@PAYASO

少しだけ更新再開してます(愚痴オンリー)

家族旅行

2021年08月10日 | Life

オリンピック終わりましたね。
色々ありましたがアスリートの活躍を見れるのは最高なものです。
僕はW杯、夏季オリンピック、冬季オリンピックだけを楽しみに生きてきた近年だったりするので、オリンピックは中止にすべきって思いながらも無観客で開催されたことは嬉しかったです。サッカーのチケット当選してたのですけどねw

さて、オリンピックが終わったので次はお盆です。

この2年はコロナ禍でお盆どころではなかったし、我が家としては親父が去年も今年も家にいないので亡き母と愛犬のために少しお花と迎え火を飾るくらいでおしまいです。母が亡くなるまで我が家には仏壇がなかったので、見様見真似で僕が準備するだけなのですが。

お盆の時期といえば家族旅行を思い出します。

お盆の少し前だったり、お盆中だったり、お盆の後だったり旅行に行くのはまちまちでしたが、ま、この時期ですね。

我が家の場合は2泊3日で海に行くっていうのが恒例でした。
っていうか、年に1度これしか家族旅行ってのはなかったです。唯一の楽しみっていうか。

海は隣県です。
父方のおばさんが若い時(戦後間も無くとかかなー?w)に勤務先へ通うために下宿先としてお世話になったところが民宿をやっていて、そこに泊まるのが恒例でした。泊まりに行くと申し合わせたわけでも無いのに、父方の従兄弟たちが家族連れできていたり、人がたくさんいるし、自分の父親くらいの年齢の従兄弟(母の2、3歳下くらい)に遊んでもらったりしてすごく楽しかったんですよね。

母方のおばさんや従兄弟が一緒に行くこともありました!

僕の父は末っ子で、母も2人姉妹の妹。で、僕は末っ子・・・つまりは従兄弟たちはみんな年上なのです。1番近い年齢の従兄弟でも8つ上。まー、みんなお姉さん、お兄さんどころかおじさんおばさんみたいな感じなので可愛がってもらってましたw

それと僕が物心ついた頃には兄貴達も従兄弟達もみんな大人だったし、家族よりも友達みたいな感じだったのであまり遊んでもらえなかったのもあって、家族みんな揃ってとか、親戚がたくさん集まるみたいなのが大好きだったんです。コミュ障であまり話もできないのに。

 

そんな家族旅行も20年ちょっと前まで続いてました。

 

僕が横浜に行く前だったと思います。
うーん、これ、前にも書いたような気がしますが、気のせいってことで続けますw

その年はうちの長男は仕事で参加できませんでした。
親父も行きたく無いってことで留守番に。母と次男と僕で、次男の車でいつもの海に行きました。

もう泳ぐ感じでもなかったので、釣りをしたり浜辺でぼーっとしたり中々に楽しかったんです。

でも、夜の8時くらいだったかなー、仕事から帰った長男から電話がありました。

「あのさ、○○さんからの宅配便があったみたいなんだけど、探しても探しても品物がなかったの。で、親父に聞いてみようと思ったんだけど、ぐっすり寝ててさ。家の勝手口から外に出てみたらあったの。空の酒の瓶とそれが入ってた箱が。親父、全部飲んだみたい。何考えたんだあいつ!その瓶で殴ってやろうかと思ったよ!!」

っていうお怒りの電話でした。
兄貴が怒るのも無理ないです。日本酒の詰め合わせがすっからかん。証拠隠滅しようと思ったのか家の裏に捨てる・・・しかも親父は常備してたお酒もしっかり飲んでいたし、夜ご飯のお金として置いていいったお金も全部お酒に使ってしまったようでした。

そんな電話がきたもんだから、旅行も台無し。
兄貴も来ないし、親父も留守番だったから2泊ではなく1泊だったので、帰りにどこどこに寄って行こうとかそういう話をしてたのも全部キャンセル。すぐに家に帰りました。家では酔い潰れた親父が寝てました。酒臭い寝息を立てながら。

この時だけではなかったんです。
昔は電車で行ってた家族旅行ですが、兄貴達が免許をとってからは車で。ま、電車でも変わらなかったんですが、親父は隙があればお酒を飲もうとします。車で夜中に出発してもすぐにコンビニに寄らせてお酒を買い込んで車内で飲む。現地に着く頃には酔っ払っててそのまま寝てしまいます。

親父は釣りが好きで、知識もあって。
兄貴達は親父に釣りを習うのが楽しみだったし、僕もいつかしっかり教えてもらうって楽しみにしてましたがその時は来ませんでした。僕がまともに釣りができる年齢になった時はお酒に負ける父の姿しか見ていません。

その年が我が家の家族旅行の最後となりました。

僕が1番思い出に残ってる恒例の家族旅行は僕が小学校に上がる前の年くらいのことだったと思います。
母方のおばさんとおじさんと従兄弟、そして僕の家族全員が一緒に行った最初で最後の時です。おじさんがハイエース的なのをレンタルしてくれて、全員で乗り込んで向かいました。

途中の休憩でサザエの壺焼きとかを買って食べたり、広い車内で寝転んだり。
現地に着いてからもずーっと楽しかったんです。泳ぐのもみんなが釣りをしてるのも。いつも民宿のおじさんかお兄さんに船を出してもらって釣りをしたり、メインの海水浴場の裏側にある穴場スポットに連れて行ってもらったりするんですが、それらも全て楽しかった思い出があります。

僕は大きな車が好きなんですね。

今でこそミニバンは買わなくなりましたが、荷物をいっぱい詰めるステーションワゴンなどを選びます。今は無理して買った憧れのSUVに乗ってます。
大きな車が好きな人は自分を大きく見せたいとか色々なネガティブなイメージがありますが、僕の場合は違います。

あの時の楽しかった家族旅行をもう一度って思うからです。
荷物をたくさん積んで、たくさん人を乗せて、遠くまで。そんな日が来るのを諦めたくなかったのかもですね。
そんな思いを込めて無理して買ったSUVもそろそろ手放さなくちゃならないのですが。

 

母が亡くなって、親父は足が不自由だしアルツハイマーだし。

兄貴と2人で旅行に行ってもつまらないし、もう1人の兄貴は自分の家族と旅行に行くので実家とは関係ないし。そもそももうそんな年齢じゃないし。

結婚して自分の家族を作って・・・

そんなことに憧れたこともありましたが、もうそれはないです。
気がついたら20数年前に僕の家族旅行は最後になってしまったわけです。

写真のことや心理学のこと。
他にもたくさんやりたいことを諦めていつの間にかこんな年齢になってしまいましたが、家族旅行まで自然と失ってしまっていたと気付いてちょっと悲しくなりました。

自分で選択してきた人生です。
親の面倒を見ることも、ありとあらゆることを諦めるのも。ぜーんぶ自分の選択ですから自分のせいです。

 

近日中に少し書きたいと思っていましたが、性格などはほとんどが遺伝によって決まるそうです。
もし僕が家族を作ったとしたら、親父のように家族に迷惑をかけて、嫌な思いをさせて、いろんなことを諦めさせて・・・

ま、僕のような人間をまた生み出したかもしれません。
だから、負のスパイラルは僕のところでお終いにするのが良いし、そんな風に自分の人生を自然と選択してきたのだと思います。

生きることをやめようとは思いませんが、このままずっと失って、諦めての連続なのは少し泣けてきますね。

2月に入院して今は施設に入っている親父が月末に帰ってきます。
親父はもう少しで83歳になります。今回の入院で随分と弱ってしまいましたが、長生きして欲しいし生きてる限りは家で面倒を見ようと思ってます。

なんか愚痴愚痴になってしまいましたが、家族がいる方は家族とのあれこれを大切にしてください。
我が家のようにいつの間にか失ってしまうことなんてないように。少し無理してでも家族旅行に行って思い出をたくさん刻んでくださいね。


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