気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

1501 志賀高原 YAKEBI スキー場パノラマコース

2015-03-26 | 日記
1501 志賀高原 YAKEBI スキー場パノラマコース
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志賀高原 焼額山スキー場 パノラマコース滑走をYouTubeに

2015-03-26 | ブログ
梅が散り、桜の季節になると黄砂が飛んできて、三寒四温で冬の北風・・・
そうだ、動画の編集が途中だった。

春分の日、横浜港が見渡せる高台の墓地で、昨秋亡くなった叔父の墓前に手を合わせ、・・・ご自宅から、遺言で頂いた物を車に積み込んだ。
思っていたより大きかった。
10年前に関心を持ち、著名な方のビデをを録画してあったが・・・大きいことは大変なことだ。
東南に面したベランダを整理して、何とか仮設置。

The BONSAI
松葉が長い、幹が荒々しい・・・黒松 模様木

これは、黒松 直幹 と呼ばれる

少し繊細さも持ち合わせた 五葉松
大昔、結婚式場からプレゼントされたが、いつの間にか枯れてしまった・・・そんな記憶がよみがえった。
盆栽を鑑賞するのも好きだが、木づくり・管理するのは無理、特に松柏盆栽、中でも黒松はと思っていた。
まだ数日だが、毎朝朝日を浴びながら盆栽を前に故人を思いだしている。

春スキーのシーズン真っ最中!
取り合えず、志賀高原の焼額山スキー場 パノラマコースをYou Tubeのアップしました。
1501 志賀高原 YAKEBI スキー場パノラマコース

雰囲気が伝われば幸いです。
http://youtu.be/-qLD2nlaNCY
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苗場 Ski Area

2015-03-14 | 旅行記

なに、これ・・・ 砂糖に蟻?、虫?、ホテルからの正面山麓の中央を切り取るとこんな風景です。

直ぐ近くのゲレンデでは、ファミリースキー教室です。・・・昔の懐かしい光景です。
2月27日は天候が悪かったが、28日(土曜)は朝からスキー日和、中国語の飛び交う団体も多く見られるようになってきた。
あたり構わず飛び交っているのが大声の中国語なので、中国人が目立つのでしょうか?
志賀高原の焼額山スキー場は、山麓にあるホテルや道路からはゲレンデがほとんど見えない.
山麓が広大な針葉樹で覆われ、その中を必要なコース幅だけ切り開いて造られている。
ここ、新潟県 苗場スキー場は、山麓が草原状態に整備されているのでゲレンデの大半が眺められる。

山頂へ行こう。
第一ゴンドラに長い行列が出来ていた。
最後尾に並んで、・・・右端のみ流れが速い。そうだ、一人乗りの列があるはず、・・・一気に改札近くまで進み、グループと相乗りに乗り込む。
正面のゲレンデの尾根を乗り越え、裏の沢を上って行く全長2.2㎞位で、ゴンドラは6人乗り、繁忙期は一人づつ乗るのが一番です。

ゴンドラ山頂駅の横から筍山の景観です。

この辺の標高は1670m位、筍山の山頂が1789m・・・標高差120mあるようです。

筍山の山頂へは、ここや先のゲレンデから下に見える窪地のリフト乗り場で、もう1本リフトに乗ることになる。

筍山ロマンスリフト(560m)に乗ると

先程の第一ゴンドラ山頂駅を右に見て、筍山を上っていく。

山頂は結構広く、四方の山々が望める。

筍山の山頂から、ゲレンデはリフト沿いに左側を滑降する。
コブが多い上級者コース、

ゲレンデ下部のコース外をこちらのカメラに向かって、スノーボーダーが

ガリガリ斜面をエッジを利かして、

この先は急斜面、そして道路、
その先斜面だったが・・・

雪煙・・・大丈夫?

若い!、直ぐ起き上がって、再スタート・・・多少の打撲痛は、明日の朝だろう、・・・怪我に気を付けて下さいね

コース外となるリフトの右側の斜面は新雪が残り、ウェーデルンでシュプールを描くには膝への負担が大きい。
沈みが少ない幅広のスキー板もあるようですが、見ていると手こずっているようです。

筍山のコブの斜面を滑り終えると緩斜面になる、ここで休憩。
ここは第二ゴンドラの山頂駅から筍平ロマンスリフトを乗り継いでもこれる初心者向け穴場コースです。

ここで、視点を変えて下のゲレンデから第一ゴンドラの山頂駅から右に出てきたところが見えます。
ここに向かって、なだらかな斜面を400m位滑ると、コースの中央部を除いて左右にロープが張られています。

ここで一旦停止
初心者から上級者まで、リズム・スピードの異なる人たちが衝突しないように注意が必要です。

周りの人々を観察して、一人一人ずらしてスタートします。

昼を過ぎて結構雪面が削られていてコブの下側は吹き溜まり状態。下の雪質は堅い

オット、危ない! 斜めに横切る人が衝突に巻き込まれる危険が高い、時々山側を見て欲しいものですが
この斜面を下ると、男子リーゼンスラロームバーンがあります。
行こうかな・・・カメラバッグが気になる、安全に滑ろう右にカーブ、ダウンヒルコースを進む。
直ぐに左に女子リーゼンスラロームバーンの案内板
誘われるように滑り始めていた。
ここはコブが大きい、このゲレンデは東向きだから徐々に日が陰ってアイスバーン状態になる。
足首・膝が疲れる
男子コース合流地点で休憩

いい運動だ・・・、滑っている人も少ないから衝突の危険はないが、自損事故?転倒の危険はある
残りの急斜面はゆっくり降りよう
遅い昼食はどこにしようか、
結構賑わいが戻った苗場スキー場でした。









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ごはんちょうだい 善光寺

2015-03-10 | 旅行記
善光寺は、有名なお寺ですから、仏教の宗派は? と考えると、   ・・・そうでした、善光寺は古いお寺でした。
日本最古の仏像が本尊だけあって、無宗派の広く親しまれるお寺でした。

山号は、定額山(ジョウガクサン)、この門は仁王門、1752年江戸時代中期の建立です。二度焼失し、1918年(大正7年)に再建
案内板がありますのでそちらを

ここの案内板には、設置されている場所が左下に赤で表示されています。何かと便利な案内板です。

仁王門ができたのは江戸時代ですから寺院を守護する役目で、阿吽の仁王像が仁王立ちしています。
筋骨隆々、健脚のようです。健脚祈願の藁草履がたくさん奉納されています。

裏に回ってみましょう。三宝荒神像、三面大黒天像は風雨から守るためか格子が多く良く見えなかった。
この門から先、一般道まで7~80m石畳の参道が続き、右側には菊の御紋の大本願があります。
尼僧寺院で代々皇室関係の方が入山されています。明治に大本願は浄土宗、そして戦後浄土宗の大本山となります。(善光寺大本願HPより)
さて、仁王門から仲見世へ

この先左にお地蔵さまがある

もう少しアップにしてみよう

案内板がある。
旧如来堂跡地蔵尊:善光寺本堂は、古くは「如来堂」と呼ばれ、642年の創建から1700年までの間はこの場所にありました。
この地蔵尊は、旧本堂内のご本尊さまの位置に建てられています。(要約)
昔の本堂は、朝日を正面に受ける東向きだったのだろうか。
この位置だと、本堂の両翼に大本願とこの先にある大勧進が配置される良形になるように思えるが・・・?参道が今と異なり東に延びる?

仲見世も半分過ぎたので少し休憩、若い女性に人気のお店が並んでいる
この先で仲見世が終わり

足元に石橋がある?

これが駒返り橋? ・・・馬蹄の凹みが現在も橋の左側に見ることができます・・・とありますが?
頼朝がここで馬を降り、ここから先は徒歩で奥に入ったとあります。当時の本堂は?、先程の旧如来堂跡は、直ぐそこですが・・・

右手に整然とお地蔵さんが並んでいる。6体
案内によると、6地蔵と呼ばれ1759年の造立、戦時中に解体され1954年再興される。
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つの世界(仏教の6道思想)を各々の地蔵さんが担当されているようです。

その隣に、通称 ぬれ仏 の案内板

これも、善光寺が徳川幕府の江戸時代以後繁栄し、江戸の大火の火元といわれた 八百屋お七 の霊を慰めた
八百屋お七のぬれ仏 という伝承も伝えられているそうです。

さてここで、左手の橋の先に大勧進があります。
本堂の造営・修復などの寄付を募る役目のようですが、善光寺の案内によるとこの大勧進の住職は、貫主(カンス)と呼ばれ(貫主は代々、比叡山延暦寺より推挙されています)、大本願(仁王門の先にあります)の上人(ショウニン)と共に、善光寺の住職を兼ねています。
なるほど、このお寺は歴史が古いので無宗派でしたが、住職が大勧進の天台宗と、大本願の浄土宗の方がなられてからは、日常のお勤めも大法要も各派が時間をずらして営まれています。
大勧進の北側奥には、役目が終わった回向柱(エコウバシラ)が土に帰るまで立てられています。

本堂? 斜めから立派な山門を鑑賞し、正面に戻る。

山門(三門)ここも1750年の建立、二層入母屋造りの門。
有名な「鳩字の額」が掲げられています。

勘の良い人は、鳩字の意味が解るでしょう。
5羽いるそうです。善に2羽、光に2羽、判りにくいのが、寺の寸に1羽でしょうか。

山門を抜けると本堂
本堂も十数回火災にあっているそうです。目の前の本堂は、江戸時代1707年に再建され国宝指定です。
画面中央の常香炉の手前に、4月3日午後回向柱(エコウバシラ)が立ち、信州 善光寺、今年は7年に一度の結縁(ケチエン)・ご開帳が始まります。

本堂の階段を上がり、右手に進むと僧侶の年季の入った像がある。
びんずる尊者、撫仏とも呼ばれ、自分の体の悪い部分と同じところを触れて神通力にあやかり治して頂く信仰です。
中央に大きな賽銭箱、ここで参拝して・・・薄暗い内陣の奥に行列ができていた。
そうだった、まだ新春のこの時期、1月7日~1月15日限定で ごはんちょうだい(ご判です)が受けられるようです。
御印文頂戴ともいいます。
左の閻魔像の横に順路の案内がでているので、一旦外に出て本堂西の階段から行列に並ぶ。
行列は内陣左にある弥勒(ミロク)菩薩の横を通り、右に折れて中央の奥で頭に宝印を押されています。
その真上には、内陣と内々陣を隔てる欄間に來迎二十五菩薩像があります。
この内々陣の左奥が最重要なお宝瑠璃壇、誰も見たことが無い秘宝のご本尊「一光三尊阿弥陀如来像」が安置されてるようですが順番になりました。
錦の布で巾着状に包まれた直径10㎝位の重そうな御印文を箱の中で温めているようです。
ご印文は、善光寺如来さまの宝印三判(本師如来・剣印牛王、本師如来・宝印牛王、本師如来・往生牛王)のこと。
如来さまの御利益にあずかり、罪障が消滅し、諸願が成就される祈りが込められています。
僧侶が両手に各々宝印を持ち、頭上に両側から押し当てて頂いた。(捺印して頂いた?)
・・・何事も体験です。これで極楽往生のご利益が得られました。
順路の通りに東側地蔵菩薩の前を通ると、すれ違いに別の行列が伸びていた。
この行列は・・・案内が貼ってあり、暗闇の回廊巡り(お戒壇巡り)の人達だった。
東側の階段から外に出て、正面横にある売店のような大きい授与品所へ、

・・・長椅子もあり盛況だった。
552年、仏教伝来のおり(百済の聖明王から日本の欽明天皇へ仏像・仏具・経典を贈った)「一光三尊(パンフレットなどに写真もあるが、一つの光背に阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩の御三体の仏さまを祀ること)阿弥陀如来」も伝えられた。
仏像は外国の神さまで、日本の神さまと論争になり(曽我VS物部)敗北した物部によって仏像は捨てられたそうです。
後年、この仏像を持ち帰った方が本田善光さん。644年に天皇の祈願により伽藍が造営され、本田善光の名前から善光寺と名付けられたとは、・・・知らなかった。
ここの秘仏本尊、誰も見たことが無い本尊は、鎌倉時代にコピーされたそうですが、この像が前立本尊(マエダチホンゾン)
そして、前立本尊御遷座式(ゴセンザシキ)が4月4日に行われ、翌日の大法要から5月31日まで大開帳となります。
鎌倉時代にこの善光寺に浄土真宗の親鸞(聖人)さんや時宗(ジシュウ)の一遍さん(上人)も参拝されたそうですが本尊は見れなかったようです。
そして現在も、・・・秘仏は誰も見たことが無い伝説の本尊です。
一か所気になっていた本堂西裏の新しい塔に向かう。

日本心霊殿・・・戊辰戦争から第二次世界大戦までに亡くなられた240万余柱の英雄を祀る、仏式による霊廟でした。
その霊廟を守護していたのが、大胸筋が発達した重量級のこちらの方々です。

日本全国から選ばれた善光さんゆかりの人気者でした。


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善光寺参り

2015-03-08 | 旅行記
2月27日(金曜)練馬から苗場に出かけた。途中まで一緒だがこれは、1/9の志賀高原の画像だった。

練馬区谷原から関越自動車道に乗る。

そして間もなく、練馬インター
西に富士山を眺めながら、上里サービスエリアを過ぎると群馬県、関越と上信越に分岐する。
西の藤岡、長野方面・・・上信越自動車道に進み

正面の浅間山を目指し富岡から先は、

・・・トンネル、橋、トンネル・・・天候は快晴

もうすぐ西に分岐すると長野自動車道、更埴(コショク)ジャンクション、ここまで練馬から約200Km、もうすぐだ。
道なりに上信越自動車道を北に進む、長野を過ぎ・・・信州中野が近い

ここで降りる。道路に雪は無い。

湯田中温泉に向かう。

温泉組を降ろし、志賀高原に向かう。
坂道にさしかかり、ここから志賀高原

路面に残雪が見え始めてきた。

路肩を団体が・・・サンバレースキー場はカーブの先に見えてくるだろう。
そして分岐点にさしかかる。
夏と冬で雰囲気が大きく違うが、道なりに右カーブで進むと熊の湯スキー場、草津へは冬期間通行止めで峠が越えられない。
一の瀬、奥志賀は左に回り込む、最近上りと下り(トンネル)が一方通行に分離された。
ジャイアントスキー場の下をトンネルで抜け、雪道を暫く走ると高天ヶ原スキー場が右に見えてくる。

ここから志賀高原の中心地、続いて右に一の瀬スキー場、

この先左の山が、焼額山スキー場となる。
・・・・・・・・・・・・・
湯田中温泉に戻って、スキーの帰りに新春特別行事の 信州 善光寺に参拝した。

長野駅の北3㎞位
境内の北側のつばめ池通り沿いの駐車場に車を入れ、北側から本堂前へ

境内にはこんな立札が

本堂の横を通り正面から山門へ向かい、山門から参道・仲見世を見渡す。

向こうに見える仲見世まで下っていき、改めて参道を散策しながら参拝しよう。
まだ謹賀新年の余韻が残っていた。


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