何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

422日目 藤木宅キャンピングカーライブ5

2005年05月21日 21時22分11秒 | Weblog
5月21日

 今日も、滋賀の仲間達が集まってライブ成立。
 坂本君、くまちゃん夫婦、福永夫人と息子さん、それにコーディネーターの林君。それぞれに忙しい時間を割いて来てくれてる滋賀の仲間達、ありがとう。

 今日も朝8時起き。突然キャンピングカーが動き出した。来週からこの敷地に家が建つらしく、その準備の為に、朝から大工さんがやってきて、敷地に仕切りを立てるためにキャンピングカーを移動させなければならなかったらしい。
 今日一日も、ここ数日と変わらず、昼ご飯を食べに出かけ、昼寝をして夜を迎えた。

 ライブ終了後、10時過ぎにみんな帰っていった。そして僕は、創作活動。昼の間も、先日書いた詩「着火」の完成をずーっと考え続けていた。曲の構想が決まり始めて、詩がずいぶんと変わっていった。そして、曲のイメージも出来上がり、それと共に、大幅に変わったが「着火」の完成。先日の詩と比べて見てもらうと発展過程が見えて面白いかも。
 では、完成した「着火」を披露します。

    着火

僕はオイルの切れた役立たずのライター
君は石を無くした使い捨てのライター
捨てられそうな悲しみに震えながら
さまよう この街 すれ違って

暗い夜空に火花を放ちつづけて
今日がよければ それでいいと笑ってる
本当は締め付けられるような 淋しさを
心に 感じて さまよう街

  明日を捨てた 振りをするのは
  弱い自分を 守る為だけ
  さめた心に 火を付けるのは
  違う淋しさ 胸に抱いてる
  きっとあなたと いつかめぐり逢えると
  きっとどこかで あなたとめぐり逢えると
  信じるから


ショーウィンドーにたたずむマネキンの目に
同じ淋しさ感じてその場を逃げた
振り向きざまに人を倒してしまった
手を差し伸べたら あなたがいた

僕はオイルの切れた役立たずのライター
君は石を無くした使い捨てのライター
さめた二人の心に火を点けたくて
手を取り 寄り添い 着火

  明日を捨てた 振りをしたのは
  弱い自分を 守る為だけ
  さめた心に 火を付けるのは
  違う淋しさ 胸に抱いてる
  きっとあなたと いつかめぐり逢えると
  きっとどこかで あなたとめぐり逢えると
  信じていた


 以上です。曲調は、60’アメリカンポップかな?。
 では、おやすみなさい。

421日目 藤木宅キャンピングカーライブ4

2005年05月20日 23時11分38秒 | Weblog
5月20日

 朝7時に起床。凄い、普通の人みたいな生活になっている。10時ごろまでパソコンをいじりながら過ごして。車で外に出た。ガソリンが不足していたので、コスモ石油を探して国道2号線へなかなか見つからず、草津市の国道をそれたところで発見。燃料を満タンにして琵琶湖畔を走って守山市に戻って、温泉に入った。先日は、肺炎の影がしっかりあったのでカラスの行水だったが、今日は体力も回復しているのでゆっくりと1時間掛けて湯に浸かった。気持ちよかった。その後、ファミレスで昼ご飯を食べてキャンピングカーに戻った。

 昼寝もして、夜。

 林君が8時過ぎにやって来た。今夜も二人やってくるが来てのお楽しみと言う。楽しみにしながら待っていたら、9時過ぎに松居君と澤井みゆきちゃんがやって来た。夜も遅いし、静養ライブと言う事で、今夜も4曲だけで終わった。たった3人の観客だったが、「青春」では手拍子が起こり、一緒に唄ってくれた。短い時間のライブだったが、とっても素敵な時間だった。

 さー、今夜も早く寝るぞー。

420日目 藤木宅キャンピングカーライブ3

2005年05月19日 19時16分17秒 | Weblog
5月19日

 朝早くに目覚めた。昨日早くに(といっても12時過ぎだ)眠ったせいか、それとも、ここに来てから毎晩入念にストレッチをしてから寝たせいか、意外に爽やかな目覚めだった。朝から、ホームページの日記を充実させる為に頑張った。ブログには書いていない事も追加した日もあるので、ホームページの日記も見てやってください。

 さて、キャンピングカーで静養しながら、猛烈に創作意欲に沸いている高橋忠史は、過去に書き綴っている詩を引っ張り出して、今日も一つ詩を完成させました。
 今日の詩は、まだ曲のイメージは出来ていません。何時も詩ができると曲のイメージも出来ているものなんですが、今回は作曲に時間が掛かりそうです。では、読んでやってください。

   着火

心に火をともしたくて
暖かい火をともしたくて
でも僕は石を無くした古いライター
火花の飛ばないライター

冷たい夜に震えてる
汗ばむ夏に震えてる
でも君はオイルの切れた古いライター
火花飛ぶだけのライター

捨てられそうな悲しみを
みんな何処かに隠してる
明日(あす)を信じているくせに
今日がよければいいんだと
顔をゆがめて笑ってる

そう僕は石を無くした古いライター
そう君はオイルの切れた古いライター

見つけられない幸せを
みんな何時だって探してる
明日(あした)を捨てた振りをして
今日を生きているくせに
ゆがんだ顔で笑ってる

そう僕は石を無くしたライターさ
そう君はオイルの切れたライターで
一人じゃ何も出来ないから
一人じゃ何も出来ないから

寄り添って…着火…


 今日の詩も、昨日のお遊びの詩と同様に、今までの高橋忠史には無いパターンです。曲作りが大変そうだけれど、楽しみです。

 7時前に、林君が誘ってくれた、さっちゃんがやってきてくれた。新しい詩を見せたら曲が出来上がるのが楽しみですねと言ってくれた。頑張るぞー。すぐに、林君と鈴木君がやって来た。さっちゃんは明日から東京出張で早く帰らなければならないという事で急いでライブを開始。新曲2曲と「夢」を唄って3曲だけのライブ、おひねりを頂いて今日のライブも繋がった。

 8時前にみんなが帰って、入れ替わりに藤木君が地元の会合が終わって帰ってきた。12時近くまで、語ったところで眠くなってきたのでお開きにした。朝、8時に起きたのでちゃんと眠くなるのだ。人間は、こうでなくてはいけないよね。今夜もしっかりストレッチをした。

419日目 藤木宅キャンピングカーライブ2

2005年05月18日 01時59分00秒 | Weblog
5月18日

 午前2時が近づいていてまだ起きている。ガンかも知れないと言われたんだものね。高橋忠史、普段は、物事に動じない振りをしているけど小心者さ。せっかく藤木君が休息の段取りを取ってくれているのに、このざまだ。考えていても何も始まらない事なので、どうせ眠れないなら、病院で練り続けていた詩を完成させようとして頑張った。気が晴れるものね。

 今だから書けたのかもしれない。素敵な詩になった、と僕は思っています。一年越しに隼人町の仲間たちに約束を果たせる事になった詩です。もちろん曲はすでに2年前に作っていたものなので、聞いたことがある人もいるかも知れません。でも、今日が完成の日です。
では、紹介しましょう。

   つぼみ (隼人咲く唄)

* 人 夢 咲かせたい
  私たちの住む町に
  野に咲く花のように
  強く優しく

  私のそばに あなたが
  あなたのそばには 誰かが
  寄り添い 支え
生きている幸せを 小さなつぼみのまま
  終わらせないでね


  この町咲かせたい
  あなたの声を聞かせて
  恥ずかしがらないで
  急がなくていい

  私のそばに あなたが
  あなたのそばには 誰かが
  寄り添い 支え
生きている幸せの 小さなつぼみが今
  ふくらみはじめる

*(繰り返し)

 気分がとっても爽やかになりました。明日は病院に出かけなくてはならない。さー…寝よう。

午前10時30分
呼吸器の専門医が、立派な肺炎ですと宣言してくれました。しっかり治して、無理をしないようにしないと、又病状が悪くなったら、その時は本人の意志に関係なく即入院です。と、医師に釘を刺されました。
無理をしないスケジュールを組むことが無理なのかもしれないが、ガンバラなくっちゃ。
 病院からの帰り、温泉に立ち寄って、久しぶりに風呂に入った。あ~気持ちいい~。

今日も、病院の短い待ち時間の中で詩のアイデアが浮かんだ。病院ならではの作詞だ。曲の構想もほとんど出来上がった。僕には珍しいナンセンスソングかな?。詩は完成なので、紹介しよう。

生きていて良かった

生きていて良かった
生きていて良かった
生きていて良かったよね

突然何かにぶつかって そしてぶっ飛んじまった
頭の上には地面があって 空を歩いてた
不思議な事だが ちょっと待て
  待ってはくれねー

頭の上から落ちてきたのは 地球じゃないか
背中に背負ったつもりがどっこい おいらの負けさ
頭痛だ打撲だ ちょと待て
  息が出来ねー

おいらどうなっちゃうの
おいらどうなっちゃうの
おいらどうなっちゃうんだろー

頭のてっぺん擦りむけちまって 10円禿げ二つ
包帯だらけの左足だけ ぶら下がってる
ベッドの上だぜ ちょっと待て
  おしっこがしたいよー

自分じゃ出来ない起きれない情けない ブザーを鳴らした
白衣の天使がちんちん摘んで 優しく笑った
初心なおいらさ ちょっと待て
  なかなか出ねーよー

生きていて良かった
生きていて良かった
生きていて良かったよね


 こんな感じです。中学生の頃、自転車通学の時、車にはねられて病院に入院した事がある。その頃の事を思い出して書いた詩だ。お遊びの唄と思ってください。

 曲を作っている間に、8時になって、昨夜来てくれた高原君が林君とやってきてくれた。藤木君もお客さんが来ているのにやってきてくれて、昔の事を語り合いながらのキャンピングカーライブが始まった。まだ完成はしていないが、お遊び唄の「生きていて良かった」を披露。昨日林君からリクエストがあった岡崎輪典作曲、高橋忠史・日高靖志作曲の「あなたと唄いたい」、藤木君のリクエスト「友酔」などを唄い45分ほどで終了した。その後、宮村さんから頂いた泡盛をちょっぴり飲みながら12時近くまで語って解散。熱は完全に下がりきった。

418日目 滋賀県藤木宅キャンピングカーライブ1

2005年05月17日 15時12分27秒 | Weblog
5月17日

 今日も汗に濡れた状態で目覚めた、熱は36.3度。さわやかだ。
 10時に藤木君に先導されて、守山市の市民病院に向かった。健康保険は典子さんに速達で送ってもらったのだが、まだ着いていなかった。が、藤木君が前もって病院に話してくれていたおかげで、後日清算で検査してくれる。受け付けを済ませた所で、藤木君は議会があるのだろう、あわただしく出ていった。その後、病院の事務長さんが出てこられたので、藤木さんは今しがた出ていったと伝えたら、今日は守山市にとって大切な日ですから、と話していた。
 そんな大変な日の前の日に、僕を広島まで迎えにくる気だった事を初めて知った。自力でこれたから、掛けた迷惑も最小限になったが、それでも、内容はわからないが、大事な議会のある日に病院に交渉して、連れてまで来てくれた。話はつけておいたから、後はよろしく…でよかったのに。彼のやさしさに感謝。

 検熱、血圧測定、尿検査、問診、血液検査、胸部レントゲン撮影、今日の検査結果、点滴、胸部CTスキャン撮影、と、ほとんど待ち時間無しですすんだ。
 今日の時点でわかった事は、栄養不足ぎみであると言う事と、肺の右側に影があると言うこと。熱が上がっているようなら肺炎だろうが、自力で治しているので、他の原因が考えられる、と言う事でCTスキャンする事になった。
 その結果は、明日、呼吸器科の先生に聞かなくてはわからないが、腫瘍(ガン)の可能性も考えられると言っていた。何だか、凄い事になってきた。
 どちらにしても、明日になれば分かる事だ。今日病院で、ひたすら詩を練っていた。隼人町の仲間たちに約束していた歌を仕上げる為だ。後もう一歩で出来上がる。頑張るぞうー。

 夕方、林君が高原君と二人でキャンピングカーにやってきてくれた。これで今日のライブは安心だ。たまたま林君に電話を掛けてきたクマちゃんも、奥さんと二人でやってきてくれた。藤木君も加わり、疲労回復の為に、一曲だけのライブという設定で始めたのだが、新曲の「絆」と今日ほぼ完成した隼人町の仲間たちのために作った、「つぼみ」(隼人咲く唄)の2曲を披露。熱も下がりきった感じの僕は、2曲じゃ物足りなくて、リクエストを募った。藤木君が「しゃまんの里」と「雪渡り」をリクエストしてくれたので、その2曲を唄って、短いライブだったが、おひねりを頂いて、今日もライブが繋がった。
 後は、明日の検査結果が楽しみだ。もしも入院と言う事になったら、毎日誰かが病院にギターを持って見舞いに来て、僕が一曲だけ唄ってライブを成立させて、又ギターを持って帰ってゆくという構想も出た。とにかく、滋賀にいれば、連続ライブも途切れないかもしれないと思うと、結果がどちらに転んでも楽しめそうだ。

 結果が出しだい。このプログでお知らせします。

 あれっ、又胸が痛み出した。でも右胸の表面だけが痛む…なんだろう。

417日目 澁谷宅ホームコンサート

2005年05月16日 21時44分42秒 | Weblog
5月16日
昨夜も寝付きがよくなかった。それでも何とか眠ろうと頑張っていたら典子さんからのお休みの電話。あちゃー。
その後眠ったが、喉が乾いて何度も目が覚めた。そのたびに、汗をかいたTシャツとパンツを交換。
そして、朝9時に目覚めた。朝食を食べたいと思った。少し元気が戻ってきたようだ。熱も平熱に近く下がっていた。が、安心は出来ない、頭がふらふらしているのだ。とりあえず朝食を食べてチェックアウト。
広島県福山市の澁谷宅に向かった。

まずは澁谷さんに電話して、今日最悪の時は福山まで迎えに来てくれる事になっている藤木君にも今の状態を知らせる為の電話を入れた。高速道路に乗って、途中のパーキングで食事をし、抗生物質を飲んで(昨夜から飲みつづけている)、3時過ぎに、澁谷宅に到着。

若干、熱は上がっていたが、37度ほどだった。昨日の40度をこえた時の辛さがあるので、ものすごく元気な気がしたが、やはり頭がふらふらしていた。
しばらく休憩して、今日は家族4人をあいてのホームコンサート。40分ほど唄った所で、ギターの弾き間違いの多さに、僕の身体を心配してくれて、ドクターストップならぬ澁谷さんからの演奏ストップが掛かった。最後の一曲を終わって、ミニライブの終了。演奏ストップが掛からなかったら1時間半やるつもりだった。そうしたら、又熱が上がっていたかもしれない。僕の助けてくれーのブログの記事に即答えてくれて急遽ホームコンサートを企画してくれた澁谷さん。もし今日も熱が下がっていなかったら、やめさせるつもりだったと言う。
それは僕にとって困る事だが、自分でライブを企画してその上で止めさせようという思い、1000日連続ライブを止めてしまう全責任を自分で負おうとする覚悟に、感服すると同時に暖かさを感じた。

ライブ終了後、しばらくして、藤木君と連絡をとり。熱も上がっていないようなので、行けるところまで走って、どうしようもなくなったら連絡する事にして、澁谷家を4時半頃、後にした。
山陽自動車道に乗って中国道、名神道と連絡しながら栗東インターで降り、藤木宅についたのは8時半。抗生物質の効き目が現れているようだが、治ったわけではなかった。それほどでもないのだが熱が上がって、7度3分になっていた。明日は、病院に連れて行ってもらう事になっている。検査結果が出るまでは、いつものキャンピングカーに滞在させてもらって養生する事になる。夜には、誰かが来てくれて、ライブは続くのだ。

416日目 死ぬー助けてー大丈夫になった

2005年05月15日 14時10分45秒 | Weblog
5月15日
昨夜は、なぜか眠れなかった。ベッドに入るのだが、目が冴えてしまう、結局眠ったのは4時ごろだったような気がする。8時半に起きた。今日も昨日ほどではないがベットが濡れていて、途中で一度着替えたティーシャツもぐっしょり濡れていた。体温を測ると36度6分、ほぼ平熱になってはいたのだが、頭がふらつく。
ホテルを9時に出た。昨日なんともなかった胸が又痛み出してきた。運転しているうちに、どんどん熱が上がってきているのが分かった。岡垣サンリーアイ・小ホールには10時に到着した。
体温計で計って見ると38度近かった。岡垣サンリーアイは立派な施設だ、小ホールは100人ほどの観客席だ。
昨日村吉君が、今までの知り合いの家に行って、折り込みチラシを入れてきたという。信岡君も妹さんを連れて来てくれていた。10時半からライブ開始。その時点で熱は38度を超えていただろう。そして、1時間少しのライブは終わった。ライブ中に熱がどんどん上がっていくのが分かった。体温計を取り出して、はいクイズです今の僕の体温は何度でしょう。誰も答えなかった。そして一分、39度を越えていた。めちゃくちゃしんどいライブだったが、最後にランナーを唄った。息が切れるのをごまかしながら唄った。終わってしばらく動けなかった。
明日は広島県福山市の澁谷さんの家でホームコンサートだ。ライブ終了後、車を走らせた。意識がおかしくなっていた。何度も道を間違えた。今まででこんなに辛い思いをして運転した経験が無いほど身体中がおかしい。高速道路にのる前に体温計を脇に入れて計ってみた、40度を越えていた。
大げさではなく死ぬかもしれないと思った。典子さんに電話した。もしこのまま、話も出来ないまま死んでしまったらと本気で思ったからだ。電話は通じなかった。ここで死んでたまるものかと、白血球に頑張れと命令しながら、どんどん意識が不確かになっていく自分を感じていた。そしてやっとの思いで九州自動車道に乗った。
今午後1時、やっとパーキングエリアに入って座薬を突っ込んで休んでいます。
静岡にたどり着けないかも知れない。
とにかく休みます。

今、3時45分、古志と言う門司に近いパーキングにいます。座薬が効いてきて37度7部まで熱が下がり、ここ3日ほど何も食べていないような状態だったので、うどんを食べました。まだ楽ではないけど、なんとかなりそうです。山口まで走って宿を取って、しっかり寝て又明日、広島に向かうつもりです。その後は、滋賀県の藤木君にお願いして、林君と一緒に来てくれる事になりました。数日間、藤木君のところでお世話になって、体調不良の原因をしっかり病院で検査してもらう事にします。なので、18日のナンデモールのライブは出来なくなりました。花村さんにはそのこと電話しましたが、ごめんなさい。とにかく身体を治す事を優先して、ネバーギブアップ、1000日連続ライブを続けます。皆さん、今まで以上に高橋忠史を助けてください。よろしくお願いします。

5時過ぎ、新山口駅の側のホテルに到着。ホテルでこれを書いています。まだ、37度以下にはなっていない、明日もどうなる事かはまったく予想できない。ただひたすら休むのみだ。
死ななくて良かった。

415日目 一花でぃごライブ

2005年05月15日 01時11分23秒 | Weblog
博多の西中洲のホテルで6時に目覚めた。ベッドの中は、ずぶ濡れ。だが、まだ身体はだるかった。ホテルの寝巻も水を掛けたのかと思える程濡れて冷たくなっていた。だるいからといつて、そのまま眠り続ける訳にはいかない。頑張って起きだして、濡れた寝巻を脱いだ。パンツも同じ状態だ、パンツも脱いで、濡れた身体をバスタオルで拭いた。濡れたベットの上掛けシーツを剥がし、下のシーツの濡れた部分の上にバスタオルを敷いて、昨日寒くて重ね着していた濡れていないTシャツだけを着て、又ベッドに戻った。熱が引いたのか、もう寒さは感じないまま眠れた。

そして、8時30分に目覚めた。起きてタバコを吸った。うまかった。朝食を食べに出掛ける気分になった。でも、歩きだすとふらふらする。まだ微熱はあるようだ。体温計で計ったら、36度8分、ほぼ峠は越えたと、この時は思った。食事をすませ、10時前にチェックアウト、荷物を持って、ホテルから100メートル程離れた駐車場に向かって、行橋市に住む、宮村みつおさんの家を目指す。

運転しているうちに、腰が腕が足が背中が次々とだるくなって来た。コンビニに入って、体温計で計ってみたら、37度1分に上がっていた。咳も出ない痰もからまない、いったい何なんだ。明日のスケジュールを何とかしたいと、村吉君からメールが入っていた。ここ数日で2度もライブを作ってくれているのに、有り難い、そして申し訳ないが、甘える事にして、連絡を取り合った。今の状態で、長距離移動したら、身体がもたないと心配してくれての事だとわかると、手を合わす程ありがたかつた。

次第にだるさが増す身体を持て余しながら、休み休み、3時に宮村さんのお家に到着。笑顔で迎えてくれた。嬉野の岸川さんから紹介された宮村さんは、僕の唄は知らない。でも、少しでも多くの人に知らせたいと、今夜の門司駅前にある、一花でぃごと言う、沖縄の店で唄う手筈を組んでくれた。
CDをプレゼントして、歌を聞いてもらったら、おおいに気にいってくれた。奥さんと4歳になる、ゆうなちゃんも紹介してくれた。写真は宮村さん家族だ。

僕の車で宮村さんがとってくれた、小倉駅そばのホテルにチェックイン、そしてタクシーで、一花でぃごへ。到着すると、鹿児島の堂領さんが、栄養ドリンクを持ってやって来てくれていた。帰りの時間があるからとライブも見ないで。ありがとう。

店に着いてから急にだるさが増した。それでも、40分フルパワーで唄った。好評だった。宮村さんがいろんな人を紹介してくれた。だが僕はくたくただった。内緒で体温計を脇にはさんだ、38度だった。そして沖縄から来た有名な女性の演奏が始まった。その自点で座っている事すら辛かった。が、演奏の途中で立ち上がるのは失礼なので、最後まで聞いてから、宮村さんに事情を話して、先に帰らせてもらうことにした。また、寒さがぶり返すなか、一緒にいた伊良原さん夫婦にタクシーでホテルまで送ってもらった。今日も激動の一日だった。ホテルに戻ってすぐにベッドに入ったが、なかなか眠れなくて、ストレッチをした後、この日記を書いてしまいました。書きおわった今、熱は37度3分に下がっています。明日もう一日福岡県内でたった一人でも聞きますと、スケジュールを組んでくれた村吉君に大感謝で、おやすみなさい。

414日目ワンナインレコーディング

2005年05月13日 15時12分28秒 | Weblog
5月13日

昨夜何度も目が覚めた。息が出来ないほど右胸が痛い。そして寒い。身体がブルブル震えていた。

右胸の痛みは半端じゃなかった。このまま死んでしまうかも知れない。と覚悟したほどた。大きく息が吸えないので、小刻みに吸ってはいた。何とか息は出来るのだが、背中の方から胸の乳の上辺りに激痛が走り続けた。
寒いので、ベットに潜り込むのだが、どんな態勢でも痛む。苦しみも交じった痛みに耐えながら、何度も何度も態勢を変えて痛みの少ない寝方を探した。やっと、一ヶ所見つけた。が、ピンポイントだ。態勢が少しでもずれると、激痛が走る。寝返りを打てないので、何度も目を覚ました。

朝食を食べるつもりだったが、身体中が痛い。そうとうの熱が出ているのだろう。10時30まで、ベットに潜っていた。胸の痛みも、身体中の痛みも消えてはいない。頭がクラクラして、まともに歩けない。それでも11時のチェックアウトを守って、駐車場まで荷物を運んで博多に向けて走りだした。途中コンビニに寄った時、体温計ではかったら38度5分もあった。
今日一日どうなるのだろう。

今6時半、ワンナインに向かおうとしているのだが、熱は39度2分に上がっている。寒いよう。

ワンナインレコーディングスタジオに有住さんが待っていてくれた。ふらふらしている僕を見てどうしたんですかと。熱が39度2分あると伝えると、病院に行ったほうがいいと、急患診療所という大きな病院に連れて行ってくれた。病院でわきの下で測った熱も39度1分。胸の痛みもあったのでレントゲンも採ってもらった。肺に異常は無いと言う事だった。安心だが、とにかく寒い。

唄えるような状態じゃなかったが、やめるわけにはいかない。ワンナインレコーディングスタジオに戻って、「絆」を録音した。最後に失敗したので、結局2回歌った。かなりハードな唄なので大変だったが、唄い始めると僕はテンションが上がるのだ、でも、歩いていてふらついている状態だから、リズムが微妙にずれ気味だ。それでも何とか録音してもらって、そのDATテープを頂いて今日のらいbを完成させた。
が、その後、疲労が増幅して、うどんを食べに言ったが半分も食べられない、外を歩くと真冬のように寒いのだ。
今、ホテルのクーラーを暖房に切り替えて30度に設定したがまだ寒い。
病院でもらってきた座薬と抗生物質をのんで寝るのみだ。
あさってからのスケジュールは埋まっていない。でも今日は、誰かに電話するような気力は無い。なんとか、何とか続けたい。
誰か、助けてくれー。