気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

12月24日

2011-12-25 | ブログ

12月24日(土曜日)、・・・午後、銀座に雑用で出かけたが、中央通りが歩行者天国で通行禁止、裏道に入るが動かない、ケーキ屋に長い行列・・・失敗したクリスマス・イブか、駐車場ここも満車・・・

予定より早めに切り上げる。

PM4:50 浅草

11122401


東京スカイツリー、今夜5:30 再びライトアップされる。

その前の写真が、上下2枚

11122402


工事用のクレーンも降ろされ、西日に照らされスッキリしている。

PM5:30、昨夜に続きLED照明が点灯された。

11122403


斜め格子はライン照明、中央のクロス発光がアクセントになっていた。

全体の照明の量が少ないので、闇と溶け合い透明感が漂っている。

まさしく江戸切子硝子だ、現代のシャープさを感じ、結構いい感じ。

11122404

もう少し近くに移動しよう。

11122405

ここは、定点撮影地点。

スカイツリーの照明器具は、最終的に2000台位になるそうだが、今回は、その1/3、720台に照明が入ったそうです。

この3倍明るくなると、雰囲気も違ってきそう。

先端のアンテナ部は、第二展望台の上部からライトが当てられている。

11122406

ライトアップは大晦日限定で、再点灯されるようです。

11122407

12月24日、・・・街にはクリスマス ソングが流れ、 holy nights  聖夜と連呼 ・クリスマスツリー  ・サンタクロース ・七面鳥 ・ローストチキン ・クリスマスケーキ ・ポインセチア ・クリスマスにはシクラメンを贈ろう ・・・マスコミ・企業、商魂たくましく、何でも良いからイベントにしてしまう日本。

エッ、シクラメンはまだでした、・・・季節商品だから今処分しないと、相乗りすれば・・・、余計なお世話?

しかし、今年は、色んなことがあって、街も例年より多少静かになったでしょうか

祝日でもないのに、そんなクリスマス・イブを盛り上げてきた日本で、キリスト教の信者といわれる方は、20%位はいらっしゃるのでしょうか?

宗派:キリスト教と答えられる方は、エー・・・全人口の1%にも満たないといわれる。

仏教徒がキリスト教系の学校を出て、教会で式を挙げたが、その後教会にも行かない。もちろん家族で日曜日に教会に行く習慣もない。

家庭には神棚も仏壇もある。

七五三で神社に詣り、教会で結婚式を挙げ、葬祭が仏教の人って結構多いのでは。

圧倒的なキリスト教信者の国々、欧米から伝えられた文化は・・・商業主義との相乗効果でファッションとして日本に定着したのでしょうか。

しかし、日本でのキリスト教の布教は大変でしょうね、多くの若者が教義には興味がない、教会がかっこいい、そんなところでしょうか。

偶像崇拝を禁止しているイスラム教の盛んな国々、中近東、北アフリカ、中央アジア、そしてインドネシア。

小さいときから律法を繰り返し唱える人々、来年は遅れてきたイスラム教に関心が集まり、そして宗教が問題になる、そんな年になりそうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小雨の京都

2011-12-13 | 旅行記

小雨の京都、龍安寺に行ってみよう。

Photo

この階段の上、本堂の右側に社務所があり、そこに数台の駐車スペースがあります。

駐車場入り口で、係員に許可を頂くと1時間以内に限り駐車することができるので、

指示された通り駐車場の右奥から小道を進みます。1~2分で着き、雨の日は大助かりです。

このお寺は大変広く、南側には回遊式庭園に囲まれた鏡容池(キョウヨウチ)があります。

そして境内北側にはこれから参拝する本堂(ここでは方丈と呼んでいます)があります。

その方丈の玄関を入ってすぐ左側に、このような石庭の模型が、

Photo_2

その前に、龍安寺の案内が下記のように書かれている。

もと徳大寺家の別荘を、宝徳2年(1450年)に細川勝元が譲リうけ、禅寺に改めたが、戦災で焼失し、明応8年(1499年)細川政元が再興した。

美しい鏡容池は藤原時代の由緒をとどめ、方丈前庭の枯山水庭園は俗に虎の子渡しと称されて有名である。

禅では自己が「三昧」「無」になりきることによって自他一如の世界を自覚し、その自覚を通して出てくるものは、山川草木ことごとく神、仏であるとするが、この庭はそうした禅の極致を表現した永遠に新しい庭といわれ、時間、空間を越えて、静かに心眼をひらき自問、自答するにふさわしい庭といえよう。

・・・参考に、戦災は第二次大戦ではなく、応仁の乱か・・・そして、その後1489年に洛北に建造されたのが慈照寺銀閣・・・

左側に、明るい庭園が見えてくる。

Photo_3

白砂の反射光が右側の室内を明るく照らしている。

Photo

入口側から石庭をながめる。石庭は方丈の南に面している。

右側に、このような展示がされている。

Photo_8

江戸時代の石庭スケッチと説明分が

Photo_21


文章を拡大してみよう。皆川さんという江戸中期の儒学者がこの庭園について書かれている。

この時代ですでに、土塀の上に見える借景がずいぶん変わってしまったなどとあります。

スケッチの借景は、松林が描かれています。

1

ところで作庭の作者は誰か? 

龍安寺側の説明では、絵師の相阿弥と長く信じられてきたが確証はないといわれる。

Photo_26

75坪の白砂に大小15個の石を配置、「虎の子渡しの庭」、「七五三の庭」とも呼ばれる。

石の配置は左から、5、2、3、2、3でしょうか。

この時期、正面の高さ1.8mの油土塀に枝のみが何本か掛かっているが、春のシーズンには、しだれ桜が咲き誇る。

Photo


白砂は、左奥が排水を考えて低く整地されている。

このアングル・・・落ち着く

Photo_2


また右側(西)の土塀は、手前から奥に向かって低くなるように建てられ、より奥行感が強調されているとのことです。

Photo_28

石庭西側の紅葉、・・・この配色はさわやかですね。

さて、そろそろあわただしい俗世に戻ることにしよう。

*

近くの北野天満宮に寄ってみよう。

1_3

北野天満宮、天暦元年(947年)の創建

菅原道真公が祀(マツ)られていて、学問の神様として崇(アガ)められている。

東京の「湯島天神」・「亀戸天神」に対し、こちらの天神さまは、「北野の天神さん」と呼ばれているそうです。

1_4

本殿への道

Photo_30

中門(三光門)に掛かる 「天満宮」の額は、後西天皇の筆となるようです。

1

この右側に、立派な石造りの牛が・・・


Photo_31

天満宮では、牛が祭神の使者とされていて、道真公と牛に関しては数多くの伝承があり縁があるようです。

Photo_33

北野天満宮には神使とされる牛の像が、いろんな所に置かれています。

この立派な臥牛は、本殿から少し離れた右側にありました。

本殿は、豊臣秀頼が関ヶ原の戦いの後、慶長12年(1607年)に造営された。

Photo_3

道真公は梅を愛され、この天満宮境内にも多くの梅の木が見える。

また、梅林もあり開花時は有料公開もされている。

*

これから、夕方までに奈良に行こう。

途中、伏見の寺田屋に寄ってみよう。

*

2

この寺田屋も有名な観光コース、旅籠内部も公開されているが

AM10:00~PM3:40まで受付、見学は有料

幕末の坂本竜馬で有名な当時の寺田屋は、鳥羽伏見の戦いで(1868年)、焼失した。

-

4

*

この旅籠は、焼失したので旧宅にならい、明治時代に再建されたそうです。

-

3

*

この旅籠の右側に、旧寺田屋の跡地があり庭園の雰囲気となっている。

ここには、文久2年の寺田屋騒動(1862年)で戦死した討幕派薩摩藩士の石碑などが建っている。

*

すぐ近くに宇治川が流れ、その支流を少しさかのぼった所に船宿だった寺田屋がある。

1866年3月9日(慶応2年1月23日)深夜2時頃、幕府伏見奉行捕り方百数十人に囲まれた竜馬

・・・お龍が風呂から飛び出し2階に駆け上がる。・・・負傷した竜馬

この川の反対側、材木屋に隠れ、薩摩藩邸が川船を出して・・・竜馬は救出された。

*

そんな、伏見の寺田屋、145年前の冬、この場所で起こっている・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅葉の神護寺

2011-12-04 | 旅行記

嵯峨野・竹林の道から北に直線で4Kmくらい、京都盆地の北西、洛西(ラクセイ)に位置する三尾(サンビ)地区に向かう。

高雄・槇尾(マキノオ)・栂尾(トガノオ)、日本を代表する紅葉の名勝地と言われている。

Photo

「タカオカエデ」・・・最も美しく紅葉するイロハモミジの別名で、全山に数千本といわれる高雄山が目的地。

神護寺はその中腹にある。

天応(テンノウ)元年(781年)に和気清麻呂(ワケノキヨマロ)ゆかりの寺として創建され、空海(弘法大師)が809年から14年間住持し、その後荒廃したが、平安末期、文覚上人(モンガクショウニン)によって再興された。

真言宗の古刹(コサツ)…古く由緒あるお寺です。

Map

解り易い順路は、神護寺バス停横の道路から階段を下ります。

Photo_4

なだらかな石段を下ります。

Photo_6

この下を流れる川に向かい、山裾を右にカーブします。

Photo_13

売店の前を左に切り返すと、緩やかな坂になる。・・・川のせせらぎが聞こえてくる。

Photo_15

清滝川に架かる、高尾橋。

この橋を渡り、左に曲がると直ぐに急な階段が現われる・・・ サァ 登ろう。

1

凹凸があり歩きにくいが、それほど長い階段ではないので一気に登ろう。

1_2

なだらかな登り坂になり、左側に茶屋が見えてくる。

Photo_17

天候が良ければ、この雰囲気最高ですね。

しかし、小雨が降り続きテーブルには、ビニールシートが・・・残念。

2

硯石亭

Photo_18

ここの茶屋は、小雨も気にならず繁盛しているようだ。

Photo_19

坂道を進むと、この先山門前が急な階段となる。

Photo_23

楼門(ロウモン)が見えてきた。この門の左に参拝の受付があり、拝観料500円、・・・境内に入ろう。

2_8

水はけのよさそうな砂地だが、雨が続き足元に大きな水たまりがある。

水たまりを避けながら進もう。

右側には宝蔵、その奥に書院や茶室があるようだ。

2_10

和気公霊廟近くに、ひときわ目立つイロハモミジ(タカオカエデ)

Photo_24

向かい側にも紅葉が素晴らしい大木がある。

右側に戻り、和気公霊廟前の紅葉を再度鑑賞しよう。

Photo_15

カエデの木が大きいので葉の裏側に回ってみよう。

Photo_18

和気清麿公は、平安京造営(794年)の最高責任者(造営大夫)でもあったと神護寺のパンフに書かれている。

墓は、この先ずいぶん登った所にあるようだ。

さらに右側を進むと、鐘楼に進む小道の先に明王堂が見えてくる。

明王堂の先から振り返って見てみよう。

2_16

明王堂の先に進むと左側に五大堂、その先右側の高台に向かって階段が見える。

この階段の両側の紅葉が素晴らしい。

少し階段から離れて紅葉を見てみよう。

Photo_19

そして、階段を登ると・・・

Photo_20


金堂が見えた。

階段を登った先、右側にもカエデの大木がある。

Photo_25


金堂の階段上から振り返ってみてみると、こんな感じです。

Photo_21

この楓の大木に近寄ってみると

Photo_27

緑・黄・橙・朱色と一本でこのグラデーション。朱色が鮮やか

金堂前を右に回り込むと

Photo_26

緑に朱色、橙、黄、そして白椿が咲いていた。

鐘楼や多宝塔、竜王堂が近くにあるが足元が悪いので次回にして、金堂の正面左側から、坂道を下る。

途中から右に折れると、100m位先にカワラ投げで有名な地蔵院がある。

この付近には樹齢500年のカエデが多いらしいが、ここもパスして金堂の階段下に出て大師堂に進もう。

2hp

この右側に少し見えるのは、五大堂。

その隣に毘沙門堂。

Photo_29

毘沙門堂を半周して、振り返ると大師堂が

Photo_28

静かに周囲に溶け込んでいた。

Photo_30


境内を一周して、楼門に帰ってきた。

連れが待っているので、高山寺前の市営駐車場に戻ることにしよう。

Photo_31

清滝川まで階段を下り、高雄橋を渡り角の店でエネルギーを補給し、川沿いに上流に進む。

槇ノ尾橋が見えてきた。

平安時代初期に空海の弟子が創建した西明寺に参拝するには、この橋を渡ることになる。

Photo_32

槇ノ尾橋から下流を振り返ると、崖の上に今通ってきた道のガードレールが見える。

Photo_33

10分も歩かないうちに、国道162号線に合流した。

Photo_34

路肩を歩いて1㎞位で栂ノ尾、高山寺参道が左に見えてくる。

高山寺:奈良時代に創建され、鳥獣人物戯画(複製)があるので有名。世界遺産。

この参道を過ぎ、駐車場が見えてきた。

2_17

広い駐車場だが観光バスも多く、行楽シーズンは満車になってしまう。

バスが便利のようだが、天候が悪いにもかかわらずバス停には長い行列ができていた。

11時を回ったようだ、幸い道路は空いていた。平地に降りて、仁和寺か龍安寺・・・、龍安寺に行こう。

その前にランチタイム・・・、3時頃には雨も上がる予報だが・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする