ベルニーニは、劇作家兼主演として晩年まで上演していますが、劇中劇などの凝った仕掛けが好きだったようです。
自分の作品を見て驚く人々、その光景を見て喜ぶ人々、どこまでが現実でしょう
・・・劇中劇がストップモーションとして表現、理解するのは基礎知識が必要?
「天使と悪魔」で「火」と関連付けられたベルニーニの作品に合えたのは、2011年でした。
ローマのテルミ二駅近くのホテルから、ボルゲーゼ公園の方に歩いて10分くらいの所に目的の教会はあります。
ハサードの壁が大きい印象がありました・・・ヒョットして閉鎖中、あの工事中の建物では・・・
近づくと、特段の表示もなく・・・、親切に名称が表示されていました。人気があるのです。
訪問したのは多分、朝の9時半ころ・・・入れそうです。
帽子を外し、静かに入ります。
教会内には先客がいました、何と10代の生徒が数人だったでしょうか、引率の先生が正面祭壇左の場所で説明していました。
・・・前年にイタリア各地を旅行した後、印象的なイタリアのニュースを目にしていました。
イタリア政府観光局が、地元の芸術資産に国民があまりに関心を持たないので、切り取って持っていくぞ!と警鐘を鳴らしたのです。
多くの観光資源が、日本のTV局を始め海外から資金援助を受けて、何とか修復が可能な厳しい状況にあったようです。
芸術の国です、この取り外す発想が気に入り、何故かこのキャンペーンが非常に印象に残っていました。
・・・さぞやこんな風に「最後の晩餐」を切り取りたかったでしょう。
芸術後進国だったフランス国王、評判だった「最後の晩餐」を見に行き、何とか持って帰れないか? と配下の者に・・・、
侵攻してミラノを支配下にしたルイ12世、完成直後の「最後の晩餐」は、壁に描かれていたので持ち帰れなかった。
・・・さて教会内部は、天井の白大理石が。輝いています
外観からは想像できないくらい、華美な装飾に驚く。
勝利を讃えています、
キリスト教を信心して勝利した、そんな由来のようです。
見たい所が混んでいるので、反対側を見ると・・・nnn!
、
コピーのようで、・・・何か違う、全く違う、・・・何故? 天使と老人?賢人?
ベルニーニの作品と雰囲気を合わせて、弟子の作品? いや、ベルニーニの工房が許可していないでしょう、
後年、ここの礼拝堂の所有者が・・・似たような雰囲気でと彫刻家に頼んだのでしょうか?
こちらも題材が不明ですが、・・・子供がたくさん登場しています
他にも色々装飾物があって、
頭が疲れたころ・・・目指す礼拝堂の前が空きました、移動しましょう
・・・そうです、こちらが、ベルニーニの有名な作品です
もう少し正面に移動しましょう
(ベルニーニ バロック美術の巨星 石鍋真澄著では、この作品全体構成について記されています)
ヴェネツィアの元大司教で名家のフェデリーコ・コルナーロが好意を寄せていたアヴィラの聖女テレサが創設したのが、跣足カルメル会の教会です。
このサンタ・マリア・デッラ、ヴィットーリア教会も跣足カルメル会のようです。
ローマに住み始めていたコロナーロは、1647年にこの教会の左翼廊部の権利を取得します。
ここに自分の墓を、立派な礼拝堂飾るには、・・・あの人は受けてくれるでしょうか。
新教皇イノケンティウス10世が即位して、旧教皇派の人脈は公的仕事を外されていました。
ベルニーニは、亡くなったウルバヌス8世の墓碑の仕上げが残っていましたが、この礼拝堂を快く引き受けます。
そんな事情でベルニーニ工房の請負仕事ではなく、ベルニーニ本人に余裕が出来たので制作に携わった作品としてあまりにも有名です。
ここでは主祭壇の聖女テレサの作品以外に、周囲まで、良く分からないとエッそんな所あったとなる全体像を見て戴きたいので、資料を・・・。
このワイドな画像は撮影できなかったので、Wikipedia より拝借、・・・加工しています
この礼拝堂は特殊で、十字の奥に後塵、左右に翼廊・・・この翼廊の奥行きが無くて、礼拝堂にしては左右が広い。
中央の作品に目が行くので・・・両サイド、画像では鏡のように見える両端部までグルっと見渡す余裕もなく、中央部に引き込まれます。
天井から降り注ぐ光線の効果もあり、天使の矢 と 雲に浮いたような 聖女テレサ の表情に目が釘付けになってしまうのです。
この聖女テレサは、16世紀のスペインで実在した方で、神秘体験、幻視と法悦を「自叙伝」に記しています。
法悦、エクスタシー・・・神秘体験を見事に表現していますが、一部の教会関係者からは、相応しくないと批判も出たようです。
そこで、どのような体験なのか・・・(東京女子カルメル会訳 第29章13の一部抜粋)
私は金の長い矢を手にした天使を見ました。
その矢の先に少し火がついていたように思われます。
彼は、時々それを私の心臓を通して臓腑まで刺し込みました。
そして、矢を抜く時、一緒に私の臓腑も持ち去ったかのようで、私を神の大いなる愛にすっかり燃え上がらせて行きました。
痛みは激しく、先に申しましたあのうめき声を私に発しさせました。
しかし、この苦しみのもたらす快さはあまりにも強度なので、霊魂は、もうこの苦しみが終わることも欲まなければ、神以下のもので満足することも欲しません。
これは肉体的な苦しみではありません。
霊的のものです。
とはいえ、肉体もいくぶん、時には相当多くさえ、これにあずかります。
これは神と霊魂との間のきわめて快い愛の交換で、私は、私の言葉に信をおかぬ人々に、このお恵みを味わわせてくださるよう、主の御憐れみを切願しております。
・・・16世紀はキリスト教の半分がプロテスタントに移る時代で、これを阻止するにはこのような信者の体験談は有用で、彼女は聖女となります。
ベルニーニは、作品の除幕式で顧客と観衆の感嘆の声が湧き上がる・・・この一瞬が仕事冥利につきることでしょう。
20代から歴代の教皇や、ローマ市民を楽しませて来ました。
肖像彫刻は特にベルニーニの人気が高く、他国の国王でさえ依頼するのに四苦八苦、
・・・今回は縁あったヴェネツィアの顧客、名門一族に作品に登場して頂こうとリップサービスしたのでしょうか。
この礼拝堂の主祭壇は、奥の壁を壁龕(ヘキガン)のように削り、奥行きを出しているようです。
天井には空と雲、天使、隠し窓から得意の外光を取り込み・・・天空に昇天する仕掛け
そして・・・左右の壁が劇場の桟敷席になっています。
この人々は、コロナーロ家の人々で、依頼主の父は元ヴェネツィア総督、他に一族から枢機卿が6人、依頼主と合わせて8人が左右に。
左の画像が無い・・・。
この画像は、魅惑のローマ グラフィック社 1991年から拝借、
ここまで、周囲を鑑賞できると良いのですが、少し高い位置にあるので予備知識がないと・・・劇場の桟敷席まで礼拝堂なのです。
この教会には、聖女テレサのコーナーがありました。
ベルニーニは、コロナーロ家の礼拝堂の除幕式以降、この教会では、神様の扱いでしょうね
・・・そうでした、「天使と悪魔」でこの礼拝堂が「火」でしたが、聖女テレサの「天使の矢に火が・・・」とありました。
「火」の次は、「水」のようです。
新教皇は、鐘楼にひびが入った責任がベルニーニにあると追及したボッロミーニに、ナヴォナ広場の噴水を依頼していた。
この広場の噴水が、ベルーニーニの「四大河の噴水」案に突如方針変更となります。
さすがベルニーニと新教皇が一転して彼の才能を再認識、・・・今後とも何卒よろしく、・・・そこには、友人の援助がありました。
・・・急に気温が上がり、3分咲でしたが、この広場の大木は
青空をバックに、一斉にほころんで、咲き誇り始めました。
コロナ菌は天空に吹き飛ばし、まだふっくらと柔らかそうな花弁、雌しべと取り囲む雄しべ
子孫を残す、この自然界の法則に・・・何故か逆ら必要性が求められた一部の上級聖職者、
その結果、聖職者の異常な不祥事となって噴き出すことが度々あるようです。
お口直しに、華美な教会で思い出しました
ドイツ南部、ロマンチック街道、フッセンの近くに・・・ビース教会 世界遺産です。