気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

金沢から白川郷へ

2014-07-31 | 旅行記

喧騒から離れて、ここは金沢市内の武家屋敷跡・・・

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兼六園から祭りで渋滞する中央通りを進み、やっと目的地近く・・・次を右折とカーナビが指示するが、脇道が狭い、見通しも悪く・・・やり過ごす。

先の路地・・・また右折の指示・・・ここも狭い、大回りしてやっと次の交差点を右折する。

狭い小道を進む、この付近には駐車場が無い・・・鞍月用水(クラツキヨウスイ・江戸時代初期に築かれた)に突き当たり、用水に沿って右折するとまた渋滞に巻き込まれた。

ノロノロ走ってやっと繁華街の駐車場に入れる。

駐車場から徒歩数分、鞍月用水の西側にこの様な静かな街並みが残っている。

加賀藩の上・中級武士が暮らしていたところで、土塀と瓦屋根、石畳、・・・直線とT字路の組み合わせ。

見通しが良く整然とした小路だが・・・この雰囲気は、・・・T字路の左右は見通しがきかない・・・土塀の左角から侍が飛び出してきた・・・

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この様な街並みは、緊張感が漂います。武家屋敷という先入観も影響していますが・・・

曲がりくねって自然に出来た道の両側に、・・・この様な導入路があり、その先に玄関があると

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この玄関までの空間が自然であり、安らぎになる・・・(ここも武家屋敷界隈ですが)

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当時の面影が残る武家屋敷の街並みだが、屋敷の中には、今日では画廊や店舗として営業されている所も多い。

・・・金沢は、お城を中心に東を浅野川、西に犀川(サイガワ)が流れている。

川の外側に武家屋敷とは雰囲気の違う茶屋街があります。

こちらは犀川の西にある西茶屋街、(浅野川の東には東茶屋街が,あり、近くに主計町茶屋もあるようです)

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西茶屋街の範囲は狭いが、現在でも営業中の茶屋は5件、芸妓さんも20人以上と元気な様子。

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江戸後期、1820頃茶屋街がつくられたそうです。

朝は静かな、二階建て格子の街並みが、・・・夕方になるとあちこちから三味の音が聞こえてくるのでしょう。

・・・近くの犀川に沿って10㎞くらい北上すると・・・日本海・・・金沢港があるはずです

金沢の海、海産物を探しに行こう・・・

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北陸の有名都市の港は、北前航路で大繁盛とのイメージを持っていたが、この金沢港は思ったより〇△でした。

堤防で釣りをしている横を貨物船が出て行った。

AM9:00 みなと会館の魚市場が商売を始める時刻だ。寄ってみると、元気な掛け声・・・まだ水揚げ待ちのところもあるが鮮魚以外の加工食品・干物も多い。

のど黒(赤ムツ)を探す。15㎝クラスの小物から並んでいたが、のど黒だけは値引きに応じない。

高級魚、脂がのった魚でグラムで販売しているとか。鮮魚は持ち帰るのが大変なのであきらめ、干物にする。

あちこち散策して、・・・昼食は、高速を飛ばして次の目的地にしよう。

金沢森本IC から北陸自動車道に入り、富山方面に10分くらい走ると小矢部栃波JCTとなる。

東海北陸自動車道が交差しているので名古屋方面に南下する。

のどかな道路を進む、ここは富山県、砺波(トナミ)・・・必ずゴールデンウィークにTVが放映する・・・チューリップで有名です。

南に山を抱えた平野には、日本海からの横殴りの寒風を避ける「カイニョ」で囲った民家がモザイクのように散らばっている。

・・・この付近からの映像を記録したSDカードがどこかに紛れて見つからないので、・・・画像割愛で。

車は南に進んでいるので、左前方に北アルプス(飛騨山脈)の雄大な山々が連なっている。20分も走ると南砺波、左右、前方と山が迫り間もなくトンネル。

この山の向こうが五箇山・・・この付近も豪雪地帯で合掌造りの集落があり(相倉:23棟、菅沼:9棟)、世界遺産に指定されている。

五箇山ICから白川郷ICまでは、トンネルが6つ、トンネルは2本貫通しているようだが運用は1本のようで、片側2車線がトンネル部で1車線と狭くなり、センターラインが赤いパイロンで仕切られている対面交通となる。

トンネル出ると陸橋、谷を渡り正面の山のトンネルに吸い込まれる・・・この繰り返しで飛騨白川PAに出た。

このすぐ先が白川郷IC、ここで降りよう。

斜面の高台を走っている高速から、Uターンするように斜面を下って国道に降りる。

国道は庄川に沿っているので上流に向かうと集落になるが、途中で国道をそれて右折、白川スーパー林道に入る。

山麓を数百メートル登ると道路左の崖下に木立の間からこのような風景が・・・

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川の向こう側に・・・合掌造りの集落が集まっている、さらに上流の街外れの一角では

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観光バスが集まっている、時刻は12時半、食事やお土産の店でしょう。手前の坂道は河川敷の臨時駐車場につながっている。

集落の全景を見ようと登ってきたので、白山スーパー林道には入らず、ここでUターン。

国道に戻り川を渡り、合掌造りの集落に入る手前でまた国道をそれる。

左に大きく曲がる坂道を(越中西街道)数百メートル登ると、右手の高台に進む狭い小路がある・・・この先は私道と思われる、観光バスや一般の自家用車で渋滞する。

すれ違いが難しい道路幅の道で、鉢合わせした車の後ろに更に車が張り付いて・・・(多分行楽シーズンは、利害関係者が整理人を出すと思いますが)バック・・・バック

この高台の先端に、営業施設があります。私有地に駐車場があり、食事・お土産など

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そして、展望台・・・観光バスの定番、皆様集合!・・・ハイ、チーズ

このような景観を見ることができます・・・有名な撮影ポイントです。

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屋根は本を伏せたような形で、急な勾配が特徴です。皆こちらを向いていますが、こちらは北側、南北に吹く強い風が屋根に当たらず、東西に面した屋根は太陽光が多く当たり融雪効果が考えられている。

この崖を少し下るか、下から登ると萩町城跡(展望台)があります。

さて、渋滞にはまらないよう、下の国道に戻ろう。

今日は日曜日、そんなに観光客は多くないだろうと思ったが、合掌造りの集落に一般車は乗り入れできず、萩町交差点で係員にバイパス(国道)へと右折を強要され、川を渡り河川敷のせせらぎ駐車場に誘導された。(今年の春から一般車は旧道に入れないようです)

ここも観光地化していて合掌造りがチラホラと、食堂・土産物や案内所・トイレなどがある。

庄川を吊り橋で渡って、合掌造りの集落へ

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民芸品店が、お出迎え

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旧道を渡ると、屋根が傷んできた鐘楼と明善寺が・・・

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門の前の小道を左に進むと、江戸末期に建立された明善寺庫裡(クリ)があります。

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僧侶の居住などに使用され、屋根裏が何層にも利用できるので、この建物は五階建て、左の案内板には、高さ15m、当村で一番大きな合掌造りですとあります。

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案内板で、集落の配置を確認

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切妻(キリヅマ)造りの屋根裏に、窓を開けて初夏の風を通しています。

・・・裏の家屋は入母屋(イリモヤ)造りのようです、この様式が広く日本各地に普及していた。

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この地区は、もちろん従来通りの建屋で生活を続けながら、観光での活性化を目指されているのでしょう。

田舎の村社会は他人の目があり、人間関係が濃く、更に観光客の目が365日注がれる・・・人に見られる事で、人間性を磨かれておられるのでしょうか?

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更に小路を左(北)に進むと、ふる郷(サト)長瀬家の看板があり、内部を公開(有料)されている。1階に500年位前の仏壇など、3・4階には昔からの生活用具などの展示。

平成13年に茅葺屋根の葺き替えがあり、約500人のボランティアが作業したビデオが放映されているとのことでした。

さて、旧道に向かう途中で北の方角を見ると、このような景観になります。

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田植えが終わった日本の初夏の風景、トタン屋根の家々が並び、茅葺の家屋が多少残っている。

この地区の写真にはふさわしくない?・・・少しアングルを変えましょう。

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用水が流れ、歴史を感じる茅葺屋根が配置され、いつの時代でしょう。

ところで、画面中央に尾根と思われる高台があります、・・・切り開かれた木々の間には建物が・・・

この高台から先程団体客がこちらを見ていました・・・展望台です。

・・・神田家・和田家など大きな合掌造りの家の横を通り、旧道に戻るとお土産屋さんが並んでいる。

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集落を迂回するバイバスが完成したのが1992年、白川村の発表によると

1992年の年間宿泊者が約11.3万人、日帰り客が57.3万人。

・・・世界遺産登録が 1995年12月9日

1996年の年間宿泊者が約13.3万人、日帰り客が88.6万人。(若干日帰り客が増えた)

・・・高速道路全線開通 2008年7月5日

2009年の年間宿泊者が約8.8万人、日帰り客が164.3万人。(3月28日からETC:1000円高速)・・・交通の便が良くなれば・・・日帰り客が倍増し、宿泊客が減少。

2012年の年間宿泊者が約6.9万人(内外国人 7千9百人)、日帰り客が131.0万人(内外国人 8.1万人)。(1000円高速、前年の6月19日終了)

2013年の年間宿泊者が約7.6万人(内外国人 1.47万人)、日帰り客が135..0万人(内外国人 13.4万人)。

食事をしながら考えた、この旧集落にも民宿などが10数件ありますが、やはり観光の中心になるのは日帰り客、・・・滞在時間は?・・・食事-お土産品の店がいかに繁盛するか、その結果、地産の食材の利用が伸びるか・・・気になります。

当方、日帰り客・・・2時間半の滞在で午後3時、東海北陸自動車道を利用して飛騨清見ICまで南下しよう。約25㎞

驚くことにほとんどがトンネル、・・・調べてみると何と10個、・・・飛騨トンネルは長さ10.71㎞、危険物積載車両は通行禁止だった。

このトンネルの走行は苦痛だった。80㎞~90㎞で車間距離を取りながら、パイロンに接触しないように、・・・大きなカーブもアップダウンも少なく変化に乏しい状況で・・・

20分走って、飛騨清見JCTが近づく・・・さてスローダウン、

走行中の東海北陸自動車道は、愛知県一宮で中京圏に接続するが、中部縦貫自動車道がこのジャンクションから分岐し、高山市経由長野県松本に向けて建設中だった。

最新のナビだが(昨秋のデータ)目前の600m先、飛騨清見ICで一般道に降りるよう案内している。

飛騨清見ICで、その先が通行止めになっていないので直進する。この先ナビの高速道路は大半表示されないが(高山清見道路)工事中の道路はよくあること。

片側一車線の対面通行が続く。ここも山間部・・・小鳥トンネルも長い(4.35㎞)

高山西ICを過ぎて、トンネルを3つ抜けたら終点高山IC・・・分岐してから15㎞位の無料区間は大半が下り坂だった。

将来は長野県松本市まで延長され、中央自動車道に接続する予定

・・・高山からは、一般道の158号を松本まで走ろう。

平湯(上高地への入り口)から安房峠(アボウトウゲ)を越えて中ノ湯までは、10数年以上前に安房峠道路として有料トンネル(5.6㎞)が完成しているので便利になった。

このトンネルが中部縦貫自動車道として利用されることになる。このトンネルは何度か利用しているので、今回は山道を走ろう。

ここが安房峠、前方は初夏の穂高岳・北アルプスの山々でしょう。

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霧や雲がかかると何も見えないのですが、苦労するとこのような眺望に出逢います。Dsc_08491

標高1780mの案内板があります。・・・山裾から爆音が聞こえ始めました。ラリー同好会かな?・・・近づいてきた。

追いつかれる前にヘアピンカーブが連続する(多分11個くらい)長野県側に下りよう。

AWD(all wheel drive 全輪駆動・総輪駆動)別名4WD(4駆)タイプはスリップが少なく、回転半径も小さいし、別に横滑りを押さえる装備もあったはず。

山道は嫌いでもないし、下りはパドル操作でシフトチェンジ・・・シフトダウンの練習にもなるかな・・・。オヨヨ、追いつかれてしまった。多分2台だろう。

少しスピードを上げて、タイヤを多少きしませ、・・・対向車も少なく、思ったより車の操縦もしやすく、多少後続に差をつけて、・・・あっという間に、中ノ湯の合流地点が見えてきた。

松本から中央自動車道で帰るのが普通だが、・・・小仏トンネル・・・八王子、何度となく渋滞に巻き込まれ深夜になったことも。

小雨模様だから山を越えて佐久に向かうのは中止して、北回りで上信越自動車道から関越で帰宅しよう。

・・・小諸付近から土砂降りになる、・・・日曜の夜、雨の関東平野は交通量が少なく7時には三芳PA、食事をしてユックリ帰宅、・・・走行距離?・・・1,000㎞強でした。

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兼六園が開放日だった

2014-07-06 | 旅行記

信州中野IC を11時前に乗る。信越自動車道を北へ

高速道路周辺の風景は、・・・わき見運転に興味を持たせないように・・・? こんな風景とトンネルが続く

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約60㎞、30分も走ると北陸自動車道と交差する上越ジャンクションに、・・・ここからは西に、日本海に沿って南下する。

日本海を見ながら走れるかな・・・と期待していたが 、トンネル、シェルター、トンネル、トンネルと、この道路も退屈なドライブが続いた。

糸魚川を過ぎ、海岸線に近づいて、多少海が見えたのが 子不知(こしらず)、親不知(おやしらず)地区・・・この付近が、越後と越中を分断していた北陸の箱根峠でしょうか。

地名の由来の一説に、峠越えの難所で子を波にさらわれた悲劇の親子連れがあるそうです・・・ここの人達は郷土の地名をどう思っているのか・・・気になった。

海岸線の断崖絶壁は、国道8号を走れば体感できるのでしょうが、高速道路は海上に張りだす形の高架橋でした。アッという間に通り過ぎてしまう。

今日では、この海岸へ張り出した難所から2~300m先(富山寄り)には、高架の下に駐車場があり、海岸線には親不知海水浴場があります。

1㎞先が親不知IC、ここで一般道に降りてみるのを忘れて、・・・気が付くとまたトンネル。

トンネルが続き、目の前が開けたら・・・富山県、そして黒部川を渡り、上越JCから110km、1時間弱で富山ICで降りる。

国道41号を1㎞くらい走り、右側に海鮮市場があり、市場のショッピングと昼食。

富山駅前付近はかつて散策済みだし、ドラえもんトリムは、隣の高岡市だった・・・

金沢に急ごう・・・再度北陸自動車道で30~40分、金沢森本ICで降り、山側環線(金沢外環状道路)を10分も走り、右折して市内に入り5分、交通整理のお巡りさんが多い。

兼六園下交差点、左折、石川県兼六駐車場に車を入れる。

駐車場の道路反対側に、石川県観光物産館がある

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物産館の右横が兼六園交差点、ここを左折した道路に・・・警官が多い、有料観覧席の看板が目立つ。

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・・・第63回金沢 百万石まつり 金沢城入城行列 午後2時から・・・

3時少し前だが、行列は城の反対側金沢駅がスタート、先頭がこの地点に来るのは3時半頃かな?

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行列の主役はこの人 、加賀藩祖 前田利家

さて、隣の兼六園、庭園を拝見しよう。案内板は左が北、観覧席があったお堀通りを挟んで 金沢城が下側に、兼六園が上に書かれている。

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現在地は案内板の中央(上側の兼六園の左端)・・・桂坂口 です

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入場券売り場、¥310- 何かうれしい貼り紙が「遠路はるばるご苦労様です。本日は無料開放です。ご自由にお入り下さい」

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ありがとうございます。兼六園の横にかわいい桂坂の立札が案内してくれた。

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桜の時期に訪れたい桜ヶ岡を抜け眺望台へ、市内が一望できる・・・そして、庭園内を見渡すと、・・・月見橋から霞ヶ池方向

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趣のある構成になっている。

ここ兼六園のHP(ホームページ)に

「庭園では六つのすぐれた景観を兼ね備えることはできない。広々とした様子(宏大こうだい)を表そうとすれば、静粛と奥深さ(幽邃ゆうすい)が少なくなってしまう。

人の手が加わったところ(人力じんりょく)には、古びた趣(蒼古そうこ)が乏しい。

また、滝や池など(水泉すいせん)を多くすれば、遠くを眺めることができない」

と中国、宋の時代の書物「洛陽名園記」には六つの景観が共存しているのは湖園だけだと記されている。

・・・「この六勝(ろくしょう)を、兼六園が奥州白河藩主・松平定信によってその名を与えられました」・・・とあります。

この構図の中に 六勝、感じられますね! 

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大きな池に小島、手前に小さな橋、灯籠があり・・・

徽軫灯籠(ことじとうろう)と名前がついていました。高さは、2.67m

徽軫・・・読めないですね。琴柱(ことじ)に似てるところからついたそうです。

琴柱(ことじ):和琴の場合、胴の上に各弦に「人」の字形の具を立て、弦を支え音の高低を調整するもの。

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灯籠の足が二股でこの琴柱に似ていたから・・・和琴では柱を(じ)と読み琴柱(ことじ)と読む。

それで、更に類似の文字を当てたのでしょう・・・

徽も琴の節、弦を押さえる所を示す印、また支える台(ことじ)のこと、軫は琴の弦を巻いて調整する軸木のことを指します。(広辞苑より)

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ここ兼六園の中心となる池、霞ヶ池(1837年)広さ5800㎡、池の中の島は、蓬莱島(ほうらいじま)といい、不老長寿をあらわしており、また亀の甲の形をしているので、別名、亀甲島ともいう。(案内板)

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先程の 徽軫灯籠(ことじとうろう)の反対側、 内橋亭横からのパノラマです。

右側の大木をアップにしましょう。左下の案内板は、合成です。

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「唐崎松(からさきのまつ)13代藩主 前田斉泰(1822~1866)が琵琶湖の松の名所、唐崎から種子を取りよせ育てた」と記されています。

枝ぶりが見事な松で、11月1日から雪吊り作業が始まると、必ずTVで放送されます・・・あの有名な松です。

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 「蒼古そうこ」・・・時が流れると苔生して、「人力じんりょく」の跡も自然に呑み込まれ・・・いや!

ここは、管理されているからこのような素敵な状態が保たれているのでしょう。

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ここは「瓢池ひさごいけ」、池の中程がくびれて、瓢箪(ひょうたん)に似ていることから名づけられた。

池の中には不老長寿の島、神仙島をかたどった大小二つの島がある。

右の六重に重ねた塔が「海石塔」、加藤清正が朝鮮から持ち帰り」秀吉に献上し、秀吉から贈られた石塔と言われています。

中央奥の滝は、翠滝(みどりたき)、霞ヶ池から流れ出てくるので水量も豊富、高さ6.6m、幅1.6m

紅葉時に訪れるのもお勧めで、別名「紅葉滝」とも・・・。

・・・曇天の空に、パレードのにぎやかな音が聞こえてきた。時刻は3時半、・・・最後に噴水を・・・

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この噴水も霞ヶ池が水源で、水柱の最高点が霞ヶ池の水面と同じ・・・高低差を利用した自然の水圧で噴出しています。日本で最古の噴水と言われています。

・・・蓮池門通りから、にぎやかな下のお堀通りを

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ブラスバンド隊やバトン隊のパレードが進んできました。

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オッと、・・・危ない。

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大丈夫、危ないシーンはカット。

ミス百万石のパレードに続いて、獅子舞行列(市内5団体)

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子供、赤ちゃんが泣き叫び、お母さんが大喜び・・・

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加賀とび行列、木遣隊

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尾山神社御鳳輦(ごほうれん)・・・(聞きなれない言葉で)・・・つまり、鳳凰が乗っている神輿(みこし)で、利家公の御分霊の渡御(とぎょ)?・・・(神輿が進むこと)、目の前を通り過ぎました。

次々に行列が進み、兼六園下の交差点近くでは、5回目の演技が終了すると兼六園側に大きくUターンして、

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写真左端の公園に向かう坂道を上り、写真中央右上の石川橋から、金沢城公園(三の丸広場)のステージへと進みます。

利家公が武者を従え入城し勝ち鬨(どき)をあげる入城祝祭が午後6時まで続きます。

ホテルを6時チェックインにしているので、この辺で散策に行こう。

 

 

 

 

 

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