何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

417日目 澁谷宅ホームコンサート

2005年05月16日 21時44分42秒 | Weblog
5月16日
昨夜も寝付きがよくなかった。それでも何とか眠ろうと頑張っていたら典子さんからのお休みの電話。あちゃー。
その後眠ったが、喉が乾いて何度も目が覚めた。そのたびに、汗をかいたTシャツとパンツを交換。
そして、朝9時に目覚めた。朝食を食べたいと思った。少し元気が戻ってきたようだ。熱も平熱に近く下がっていた。が、安心は出来ない、頭がふらふらしているのだ。とりあえず朝食を食べてチェックアウト。
広島県福山市の澁谷宅に向かった。

まずは澁谷さんに電話して、今日最悪の時は福山まで迎えに来てくれる事になっている藤木君にも今の状態を知らせる為の電話を入れた。高速道路に乗って、途中のパーキングで食事をし、抗生物質を飲んで(昨夜から飲みつづけている)、3時過ぎに、澁谷宅に到着。

若干、熱は上がっていたが、37度ほどだった。昨日の40度をこえた時の辛さがあるので、ものすごく元気な気がしたが、やはり頭がふらふらしていた。
しばらく休憩して、今日は家族4人をあいてのホームコンサート。40分ほど唄った所で、ギターの弾き間違いの多さに、僕の身体を心配してくれて、ドクターストップならぬ澁谷さんからの演奏ストップが掛かった。最後の一曲を終わって、ミニライブの終了。演奏ストップが掛からなかったら1時間半やるつもりだった。そうしたら、又熱が上がっていたかもしれない。僕の助けてくれーのブログの記事に即答えてくれて急遽ホームコンサートを企画してくれた澁谷さん。もし今日も熱が下がっていなかったら、やめさせるつもりだったと言う。
それは僕にとって困る事だが、自分でライブを企画してその上で止めさせようという思い、1000日連続ライブを止めてしまう全責任を自分で負おうとする覚悟に、感服すると同時に暖かさを感じた。

ライブ終了後、しばらくして、藤木君と連絡をとり。熱も上がっていないようなので、行けるところまで走って、どうしようもなくなったら連絡する事にして、澁谷家を4時半頃、後にした。
山陽自動車道に乗って中国道、名神道と連絡しながら栗東インターで降り、藤木宅についたのは8時半。抗生物質の効き目が現れているようだが、治ったわけではなかった。それほどでもないのだが熱が上がって、7度3分になっていた。明日は、病院に連れて行ってもらう事になっている。検査結果が出るまでは、いつものキャンピングカーに滞在させてもらって養生する事になる。夜には、誰かが来てくれて、ライブは続くのだ。

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