと登ってきたので、白山スーパー林道には入らず、ここでUターン。

国道に戻り川を渡り、合掌造りの集落に入る手前でまた国道をそれる。

左に大きく曲がる坂道を(越中西街道)数百メートル登ると、右手の高台に進む狭い小路がある・・・この先は私道と思われる、観光バスや一般の自家用車で渋滞する。

すれ違いが難しい道路幅の道で、鉢合わせした車の後ろに更に車が張り付いて・・・(多分行楽シーズンは、利害関係者が整理人を出すと思いますが)バック・・・バック

この高台の先端に、営業施設があります。私有地に駐車場があり、食事・お土産など

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そして、展望台・・・観光バスの定番、皆様集合!・・・ハイ、チーズ

このような景観を見ることができます・・・有名な撮影ポイントです。

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屋根は本を伏せたような形で、急な勾配が特徴です。皆こちらを向いていますが、こちらは北側、南北に吹く強い風が屋根に当たらず、東西に面した屋根は太陽光が多く当たり融雪効果が考えられている。

この崖を少し下るか、下から登ると萩町城跡(展望台)があります。

さて、渋滞にはまらないよう、下の国道に戻ろう。

今日は日曜日、そんなに観光客は多くないだろうと思ったが、合掌造りの集落に一般車は乗り入れできず、萩町交差点で係員にバイパス(国道)へと右折を強要され、川を渡り河川敷のせせらぎ駐車場に誘導された。(今年の春から一般車は旧道に入れないようです)

ここも観光地化していて合掌造りがチラホラと、食堂・土産物や案内所・トイレなどがある。

庄川を吊り橋で渡って、合掌造りの集落へ

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民芸品店が、お出迎え

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旧道を渡ると、屋根が傷んできた鐘楼と明善寺が・・・

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門の前の小道を左に進むと、江戸末期に建立された明善寺庫裡(クリ)があります。

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僧侶の居住などに使用され、屋根裏が何層にも利用できるので、この建物は五階建て、左の案内板には、高さ15m、当村で一番大きな合掌造りですとあります。

Photo

案内板で、集落の配置を確認

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切妻(キリヅマ)造りの屋根裏に、窓を開けて初夏の風を通しています。

・・・裏の家屋は入母屋(イリモヤ)造りのようです、この様式が広く日本各地に普及していた。

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この地区は、もちろん従来通りの建屋で生活を続けながら、観光での活性化を目指されているのでしょう。

田舎の村社会は他人の目があり、人間関係が濃く、更に観光客の目が365日注がれる・・・人に見られる事で、人間性を磨かれておられるのでしょうか?

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更に小路を左(北)に進むと、ふる郷(サト)長瀬家の看板があり、内部を公開(有料)されている。1階に500年位前の仏壇など、3・4階には昔からの生活用具などの展示。

平成13年に茅葺屋根の葺き替えがあり、約500人のボランティアが作業したビデオが放映されているとのことでした。

さて、旧道に向かう途中で北の方角を見ると、このような景観になります。

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田植えが終わった日本の初夏の風景、トタン屋根の家々が並び、茅葺の家屋が多少残っている。

この地区の写真にはふさわしくない?・・・少しアングルを変えましょう。

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用水が流れ、歴史を感じる茅葺屋根が配置され、いつの時代でしょう。

ところで、画面中央に尾根と思われる高台があります、・・・切り開かれた木々の間には建物が・・・

この高台から先程団体客がこちらを見ていました・・・展望台です。

・・・神田家・和田家など大きな合掌造りの家の横を通り、旧道に戻るとお土産屋さんが並んでいる。

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集落を迂回するバイバスが完成したのが1992年、白川村の発表によると

1992年の年間宿泊者が約11.3万人、日帰り客が57.3万人。

・・・世界遺産登録が 1995年12月9日

1996年の年間宿泊者が約13.3万人、日帰り客が88.6万人。(若干日帰り客が増えた)

・・・高速道路全線開通 2008年7月5日

2009年の年間宿泊者が約8.8万人、日帰り客が164.3万人。(3月28日からETC:1000円高速)・・・交通の便が良くなれば・・・日帰り客が倍増し、宿泊客が減少。

2012年の年間宿泊者が約6.9万人(内外国人 7千9百人)、日帰り客が131.0万人(内外国人 8.1万人)。(1000円高速、前年の6月19日終了)

2013年の年間宿泊者が約7.6万人(内外国人 1.47万人)、日帰り客が135..0万人(内外国人 13.4万人)。

食事をしながら考えた、この旧集落にも民宿などが10数件ありますが、やはり観光の中心になるのは日帰り客、・・・滞在時間は?・・・食事-お土産品の店がいかに繁盛するか、その結果、地産の食材の利用が伸びるか・・・気になります。

当方、日帰り客・・・2時間半の滞在で午後3時、東海北陸自動車道を利用して飛騨清見ICまで南下しよう。約25㎞

驚くことにほとんどがトンネル、・・・調べてみると何と10個、・・・飛騨トンネルは長さ10.71㎞、危険物積載車両は通行禁止だった。

このトンネルの走行は苦痛だった。80㎞~90㎞で車間距離を取りながら、パイロンに接触しないように、・・・大きなカーブもアップダウンも少なく変化に乏しい状況で・・・

20分走って、飛騨清見JCTが近づく・・・さてスローダウン、

走行中の東海北陸自動車道は、愛知県一宮で中京圏に接続するが、中部縦貫自動車道がこのジャンクションから分岐し、高山市経由長野県松本に向けて建設中だった。

最新のナビだが(昨秋のデータ)目前の600m先、飛騨清見ICで一般道に降りるよう案内している。

飛騨清見ICで、その先が通行止めになっていないので直進する。この先ナビの高速道路は大半表示されないが(高山清見道路)工事中の道路はよくあること。

片側一車線の対面通行が続く。ここも山間部・・・小鳥トンネルも長い(4.35㎞)

高山西ICを過ぎて、トンネルを3つ抜けたら終点高山IC・・・分岐してから15㎞位の無料区間は大半が下り坂だった。

将来は長野県松本市まで延長され、中央自動車道に接続する予定

・・・高山からは、一般道の158号を松本まで走ろう。

平湯(上高地への入り口)から安房峠(アボウトウゲ)を越えて中ノ湯までは、10数年以上前に安房峠道路として有料トンネル(5.6㎞)が完成しているので便利になった。

このトンネルが中部縦貫自動車道として利用されることになる。このトンネルは何度か利用しているので、今回は山道を走ろう。

ここが安房峠、前方は初夏の穂高岳・北アルプスの山々でしょう。

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霧や雲がかかると何も見えないのですが、苦労するとこのような眺望に出逢います。Dsc_08491

標高1780mの案内板があります。・・・山裾から爆音が聞こえ始めました。ラリー同好会かな?・・・近づいてきた。

追いつかれる前にヘアピンカーブが連続する(多分11個くらい)長野県側に下りよう。

AWD(all wheel drive 全輪駆動・総輪駆動)別名4WD(4駆)タイプはスリップが少なく、回転半径も小さいし、別に横滑りを押さえる装備もあったはず。

山道は嫌いでもないし、下りはパドル操作でシフトチェンジ・・・シフトダウンの練習にもなるかな・・・。オヨヨ、追いつかれてしまった。多分2台だろう。

少しスピードを上げて、タイヤを多少きしませ、・・・対向車も少なく、思ったより車の操縦もしやすく、多少後続に差をつけて、・・・あっという間に、中ノ湯の合流地点が見えてきた。

松本から中央自動車道で帰るのが普通だが、・・・小仏トンネル・・・八王子、何度となく渋滞に巻き込まれ深夜になったことも。

小雨模様だから山を越えて佐久に向かうのは中止して、北回りで上信越自動車道から関越で帰宅しよう。

・・・小諸付近から土砂降りになる、・・・日曜の夜、雨の関東平野は交通量が少なく7時には三芳PA、食事をしてユックリ帰宅、・・・走行距離?・・・1,000㎞強でした。

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