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ヘタレ創作ヤログ~人生これでいいのだ!!

原点に立ち返った、創作ヤロウのブログ!
「負け組プータログ!!」からタイトル再変更。でも、今まで通り幅広くいきます~

オンラインシナリオ講座の

2005年11月26日 20時51分05秒 | シナリオライティング
コースを改定し、講座開始も2006年1月からと決めた。
本科コースの上に研修科コースを設け、さらに研修科では映画・テレビ・アニメ志望とゲーム志望と漫画志望とでクラスを分けることにした。
こうすることで、それぞれのニーズに合った内容を教えられて、密度の濃いオンライン講座になるからだ。
基本的なことは同じでも、実際のシナリオライティングはメディアによって違うからね。
映画・テレビ・アニメ志望の人は、基本的にコンクールを目指して書くことになるかな。それ以外道はないからね、今のところ。
ゲームの場合は、色々入り口はあるから、その人のタイプにあわせた指導になると思う。
漫画は、持込や投稿が一番いいらしいから、編集の人間に少なくとも目を通してもらえるようなシナリオやネームの書き方に重点をおいて、という感じかな。

ということで、興味のある方は オンラインシナリオ講座 まで。
フォームが出せない、出したのに返事がこない、という人はトップページの「こちら」から直接メールください。

ということで、雑談やシナリオの話が多くなってきたから、そろそろ「映画は地上の~」とか「俺小説」とかやらなきゃね

シナリオのフォーマット

2005年11月22日 17時04分12秒 | シナリオライティング
自称シナリオライターが増えてきたせいか(自分もその一人だが…)、プロの世界でも「シナリオフォーマット無視」の原稿を見ることがある。
ゲームや漫画原作の場合は、フォーマット自体ないので問題ないが、映像の場合は大いに問題である。

別に製作や撮影に支障をきたさなければ、必ずしもフォーマットに厳格に対応している必要はないが、やはり脚本を書くのも仕事となれば、決まり事は守るべきだと自分は思っている。
プロなのにやっている間違いを列挙してみよう。

・ト書きになってない。(小説の地の文は文学的表現だが、ト書きは映像の指示文。余計な表現は特別な場合を除いて不要)
・シーン分けが出来てない。(回想であれ、イメージであれ、舞台が変わればシーンが変わらなければ、撮影する舞台や背景を用意できない)
・人物設定が出来ていない。(プロットの段階で、人物の設定をしておかないと、途中でその人物らしからぬ行動や言動をすることがあり、つまるところキャラクターが途中で変に変わってしまい、受け手にはかなり違和感がある)

まだまだあるが、自分も学校でシナリオを教えている身なので、こういったフォーマット無視を100%「OK」とはいえない立場なので、敢てここで指摘してみた。
すでに脚本家として活動している方は、もう一度「シナリオフォーマット」について考えてみましょう。
教則本を買うもよし、脚本家養成講座に通うもまたよし。

脚本(シナリオ)では、構成も重要なので、そこらへんの目に見えない部分にも細心の注意を払いましょう。

って、俺もだよ

漫画原作

2005年11月16日 21時05分37秒 | シナリオライティング
漫画原作のシナリオを書いてみたいね。
ネタも話もある。

漫画原作の持込ってありなんだろうか?
一度電話して聞いてみよう。

あの企画を漫画にしたら、絶対受ける。
その自信はありあまるほどある。
ただ、絵がなければ持込不可なら、それまでだ。

そこらへんってどうなんだろうね。

ちなみに、シナリオライティングにおける漫画原作の位置づけは難しい。
シナリオを採用するメディアの中で、唯一動かないメディアだからだ。
ト書きが、漫画でいうところの1コマになるのだ。
すべてが止め絵で表現される漫画において、柱が必要かどうかは議論が分かれるところだが、書き手が柱のことを理解していれば、やはり柱はあったほうが書き手に親切だろう。

シナリオライターや、ライトノベルの小説家が書くことが多い漫画原作。
本来漫画家が考えなきゃならないストーリーから台詞、キャラの動作や心情描写まで、漫画原作者が書く。
つまるところ「今の漫画家志望は、絵が昔に比べて格段にうまいが、話が書けない」という集英社の編集者の言葉を聞いたことがある。

シナリオライターにとって、漫画原作という仕事が選択肢として増えたことは歓迎すべきことなのかもしれないが、やはり絵を描く人間が話も作った方が、その漫画に味が出るんじゃないかと思うね。

昔の漫画は、絵は今ほど綺麗じゃなかったけど、漫画家の絵の個性と話のまとめ方がうまくかみ合っていて面白かった。

シナリオライターとしては、どんどん漫画原作の仕事が増えていってほしいものだが、漫画家に物語の作り方を教えている身としては、また漫画家が絵もストーリーも描いて、個性的な作品を生み出していってほしいと思うな。

シナリオ講座で勉強するということ

2005年11月06日 21時21分02秒 | シナリオライティング
シナリオ講座(小説講座でもかまわないけど)で学ぶ必要があるのか?
俺は勉強なんかしなくったって書けるぜ!

そう思ってる人はいっぱいいるし、現にゲームのような後発メディアでは一端のシナリオライターを気取って活動してる人もいっぱいいる。
かくいう俺もゲームシナリオライターの一人だけど、「シナリオ講座」で勉強する必要ないとは思わない。

自分で「書ける」と思っている人は一杯いると思うけど、人に、特に映画・演劇・テレビなどの歴史のあるメディアでシナリオを書いている人や小説家の人に、自分の作品を読んでもらったことありますか?
1人や2人、同人サークルじゃなくて、多くのまったくの一般人に読んでもらったことは?
面白いって言われた事は?

「自分のセンス」ってのは確かに大切。
でもそれだけではいい物書きにはなれないよ。
物書き、とくに物語作りには基本がある。
その基本さえ学んでしまえば、センスのある人は自然とプロ並の実力がつく。
逆に物語作りの基本を学んでない人は、「自分の世界」でしか物が書けなくなる。悪い意味でね。いい意味で自分の世界を確立できるならそれはそれでいいことなんだけど、悪い意味でのそれって、つまり自分の世界に引きこもっちゃうこと。
例えば「萌え系美少女物」しか書けないとか、ね。
面白いけど、人間が描けてない作品をどれだけ読まされたことか。

人に読んでもらう作品を書くのがプロの仕事なんだから、先達のライターさんが研鑽してきた物語作りのノウハウは絶対に学ぶべきです。
学んでから天狗になるのはいいけど、物語の作り方の基礎を知らない人が、適当なシナリオ書いて、もてはやされて天狗になっちゃうのは、今はいいけど、将来ないよ。

物語作りの基本は、それが映画であれテレビであれ、漫画であれゲームであれ同じ。それを学んだ上で、更に必要なのは経験なんだけど、ゲームに関して言えば、求められるのは「物書き」の能力だけではない。
ゲームは、大抵舞台設定から作り上げるものが多いので、設定資料をきちっと用意できること、わかりやすく整理して、サブライター(ゲームは通常数人で書きます。まとめ役がメインライター)が書きやすいようにちゃんと資料を用意しなければならない、つまりデジタル創作での管理能力も問われます。
自分が開いてる オンラインシナリオ講座 ではそこからちゃんと教えてますが、実際の仕事では、ひどい資料が多かったりするわけ。
自分のフォーマットに合わせてくれといいながら、フォーマット指定書すら用意してなかったり。
こういうのはクリエーターとして失格だと思う。
こんな状態じゃ、ゲームシナリオライターが日本脚本家連盟やシナリオ作家協会に認められる日は遠いし、ゲーム自体のレベルも下がる一方だろう。

まあ、何にせよ、物書きを目指す人は、騙されたと思って気に入った講座を受けてみたらいいと思うよ。

ネットで書きかけの小説発表してたってダメ。せめて書きかけじゃなくて完成品を載せなきゃね。

ゲームのシナリオを書くということ

2005年11月01日 17時32分17秒 | シナリオライティング
同じ「シナリオ」と言っても、映画・テレビのシナリオと、ゲームのそれとでは全く違う。
もちろん共通点も多い。
物語を書くということ、人物を描くと言う事、受け手を惹きこむ展開を考えるということ、これらは映画でもゲームにおいても同じことだ。

ただ、実際の作業となってくると、かなり違う。
ゲームは、基本的にミニゲームでもないかぎり、一人でシナリオを書くことはない。また、映画やテレビのような「正しいシナリオの書き方」も存在しない。
つまり、その仕事によって書き方も違ってくるし、自分がメインライターなのか、サブライターなのかによっても作業が違ってくる。

サブなら、基本的に物語を考える必要がほとんどない代わりに、メインライターの書き方にあわせなければならない。つまり、ただ書いてるだけ、ということになる。それはそれで面白いが、「俺が!」という人には向かない仕事だろう。
俺も基本的にサブの仕事は、自分のプロフに堂々と書ける仕事のみ引き受けることにしている。
元々ゲームシナリオライターに徹するつもりは毛頭ないしね。

メインは、そのゲームの世界から物語の構成までそのすべてを作り出す、ゲームのストーリー作りの主役だ。だが、ゲームはドラマのように「ただ見るだけ」のメディアではないから、当然システムも考慮して、シナリオを書く前にチャートなどゲームの内容構成を作らなければならないし、キャラ設定表も細かく書かなければならない。最も重要なのは、他のサブライター達への指示書を作らなければならないことだが、これらをこなせるライターさんって少ない。
今まで、何度激怒したことか…。
サブは、指示がちゃんとしてないと、シナリオを書けないし、無理を押して書いたとしても、全書き直しになりかねない。

外から見ているほど、ゲームのシナリオ作業はシステマチックにはなってないのが現状だ。
俺の意見としては、プランナーとメイン&サブライターで打ち合わせをしてすりあわせてからシナリオ作業に入るべきだと思っている。

メールのやりとりだけでゲームシナリオを書くのには限界があるよ。

ゲーム会社の中には、ライターを常駐させているところもあるが、それが今のところ一番効率がいいだろうね。

あと、そろそろ映画の脚本のように共通フォーマットを考えるべき時に来ているかもしれないな。

ゲームのシナリオ

2005年10月17日 22時09分08秒 | シナリオライティング
今までのシナリオは、ただ物語を文章にするだけの、いわゆる「シナリオライティング」だけだったが、今回請けている仕事はスクリプトエディットも含まれている。
コレ自体難しいわけじゃないんだが、シナリオの修正で文字が増減し、行が増減すると、スクリプトのリンクプロパティを一つ一つ変えていかなければならない。
ほぼ修正するたびに、スクリプトも修正しなきゃならないから、「文章書くのだけしか嫌」と言う人には向かない作業。
俺の場合は幸か不幸かWeb開発をやっていた関係でスクリプト作業は、その仕組みが理解できればそれほど苦にはならない。
とは言っても、こちらの内容に対して「こうしてほしい」という修正ならいいんだが、指示書どおりにシナリオを書いたのに、指示書と違う書き方をしてくれ、と修正依頼を請けたらたまらない。
シナリオだけなら、文字を書き直すだけだからいいけど、スクリプトは一つ一つプロバティを間違えないように設定しなおさなければならないから、面倒くさいのだ。

まあ、向こうも指示書の不備は認めて謝ってきたし、こちらとしても要はシナリオにしてもスクリプトにしても作業しやすい指示書を作ってくれればいいわけだから、そういう部分を除けばおおむね順調にいっている。

別に脚本1本に、デジタルコンテンツ企画の売り込みと結構四方八方手をのばしているわけだが、うまくいってほしい。

だって、もう今日で35歳になっちまった。
2年以内には物書きもしくは映像作家としてちゃんとした地位を得たいし、3年以内には自分の家族も持たなければ、と本気で考えている。
今はまだ無理だけどね

ま、色々あるけど、Webディレクターやって鬱屈してた頃に比べると、気分は最高だね

小説とシナリオの違い

2005年09月25日 21時13分19秒 | シナリオライティング
小説を書いていて、改めて実感したね。
シナリオ=脚本は、それがどのメディア向けであれ一般人に見せるものじゃない。
それぞれプロのスタッフに見せるものだから、プロが仕事がやりやすく書かなければならないが、小説の場合は、見た人が感動するように表現にも注意して書かなければならない。
自分の場合は、小説の書き方なんて習った事ないから、どうしても表現が簡潔になってしまいがち。
ストレートで簡潔な表現の方が、誰にでもわかりやすくていいが、小説は文芸なので、わかりやすい=良いとは限らない。
もって回った表現や、映像化しづらい美しい表現も必要だ。
今回書いたのは短編だったが、そこらへんが難しいところだったね。
長さ的に細かく表現していたら規定字数を超えてしまうし、簡潔にしすぎると小説としての面白みにかける。

シナリオは設計図、小説は文芸ということを、改めて思い知らされた。

9.11衆院選にみるドラマ作法

2005年09月14日 19時02分40秒 | シナリオライティング
政治ネタではないです、念のため。

小泉首相は、ドラマ作家でないことはわざわざことわる必要ないと思うんだけど、素人にしては、ドラマ作りが上手すぎる。

序盤マスコミが取り上げた「刺客」だの「小泉劇場」だのは、少し陳腐でお話しにならないが、いざ選挙にはいってみて、彼のシナリオライティングの妙に、正直舌を巻いた。

ドラマの作り手が、受け手に対するサービスで最も重要なのは、わかりやすい題材、テーマを設定することだ。
わかりやすく、簡単明瞭に設定されれば、受け手にストレートに伝わる。
そのテーマを終始貫く事によって、受け手に広く深く浸透していくのだ。
今回の選挙でいえば、他の政党の党首と違って、小泉首相は「郵政民営化賛成か反対か」という1点しか訴えなかった。
非常にわかりやすく、また受け手に伝わりやすいテーマ設定だ。
ただ、テーマ設定をわかりやすく設定しても、物語に魅力がなければ、受け手はすぐ飽きてしまう。
小泉首相の上手いところは「飽きさせない」というところだ。
聴衆をうっとりさせる巧みな演説=魅力的な主人公の登場、女性議員の大量投入=魅力的な女性キャラを多く登場させる、法案に反対票を投じた議員を「郵政民営化」そのものへ反対する議員とする=しぶとい悪役の設定、長老すら造反議員として公認しない=悪役のボスの設定、選挙は戦いだから戦う戦士達というこれまたわかりやすいストーリー設定=戦いには犠牲がつきもの(無所属議員の落選や民主党の敗北)、とドラマティックな仕掛けがてんこ盛りだ。
で、最後は投票という、これは別に小泉首相が自分で書かなくてもいい一番の見せ場だが、そこにも、それまでの小泉首相の選挙戦略に完全にハマッたメディアが実際の結果よりも多く自民党票を読んだ=最後の悪役との一騎打ちで必殺技を使用、でドラマは最高のクライマックスを迎える。
そして、小泉脚本のドラマは「与党2/3以上の議席を獲得する大圧勝」=スマッシュヒットに終わった。

こうやって、ひとつひとつを分析するだけでも、このシナリオはドラマ的にはかなり練られたシナリオだ。
プロのハリウッドの脚本家でも1稿ではここまでのシナリオは書けない。
恐らく小泉首相は、かなり早い段階(郵政民営化法案を出すときから)からシナリオを何度も推敲していたのだろう。

政治のことはともかくとして、ドラマ作法は、こういった一見ドラマとは何の関係ないものにでも存在し、勉強できるのだ、と痛感させられた。

今一番目標とすべき脚本家は、小泉純一郎かもしれない

シナリオ執筆における「正しい日本語」について

2005年09月12日 18時52分29秒 | シナリオライティング
とある掲示板で、某テレビドラマの最終回で出てくる台詞に使われている言葉について、「間違った日本語が使われている」という指摘が書き込まれていた。
その言葉は、「姑息」。
文化庁によると約80%の国民がこの言葉を誤用(間違った使い方)しているという。

「あなたのやり方は姑息だ」
と言われたら、ほとんどの人はムカッとするだろう。
「あなたのやり方はズルイ(汚い)」
と言われた、と思うだろうから。

ところが、この「ズルイ」とか「汚い」の意味で「姑息」という言葉を使うのは、実は誤用なのだ。
「姑息」の本来の意味は「根本的なことは避け、一時しのぎをする」ということになっている。
上の台詞でいうなら
「あなたのやり方は一時しのぎだ」
となる。

このような誤用が定着している語句は以外と多い。
それが「問題だ」というのだ。

そのドラマが日本語についてのテーマを語ったものであったり、あるいは教科書に誤用の意味で書いた、というならこの指摘は正当なものといえる。

だが、言葉とは生き物である。
常に変化をし続けていて、不変のものではない。
学者が「正しい日本語を守りたい」というのは、気持ちはよくわかるが、日本語が人と人のコミュニケーションに使われる言葉である限り、時の流れによる変遷は当たり前で、元に戻そうというのは不自然である。

第一何をもってして「正しい日本語」というのだろう?
今、辞書を編纂する学者の人達が「正しい」としている日本語は、明治時代ならまったく間違った日本語になる。それ以前の時代なら別言語といっても過言ではない。

言語はコミュニケーションに使われ、生き物であるとするなら、時代によって、あるいは使用者によって変化して当然なのだ。
試しに英和辞典を見てみるといい。
ひとつの単語に、様々な意味があることに気づくだろう。
これは最初からその単語にそれだけの意味があったわけではなく、時代とともに意味が変わってきて、それをすべて辞書に載せているからだ。

自分は、一シナリオライターとして、定着した誤用を「間違いなのだから、使用すべきでない」とは思わない。
「ズルイ」という意味が定着している現在において、ドラマで「姑息」という言葉がその意味で使われても、ほとんどの人が違和感なく見られると思う。
シナリオライターが台詞を書く場合、(「頭が頭痛」とか「味がおいしい」とか明らかな間違いは別として)辞書に忠実に書くよりも、一般視聴者に通じるならインパクトのある言い回しを使うべきだと考えている。
その方がドラマとして効果的だからだ。

「姑息」以外にも、誤用が定着している言葉や慣用句は他にもある。
例えば、「萌え」。
「萌える」とは「草木が萌えはゆる」の意味で使われる語句だが、今アキバ系の仕事をすれば、この意味で「萌える」は使えない。
アキバ系の人たち(それ以外でも現代の若者の多く)の間では「萌える」とは「年端もいかない可愛い女の子にぞっこんになる」意味で使われている。
「これは間違っている!」と言っていたら、アキバ系の人達向けの仕事は出来ない。
とまあ、色々な言葉が昔とは違った意味を持ってきているのだ。

興味のある人は下記のサイトを御覧いただきたい。
「言葉は進化する」というテーマの、ユニークな日本語に関するページである。

http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/nipponia0502.htm

これから脚本家を目指そう、という人は辞書にかじりつくのも悪くはないが、こういう現代日本語の研究論にも目を向けるべきと考える。

我々は国語教師でも日本語研究者でもない。
学者のいう「正しい日本語」にとらわれていては、実際にシナリオの仕事をするのは変に難しくなる。