気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

最後の晩餐

2011-09-29 | アート・文化

聖書を時々斜めに読んで約100日、宗教画と関連する部分を断片的に読んでいるので、全体像はまだはっきりしない。

イエスの活躍した時代(30年頃)を想像するには、・・・聖書ですか?

口伝を後に弟子が文書化した資料や、各地のイエス伝説を聞き取り、物語として書かれたのが貴重な資料のようです。

イエスの死後最初に発表されたパウロの書簡では、生前のイエスの話は書かれていないようです。

イエス死後20~40年後に最初の福音書(マルコの福音者)がまとめられ、その後マルコの福音書をベースにさらに時代が進んで20~40年後に書かれたであろうマタイ福音書、ルカ福音書があります。

一方、全体の流れに矛盾がないよう吟味されたヨハネ福音書も、イエスの死後約60年後の頃にまとめられたようです。

これらの資料には、出来事や話の内容が諸説書かれているので、当時のキリストの行動の記録・解釈を統一することはできず、新約聖書には教会で厳選された27の文書が収められています。

従って、これ以外の文書、福音書も存在するようです。

いずれにしても、当時の人々の苦労はとても想像できないが、ローマ帝国の支配下で大変な時代であったようです。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ1473年頃 「最後の晩餐」 イタリア ミラノ、サンタ・マリア・デル・グラツィエ教会食堂壁画 売店の画集より

あまりにも有名な「最後の晩餐」 ですが、登場人物の配置が長テーブルに一列とは演劇のようですね。

当時ユダヤ人の食事風景は、

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足を洗い、幅広長椅子の台に3人位で肩肘ついて横になる。そんな台がテーブルを囲んでいる、上のような食事風景だったようです。

最後の晩餐の日時:過越(スギコシ)の祭り(エジプト時代、神が起こした事件)当日とする説、その前日とする説があります。

最後の晩餐の場所:エルサレム市内、神殿の南西部、シオンの丘、マルコの母の家の2階

先程のレオナルド「最後の晩餐」は、・・・保存状態が悪く、剥落が多くみられる作品で、何とかしなくてはと、作品を洗浄して余分な加筆部を落とし修復された結果、1999年に蘇りました。

イエスのこめかみに釘を打った跡がある(遠近法の消去点)とか、食事は羊でなくて魚だとか話題を提供しています。

書籍で公開されましたNHKのCG(コンピュータ・グラフィック)で、描かれた当時の再現版を見てみましょう。

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「ダヴィンチ・コード」にもこの絵が登場しました。

イエスの右隣、画面に向かってイエスの左の人物はイエスの愛された人、定説はヨハネ、しかし、どう見ても女性にみえます! マグダラのマリアという説もあります。

ヨハネの福音書には、弟子ヨハネの名前が出てきません、「イエスに愛された弟子」が登場し、名前が特定されないのはどういう意味か? ヨハネはイエスに愛されたようですが・・・

どう思いますか?、裏切リ者とされるユダがその隣、一番弟子のペテロがイエスから3番目

この席順も謎を呼んでいます。作者、レオナルドの思惑は?

ペトロが右手にナイフを握りしめています。ユダは銀貨30枚の入った袋を握りしめています。

続いて、アンデレ、小ヤコブ、バルトロマイ(ナタエナル)が一番端。

イエスの左側は、大ヤコブがトマス、フィリポを抑えています。

そして、マタイ、タダイ、シモンのグループと各々3人セットの構図です。

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ヨハネの福音書では、ユダの裏切りは、ユダにサタンが入ったからだという。

簡単に説明すれば、イエスは周りの者に「父のもとに行くべき時が来た」と自らの死を予告し、裏切者が出てくること、磔刑になるが、3日後に復活し預言の通りに成就することを話すが、弟子たちには理解されていなかったとあります。

ヨハネ13章21 ・・・「よくよくあなた方に言っておく。あなた方のうちの一人が、わたしを裏切ろうとしている」

 22 弟子たちはだれのことを言われたのか察しかねて、互いに顔を見合わせた。

 23 弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が、み胸に近く席についていた。

 24 そこで、シモン・ペテロは彼に合図をして言った。「だれのことをおっしゃたのか、知らせてくれ」。

 「最後の晩餐」はこの瞬間をストップモーション、静止画にしている。

 25 その弟子はそのままイエスの胸に寄りかかって、「主よ、だれのことですか」と尋ねると。

 26 イエスは答えられた。「わたしが一切れの食物をひたして与える者が、それである」。そして、一切れの食物をひたして取り上げ、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった。

 27 この一切れの食物を受けるやいなや、サタンがユダに入った。そこでイエスは彼に言われた。「しようとしていることを、今すぐするがよい」。

 28 席を共にしていた者のうち、なぜユダにこう言われたのか、わかっていた者はひとりもなかった。

 29 略

 30 ユダは一切れの食物を受けると、すぐに出て行った。時は夜であった。

・・・・とにかく良くできた作品です。

このような福音書から真実を探そうとするのは無理があります、どう解釈しようかと努力する前に、作品がまとめられた時代背景、そして時の流れを考えると違って見えて来ると思います。

・・・信頼性がないとボツになった雑情報から、大きく違った展開を想像してみたいと思います・・・

ナザレのイエスと自称する人は存在したと思います。「神の子」発言をしました、そしてユダヤ教が見向きもしない弱者・罪人・女性に言葉をかけ、奇跡の業もされたようです。

しかし、弟子も12人となり、活動して1年も過ぎると、一部の弟子や信者から不満が出てきた。

イエスは「ユダヤの王」だという、王はダビデのように戦って自分たちの国を再興するだろうと期待して弟子になったのに、エルサレムには行かないし、戦う様子もない、期待外れだった。

ユダヤ教の布教では弱者の支持はあるものの、ユダヤ教の指導者、祭司達からも睨まれて、イエスを処刑しようとしていた。

展望が開けないと悟った賢いイエスは、「まだ時が来ていない」と話し動かないが、当然弟子たちは納得しない。

何とか名声を残す事ができないか・・・自分で予言をして、成就する、そしてやはり「神の子」と言わせようと考えるようになった。

そこで弟子たちに、「あなた方は私を何者だというのか」と聞くと、ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。

これを聞いたイエスは、ペトロを誉め、ペトロに天国の鍵を授けた。

そして、この時から自らの死と復活を預言し始めたとあります。

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ヴァチカン市国 サン・ピエトロ大聖堂内 聖ペトロ像

ペトロは哲学者の衣をまとい、大理石の司教座に座る。左手にイエスから受け取ったとされる天国の鍵を持っている。

弟子の中で神の国の話についてこられるのは、会計係もしていた優秀なユダだけであった。

そこでイエスはユダを呼び、秘密の特別の教えとして預言の内容と行動を具体的に説明した。

過越の日にエルサレムで最後となる晩餐をする。

その席上、弟子たちの前で、時は来た、この中で私を売り渡す者がいると予言する、・・・そしてユダ、あなたを指名するので、祭司達の所に行きイエスを引き渡しますと言って兵隊を連れて来なさいと役目を与えた。

晩餐後は、夜になるが皆と近くのオリーブ山の麓のゲッセマネの園にいるから・・・そこに連れてきなさい・・・と。

(明りのない真夜中に、山裾で静かに寝ていた弟子たち、・・・事前の打合せがなければ、イエスは見つからないでしょう)

その後のことは心配しなくて良い、裁判にかけられ磔刑になるが、三日後に復活する手はずになっていると説明した。

そして最後の晩餐が始まり、イエスが言う「あなた方のうちの一人が、私を引き渡そうとしている。」

・・・

更にイエスは、パンをユダに渡すと、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と告げた。

レオナルドの最後の晩餐、・・・ナイフを持ったペトロは、”裏切り者は誰だ!” 他の弟子たちも誰ですか? ユダが何をするのですか?・・・とはならずに、弟子たちはあまり関心を持たなかったのでしょう。

その後、ゲッセマネで弟子たちは起きていなさいと言われても寝てしまいましたとあります。

キリストは、多分筋書き通りにうまくいく・・・そして死んだ後に名声が残るのを期待したのでしょう。

・・・神の子は復活して・・・すべての預言は成就される・・・、イエスは、まさに救世主・メシアとなり永遠にあなた方を見守ることができることを発見したのでしょう。

・・・復活の役目は誰に・・・

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気になる聖母マリア

2011-09-16 | アート・文化

イエスの誕生を知って、東方の占星術の学者たちがユダヤの王・ヘロデ王に謁見にやってきた。

彼らは、謁見すると ”「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」”と尋ねた。マタイ書2・2 

これを聞いたヘロデ王は、もし本当ならば自分の地位が危くなる、不安になるが何食わぬ様子で「その子供が見つかったら知らせるように。自分も言って礼拝するから」と答えた。

学者たちは、星に導かれてイエスのもとに至る。そして贈り物として黄金、乳香、没薬(モツヤク)を捧げた。

礼拝を終えた彼らは、夢で「ヘロデのところへは戻るな」というお告げを受けたため、別の道を通って帰って行った。

この物語が「東方三博士の礼拝」として、多くの画家によって描かれている。

画家は、教会などの依頼主から題材を指定されて受注することが多い。

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サンドロ・ボッティチェッリ 1475年頃の作 サンタ・マリア・ノッヴェッラ教会内の祭壇画

ウフィッツィ美術館蔵 ウフィッツィ美術館 公認ガイドより

フィレンツェの有名人がモデルとして登場している。

三博士は、イエスの足元にいるのが老コジモ、右短い黒衣装がロレンツォ、左端、ジェリアーノ・デ・メディチ、観客として右端で目線がこちらにの人物が、ボッティチェッリ本人である。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ 1481~82年頃未完の作品 ウフィッツィ美術館蔵 ウフィッツィ美術館 公認ガイドより

246cm x 243cm と大きい。1481年にサン・ドナート教会のアウグスティヌス修道会が発注した。しかし、レオナルドは、未完のまま翌1482年にミラノへと向かってしまう。

透視図法で複雑な構造、背景の廃墟は、キリスト誕生によって廃れていった異教世界を暗示するものとして描かれている。

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レオナルドが未完のままミラノに旅立ち、フィレンツェに帰ってこないのでアウグスティヌス修道会は1496年フィリピーノ・リッピに依頼した。

フィリピーノ・リッピとその協力者 作  ウフィッツィ美術館蔵 ウフィッツィ美術館 公認ガイドより 

この作品にも当時の実在人物が登場している。

左側、ピエル・フランチェスコ・ディ・ロレンツォ、その背後に長男ロレンツォ、次男ジョヴァンニ

以上 3人の画家による「東方三博士の礼拝」

・・・聖母マリアを見てみよう・・・

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ミケランジェロ・ブオナローティ 作 1507年頃 「トンド・ドーニ」 ウフィッツィ美術館蔵 ウフィッツィ美術館 公認ガイドより 

「トンド・ドーニ」:ドーニ家の円形画 (聖家族と幼い洗礼者聖ヨハネ)ドーニー家の依頼品

聖家族:ヨハネ、イエス、マリアが螺旋状に絡み合っている、その背景に裸体の若者5人

ギリシャ彫刻がモデルか?・・・幼い洗礼者ヨハネは?・・・右端に胸から上だけ描かれている子供がそうだ。

円形画は額縁の円形部分にもキリスト、天使、預言者が彫られている。

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ラファエッロ作 「ヒワの聖母」  ウフィッツィ美術館蔵 ウフィッツィ美術館 公認ガイドより 

1505年 商人ロレンツォ・ナージとサンドラ・カニジャーニとの婚姻の際に発注された。

膝の間の幼子がイエス、その隣の洗礼者ヨハネが手に持っているヒワ鳥をなでている。

聖母マリアを描かせたらNo.1のラファエッロは、1520年37歳で亡くなる。女遊びが過ぎたようで・・・

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パルミジャニーノ作 「長い首の聖母」(聖母子と天使と聖ヒエロニムス) ウフィッツィ美術館蔵 ウフィッツィ美術館 公認ガイドより 

パルマのセルヴィ教会のために制作されたが、未完のまま1540年この作者も、若年37歳で亡くなる。

右下に小さな人物が立ち、その右横にも描きかけの足首だけが、階段に当作品が未完成のままであることが記されている。

ルネッサンスの巨匠レオナルド、ミケランジェロ、そして少し遅れてラファエッロ、彼らによって高度に完成された絵画・建築は芸術になった。

彼らのスタイルを乗り越えるのは難しい・・・

パルミジャニーノ (1503年~1540年) ルネッサンス後期、・・・そこで少し新しい手法を・・・官能的な様式美を追求しよう・・・首長もありでしょう!

もうすぐ後の人がいうバロックの時代が近づいていた、そしてカラヴァッジオがベルニーニが活躍する時代だ。

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聖書のPRがやってきた

2011-09-15 | 日記・エッセイ・コラム

ピンポーン!・・・セールスはお断り!「聖書の配布が目的」といわれる団体の方のようでした。

キリスト教に入会する予定もないのでお断りをしたら、パンフレットを置いて行かれた。

・・・どんな文言で聖書をPRされているのでしょうか。(団体名は伏せましょう)

表紙に大きく 「聖書の福音」 とあります。福音(フクイン)とは良い知らせらしい。

神の御子(ミコ)イエス・キリストによる救い

「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい」 マルコの福音書1・15

「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれ、また葬られ、また聖書に従って三日目によみがえられた」 コリント人への手紙 第一15・3~4

・・・今年、ヴァチカンでお会いしたローマでは有名な日本人某女史、筋金入りのカトリック教信者の言葉が思い出された。

”イエスが預言通り三日目に復活された! これが重要なことなんですね” と言われたことが・・・、復活を固く信じていらっしゃるの?

さて、パンフレットの中身を見てみると、見出しが15項目、順番に見て行こう。

1.唯一の神

唯一の神は天におられます。神は、天地万物を創られ、人をも創造されました。人の命とあらゆる恵みは神から来ています。「わたしは、あなたの神、主である。あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」

世界は大昔から多神教でした。夜の闇から抜け出した太陽(朝日)に祈り、狩猟や収穫の後には無事を感謝し山の神に祈り、食べ物がまた収穫できるようにと各方面に感謝の気持ちで祈る。

これはごく自然の成り行きでしょう。無事日々生きるには感謝の気持ちで・・・、不安な時には超常現象の主に静まるように祈った。

多神教を認めず、我が神のみを崇拝する!・・・一部の宗派間で争いが起こる最大の要因は、一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)にあると考えます。同類の他の神を認めない、尊敬も、感謝もしない、異教と敵対する・・・困ったものです。

なぜ、洗礼が必要なのか?団結の証か?判断もつかない年少の子供を洗脳して・・・世の中を広く知り、改宗しようとすると結構大変らしい。・・・親にも責任はあるのでしょうが・・・、

2.人の罪

人間の祖先が神に背いたため、人はすべて罪あるものとなりました。そして、死んだ後に罰を受けることが決まっています。

これは、ユダヤ人の神がユダヤ人に対して話していることなので、ユダヤ人とキリスト教を信じる人以外は関係ないことですが、

しかし、身近にいるキリスト教の信者の印象は、心根が優しく、素直で、善人ばかりだが、このような聖書の物語を疑う気持ちは皆無なのでしょうか?

少し聞いてみました。・・・よく中身を知らないが、小さい時から信者という人が多かった。

人は皆悩んで大きくなった! しかし悩み事から逃れるために判断を教会に預ける。

悩みの根源は、生を受けた時から罪を負っている? 懺悔し、自分で判断することを返上し、神の教えに従い、精進し天国に行けますように? そうなの? ・・・ 暗い xxx。

縁あって生を受け、縁あって人々と出逢い、社会の構成員として歴史に登場している。

現世で、生きがいを見つける、生きていることは素晴らしいことだ、社会に貢献する喜び・・・

を説くのは間違い?

聖書の教えは、・・・死んだ後に罰を受ける!・・・ これって、弱者(信者)に対する脅迫ですよね。

3.降誕

神は、人間を深く愛しておられるので、ご自分の独(ヒト)り子イエス・キリストを人類の救い主として世に遣(ツカ)わされました。イエスは、神でありながら人間となって、この世界にお生まれになられました。

イエスが磔刑になり、その後数十年たった頃、口伝を文書化し新しい聖書を編集するに当たり知恵者が考えた。

イエス・キリストを神聖化するには、イエスの母も一般人では困る、罪人になる、どうするか。

(イエスの母は罪があってはならない)→だから、人であってはならない→人でないとすると母はどうしてこの世に?生誕が問題になる→話が難しくなる、母は特別な妊娠をした・・・しかし相手は?・・・神は簡単に人を創れるから除外、人間でなく、神そのものでもない→また新規に創作しよう・・・精霊? 次々に良く考えつきますねー。他には、天使も登場させよう。

神の使い 天使の登場!・・・神と人間の間に、新しく天使を創作し登場させることにより、物語の展開は好きなようにできる。

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「受胎告知」 ウフィツィ美術館 レオナルド・ダ・ヴィンチ作 1472年頃 「ルカ福音書」をベースに、

左の天使ガブリエル、右手の2本指:祝福のVサイン、左手、見にくいが白いユリの花:純潔

宗教画を描くのにも、いつしか約束事が出来ていたようで・・・マリアの純潔・処女懐妊

物語は、マリアを説得したとして、婚約中の夫にも手を打たないと不自然と追及される・・・そこで、この部分は、「マタイ福音書」でフォローしましょう。

大工の夫「ヨセフ」も重要な役割として、ダビデの血を引く家系図に登場させましょう。

神が天地創造の後、アダムを創った。アダムは930年生きた、家系図はこの後18代でダビデとなる。

ダビデからまた18代で大工ヨセフとなったそうだが、血筋の良いヨセフもイエス生誕前後しか話題にならないようです。

いずれにしてもダビデの血統となったヨセフにも天使ガブリエルがマリアの妊娠を知らせる。

納得しないヨセフ、そこでヨセフの夢の中にも再度ガブリエルが現われ「マリアの相手は聖霊と言う」・・・物語を単調にしないで、良くできた話です。

当時はこれでよかったのでしょう。

イエスの死後、新ユダヤ教の普及にはイエス・キリストを人間を超越した存在にする必要があり、そして関係者も神話になるように苦労された・・・。

そして時が過ぎ、ベツレヘムでイエス誕生、飼い葉桶のシーンに続く。

聖書には、イエスの誕生日12月25日と書いてある?・・・これ程詳しく、見てきたかのように書いてあるのに、イエスの誕生日はどこにも書いてないそうですよ。

神イエス・キリストの誕生日、弟子たちが勝手に決めるには・・・そこまでは越権行為で勇気がなかった?

12月25日としたのは4世紀中~末頃のようです。

ベツレヘムに長くいるとイエスの物語を延々と展開しなければならない。

面倒だから、時のヘロデ王が東方から来た学者に「ユダヤ人の王として生れた方はどこですかと聞かれ、王は自分の地位が危なくなると思い「2歳以下の男の子をすべて虐殺する命令」を出す。

物語的には、この命令が出る数日間前が、イエスの生まれた日ですよ、宿屋が満室でそんなに長くここにはいないでしょう。

急いでヨセフ、マリア、イエスの家族はベツレヘムから逃避行する。

生誕の痕跡は残したからエジプトへ向かう。そしてイエスの物語は途絶える。

イエス生誕の状況は、あれこれ物語にされているが、その後これだけ有名な人の消息がほとんど残っていない。(ルカ福音書に12歳の過越祭の話が1件)

・・・弟子たちが色々想像したが、自慢できるイベントが思いつかなかった?

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「聖母子と天使」ウフィツィ美術館 フィリッポ・リッピ作 1465年

ルネッサンス初期、このような自由な聖母子像が描かれ始めた。

大工の嫁は、ファッションも最先端、宗教画も変わり始めた。

モデルは修道女、そしてリップは修道僧、その後二人は駆け落ちし、困難があったが妻とする。

4.福音(フクイン)

イエスは、およそ30歳になってから、ユダヤの国の町や村を弟子たちと巡り、人々に天の国について話されました。また、権威ある言葉を持って悪霊どもを追い出し、病人たちを癒し、死んだ人を生き返らせました。

残念ですね、他の物語には何年何月どこで誰と誰がと詳細に書かれているのにイエスは、およそ30歳になってから、? 

やはり、新約聖書を書かれた当時、イエスの出生がハッキリしていなかったのでしょうね。

イエスは、突如現れた無名の修行僧だと思いませんか・・・

Photo

「イエスの洗礼」 ウフィツィ美術館 アンドレア・ヴェロッキオ作 左端の天使と背景の制作は、弟子レオナルドとされる。

イエスは、荒野で断食など修業をした後、生まれ故郷ナザレの近く、ガラリア地方で布教を始めます。

キリスト教の布教? No もちろんユダヤ教

当時のユダヤ教は、エルサレムにおいてラビ達が多い「パリサイ派」は厳しい律法厳守主義を主張し、祭司や貴族が多い「サドカイ派」はそれらを信者に押し付けていた。

律法に背く人も多く、また底辺の人々はユダヤ教から見向きもされず、病気や飢えに苦しむ人、罪人、迷える人こそ救われると説いたイエスは、安息日にも働くことを許した。

イエスは、神の子と名乗り、神の国の到来は近い、人々を励ましたのでまたたく間に信奉者(シンポウシャ)が広がった。

エルサレムを支配しているパリサイ派にも名声が届き、イエスの名は天下に知られるようになり、権力者から迫害を受ける予感がしたが、エルサレムに乗り込み布教をする決断をする。

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「イエスの変容」 この絵は、サン・ピエトロ大聖堂の祭壇画、但しモザイク画です。

原画はヴァチカン美術館 ラファエッロ・サンティ作 1520年

タボル山で神に出合ったとされる、死と復活を予言した6日後のこと。

マルコとマタイの福音書で続けて語られている2つのエピソードが描かれている。

上部は法悦の場面、中央がイエス、両脇はあの十戒のモーセと預言者エリア、イエス変容の姿、光り輝く場面が普通のようですが、この絵は浮揚している、下部は、悪霊に取り付かれた子を癒す場面。

当時のエルサレムのイラストが下記。現在は旧市街で、金のドームから聖墳墓教会

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雑誌ネイチャーから

最後の晩餐、イエスの磔刑・・・そして復活を別途考えてみようと思います。

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