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ヘタレ創作ヤログ~人生これでいいのだ!!

原点に立ち返った、創作ヤロウのブログ!
「負け組プータログ!!」からタイトル再変更。でも、今まで通り幅広くいきます~

音楽と舞台

2012年10月31日 14時30分49秒 | おいらと音楽
純粋な曲作りとか、録音となるとまったく別のメディアというかアートだと思うけど、「ライブ」は共通部分があると思っている。

舞台=演劇は、基本的に自分ではない誰か=登場人物になりきる、つまり演じることで舞台を作っていくわけだけど、これは音楽のライフも同じ。
100%自分、という人もいるだろうけど、そのアーティストについたキャライメージやバンドのイメージに合わせた「ミュージシャン」を演じることが多いと思う。
これはプロに限ったことではなくて、アマチュアでもライブがうまいバンドって、ちゃんとそこに「空間」を作り出している。
演劇の舞台でも、音楽のライフでも、「空間」を作り出すにはそこに登壇している人間が「舞台上の役割」を演じなければ不可能。

例を挙げるなら、たとえばオジー・オズボーン。
メタルかよ、って?
メタルって一番ライブでの「演技」が重要なジャンルなのよ。

基本的に破天荒な人であることは間違いないけれど、舞台の上ではかなりそれをオーバーに演じている。
人間臭さの強い人なんだけど、ライブでは「魔人」になりきっている。

同じメタル/ロックでもう一人。
VAN HALENに返り咲いたデイヴ・リー・ロスも舞台の上では「ダイヤモンド・デイヴ」を演じ切る。
プライベートじゃ普通のおっさんだよ
これは、同じバンドのギタリスト、エディも同じ。

いいライブをやるために必要なのは、もちろん「鉄壁の演奏力」や「経験」が重要だけれども、舞台演出にあたる「バンド/ミュージシャンを演じる」ということも重要だと思いますよ。

特にヴォーカルは、通常フロントマンだからね。

ああ、ライヴやりたい

そうかなぁ?

2012年10月30日 13時06分57秒 | 雑談
時代を動かすのは 課長クラスの「ミドルリーダー」である(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース

むしろ部の足を引っ張ってる課長いたよ。
どことは敢えて言わないけど

まあ、主任であれ係長であれ課長であれ、中間管理職っていうのは組織の中核=コアであることは間違いないよね。
それらコアスタッフをどう配置し、動かしていくか?
これがシニアマネージャー(部長以上)の手腕だと思うね。

組織である以上、部長の決裁なしで課長以下が動けるわけないし、決裁なしで動ける環境を作るとしたら、それもやはりシニアの仕事でしょ?

なかなか、そこまでひとりひとりに裁量をゆだねられる器の大きいシニアマネージャーっていないんだよねぇ

どんな人物を課長として配置するか、というのは、大きな組織なら人事部の専権事項だから、「時代を動かす課長」を作るのは人事部だともいえる。
上記の課長さんは、そういう意味では人事部のご乱心か

まあ、俺には縁のない話だけどね~
いや、部下になる可能性はこれからもたくさんあるわけだから、めっちゃ縁のある話か

尼崎のマンション

2012年10月29日 17時07分58秒 | 雑談
結構高級なマンションみたいだけど、あの部屋は今後買い手がなかなかつかないだろうな
殺人があっただけじゃなく、遺体も置いてあったわけでしょ?
100万でも難しいんじゃないだろか?
いや、そのくらいまで下がったら買い手はつくかな。

1000万とかじゃ、まず売れないだろうねぇ。

ちなみに、あの尼崎の事件って何度聞いてもよく理解できない事件。
最初は新興宗教がらみかと思ったけど、どうもそうじゃないみたいだし、なんで赤の他人がああも簡単に家の中に入ってこられるのか&居座ることができるのか、ちょっと理解不能。

まあ、人は人。
それぞれいろんな事情があったんでしょ。

でも、あのマンションは…いい物件だねぇ

ま、尼崎に引っ越す気はないけどね~

「モノを作る」理由

2012年10月28日 22時43分03秒 | ゲームという娯楽
これは様々。

仕事か趣味かでも大きく違うし、「何を作るか」でも全然違う。

今回は、「ゲームという娯楽」カテゴリで書いているので、もっぱらゲーム開発の話にしようか。

仕事でやっていて、作ったものはどういう形であれ(プラットフォームや形式に関係なく)市場に出るわけだから「売る」というのは確かに重要な要素だし、「作る理由」と言えるかもしれない。
つまり「商売する目的/理由で作っている」ということだね。

否定する理由はないし、「市場に商品を送り出す」という仕事でやっている以上、「売る」ということはかなり意識して作ってきたし、今も同じ。

ただ、「何が売れて何が売れないか」っていうのは、結局のところわからない。
マーケティングをやって、例えば売れたゲームの分析をすることである程度「売れるゲーム」の方向性は見えてくる。
でも、その方向性で同じようなものを作ったからといって、それがまた売れるとは限らない。
また、販売数が多い(売れた)=黒字ではないわけで、開発にどの程度金がかかったか、によってKPIが変ってくるわけだから、販売本数/DL数だけを指標にすることはできない。

つまり「売れるか売れないか」は明確にできるものではないから、それを理由にモノを作る、というのは結構キツイ。

まあ、ビジネスとか趣味とか関係なく、共通しているのは「作りたいから」という理由の理由。
まさに作る根源だよね。

でも、これも「作りたいから」に「売れる見込みがあるから」がないと、実際ビジネスとしてモノを作ろうという話にはならない。

だから、俺らは企画書をプレゼンする時、大抵どこかしら似たような要素を持った商品(もちろん売れたもの)を探してきて、それを引き合いに「売れると確信します!」と大見得をきるわけだ
ゲームの企画だからって、引き合いに出す商品がゲームとは限らない。
いや、むしろゲームではないことのほうが多い。

この映画がヒットしたから、ヒットの理由になったこの要素を本企画のゲームに取り入れて云々、とかね。
あるいは今売れてるこの芸人をモチーフにして、こんな風にゲーム内に組み込むことで云々とか、まあその辺は80%こじつけ。

いやいや、こんな事を書きたかったんじゃないよ。。。

「モノを作る理由」の話に戻ろう。

つまり、自分のモチベーションを高く維持できる理由があれば、なんだっていいんだと思います。
前述の通り理屈は後付でいいんだし、金を出させる以上、GOサインを出させるまでにこの「理屈」作りは、「作る理由」とは別に絶対やらなきゃならない事なんで。

自分が納得出来るモノでないとモチベーション高くもてないから、「自分を納得させる」のは重要。
仕事の場合、これって結構難しいんだけど、まあ最終的には「次につなげるため」とか「生活かかってるから」でもいいんだと思ってます。

趣味で作る場合は、自分が納得できないものは作れないよねw
作るべきじゃないと思います。
趣味の場合、サークルとか同人関係で作る人も多いと思うけど、こういうのは「自分が納得できる」ものでなければやらない方がいい。

だから自分は最近映画はやってないんだよね

最後に、この業界で最近「売れたら勝ち」とか「売れたものは正しい」という事を耳にするけど、それは立場とか各々の価値観によって見方が違うと思うね。
「売れたら勝ち」っていうのは、勝ったのは誰(何)なのか、というのが疑問。
勝者は売れた「商品」そのものなんであって、それを作った人では絶対ないと思うね。
その人が生涯売れる商品を作り続けられたら、それはその人が勝者だと言えるかもしれないけど。
「売れたものは正しい」も、売れた時点の話であって、人の価値観とかニーズって常に変るものだから、これもずっと「正しい」とは言えないと思う。

モノ作りをする個人が、いわゆる「成功」の基準に「売れる事」をセットするのは、じゃあ売れなかったらそれは失敗なのか、という事を考えておかないとならないんじゃないかな?
会社や出資者が「売る」を至上命題にするのは当たり前のことだけど、一個人が「売れる売れない」を「成功か失敗か」にするのって虚しいと思うねぇ。



「売れなかったけど、個人的にこの商品(作品)にはこんな思い入れがあるし、こんな事を学んだ」


モノを作る人間の心理って、こんな感じなんじゃないだろうか、と思う今日この頃です。

映画はやめたのか?

2012年10月24日 17時27分48秒 | 俺的映画人生
そんな自問自答を繰り返してはや3年たつ。

このブログをはじめたのは2005年。
自分がモグリのシナリオライターを始めたのもこの年で、プライドばかりでビジネスにならない映像業界に見切りをつけたのが2年後の2007年。
この年から、仕事としては一年間を除きどっぷりゲーム関連。
ファイナルなんとかな会社で携帯ゲームのPMみたいなことやったり、「すべての遊びはここに集まる」なゲーム機の会社の海外コンテンツローカライズPMみないなことやったり、今も中小会社のプランナーやってたりして、生活するにはいい仕事だし、満足しています。

ただ、映画への熱はなくなってしまったかというと、なくなってしまいました
というほどでもないんですが、
「とにかく何でもいいから撮りたい」
とまでは思ってないんですね。

ゲームではできないことってたくさんあるし、(画で)語りたいこともあるけれど、それがイマイチ整理しきれない。

人と時間が必要だ。

ということも大きな問題。
自分ひとりで全部やる、となると内容が限られてくるし、難しいですね。

でも、やめたわけじゃないんです。
いつか、近い将来必ずや自分の作品をYouTubeなりなんなりにアップすることがあると思いますよ~

それまでは、しばし音楽やらゲームやらで自分の時間を過ごそうと思う。

ゲームプランナーになりたいですか?

2012年10月24日 12時09分51秒 | 雑談
俺がまだ20代のころ、子供が「大人になったらなりたい職業」でJリーガーの次に挙げていた職業こそゲームデザイナー(現在はゲームプランナー。ちなみに海外ではGame Designer。日本ではデザイナーというとアート関連職になります)。

今は果たしてどうでしょうか?

専門学校で勉強している学生もまだいるから、職業として憧れている人もまだ大勢いるだろうけど、もはや「サッカー選手かゲーム開発者か」という時代ではないことは明らか

なんてブログを書きながら、データ入力&アイディア出しをしていたりするわけだけれど、「自分のアイディアで勝負する」仕事ではないです。
分業化が進んだ今は、ね。
そういう意味では、スマホ向けソーシャルゲームなんかはまだ少人数で作ってるし、プランナー一人で企画からデータ作成までやっているから、ああいうのが好きなら、プランナーもいいかもね。

中規模~大規模なゲームになると、プラットフォームがなんであれ、プランナーも基本分業です。
メインプランナーが全体の仕様を考えて、他にバトルプランナーやフィールドプランナー、イベントプランナー(昔はゲームシナリオライターがやっていたシナリオも、今はプランナーの仕事)などなど、そのゲームによってさまざまな役割分担があります。

「こんなゲームが作りたい」
は、プランナーの仕事ではないことがほとんどだね。
プロデューサーとか、そのクラスの人たちが発端になることが今はほとんど。

単純にデータ作りの仕事と割り切れば、プランナーも面白い仕事であることは言うまでもないです。
だって、自分が考えた計算に基づいてゲームが動くわけだし、演出なんかを考えるのは面白い。

仕事ってのは、「面白いからやる」じゃなくて「やってると面白い」くらいがちょうどいいんだと思ってます

若い人には若い人なりの楽しみ方もあると思うので、業界目指している人は(プランナー目指している人も)頑張って

Wanted Dead Or Alive

2012年10月23日 16時25分35秒 | 青春よ永遠なれ~我が80年代
回顧録じゃないけど、最近また「あの頃はよかった」病がではじめてます。

やっぱ、俺の場合は高校1年の頃。
Bon Jovi は、当時ブレイクしたばかりのロックバンド(当時のカテゴリではメタルバンド)で、タイトルの「Wanted Dead Or Alive」もヒットアルバム「Slippery When Wet」(当時の邦題は収録曲の「Wild In the Street」)のバラード曲で、今でも好きな曲。

といっても、当時Bon Joviはそんなに好きではなかった。
好きだったのは、Bon Joviが好きだった先輩女子KCさん。
Kさんに影響を受けて聴きだしたら、「ええでないの~」となったわけです。
まあ、自分がないのは高校生だったからだけではないんですが

あのアルバムは神がかり的なものだったと思うね。
後のはどうでもいい。
「You Give Love A Bad Name(邦題「禁じられた恋」だったかな?)」
「Livin' On A Prayer」
みたいな代表作ももちろん、個人的にはイントロが高校生的にはショックだった「Social Disease」(えー、あの子もこれ聴いてんの、みたいなw)とか、「Let It Rock」、「Raise Your Hands」なんかよかったね。

カラオケでは結構歌ってるけど、セッションとかバンドでやったことねぇなぁ。
やりたいな、とは思うんだけど、ちょっとポップすぎるんだよね。
キーボードも必要だしね(集めるのが大変なパートなんですwww)。

今自分がやりたいバンドってのは、もっとぶっとい音のメタル。
LOUDNESSほどではないにしても、サミー時代のVan Halenみたいな感じ。
Whitesnakeとかね。

Bon Joviは、聴いてるといい感じ。

ちなみに、LOUDNESSも「Hurricane Eyes」はバリバリに聴いてたな~。
あの子にも布教しようとしていたような気がするな。
「So Lonely」くらいは覚えてるかもしれない

いやはや、懐かしいですわ

芸能人ツイッター相次ぐ炎上に見る、ネット社会の「正義」

2012年10月23日 15時38分34秒 | コラム
仕事中にブログなんかするな!
ってお叱りはまあ、そんな固いこと言うなよと流しておいて。

最近、意外とお笑いの芸人さん達のツイッターが炎上して話題になってますね。

まず、良くも悪くも開発&監視側に10年以上いる身から芸能人の方にアドバイスがあるとしたら、「そういうもんです、ネットって」しかないね
あきらめろって事じゃなくて、反中反韓ツイートで有名な芸人さんみたいに反論したっていいし(全部に反論は無理だけど)、多くのネット住民が(自分も含めて)やっているように「無視」してもいいし。
このブログも、炎上するほど有名人じゃないから被害は少なかったけど、一時期2ちゃねらーの攻撃にあったけど、完全無視しました。
じゃあ、掲示板はのぞかなかったのか、というと、のぞきましたよ。
その上で「これはスルーするに限るな」と思った。
巨大に見えてそうでもない板だけど、わざわざ丸腰で数十人の言語武装した連中の中に飛び込んでいく意味がないしね

ツイッター荒らし(なんて言葉あるかしらないけど)も、基本的に2ちゃねらーが源流だから、思考ルーチンは同じ。

一番嫌なのは「無視されること」と「発言を許されない」こと。

ここのブログのコメントを承認制にしたのも、それがあったから。

ツイッターは、フォローをやめることはできるけど、よほどのことがない限りフォロワーを切ることはできないし、コメント承認制なんてしたら意味がないサービスなんで、芸能人の方々は数百から数千ある返信を斜め読みして、ネガティブなコメントは読まない、という手段しかないよね。
まあ、「目が本能的にネガティブコメントを察知して自動的に読まないようにする」まで結構時間かかるけど

芸能人の方に読まれているとは思えないこのブログにこんなこと書いても仕方ないけど、まあ対処方法は基本一般人も同じだから。
参考になれば、と。
って、あんまならないか

ま、タイトル通りの内容になってないけど、要はネットの世界ではみな「俺が正しい」ということです。
正義しかないんですよ。
その正義にかみついても、時間の浪費じゃないかなと思ってるわけです。

ツイッター鬱にだけはならないように、気をつけようね。
ホント、こういうサービスは楽しむためだけにあるはずなんだから!

かも

2012年06月29日 23時03分07秒 | 青春よ永遠なれ~我が80年代
昨日、なんとも切ないというか、いい夢を見た。

都立城南高校映画部(1987年度)での活動は、このブログでも何度も書いたけど、自分にとって人生の大きなターニングポイントとなったもので、その時憧れていたのが一つ先輩のかもさん(仮名)。
僕ら男性陣の無神経さが災いして、彼女は部を去ってしまい、その後二度と会う事はなかった。

今でも、どこでどうされているのか全くわからない。
二年くらい前に、DFのBBSにカキコしてくれた時はとても嬉しかったが、それ以来コンタクトは全くない。

で。

昨日の夢の話。

夢の設定は、恐らく今ではない過去の時代、20代後半くらいの設定で、俺と、仲がよかった(今でも)ほんちゃん(仮名)、俺と同期のN君(仮名)に、かもさんの四人で同窓会のような形で会ったという感じだったと思う。

まあ、夢だからディテールなんてあまり覚えてないんだけど、かもさんとはずいぶん話し込んだ(同じようなシチュエーションが、87年当時に一度だけあったから、それがベースになった夢なんだろう)。
確かメアドのやりとりとかしてたような
次に皆で会うことを画策していて、そのスケジュールの空きを聞いていたな。
かもさんも前向きなんだけど彼女のスケジュール帳がびっしりで、「う~ん」って悩んでいた(俺がね)感覚があるんだよね、リアルに。

そういう意味で、とてもリアルな夢だったせいか、目覚めてからの虚しさったらなかったね。

でも、虚しさが薄くなっていくと同時に「爽快感」というか、やっと自分の中で「87年映画部の寓話が終わった」感じがして、一区切りついた。
24年もかかったのかwww

夢ってのは、ホントに不思議な効果があるもんだね。

まあ、何はともあれ、いい夢でした

ニューヨーク州は広かった~シラキュースシティは寒かった…

2011年12月25日 23時06分40秒 | 人生楽しや~我が90年代
大分ご無沙汰してます。

早速ですが、回顧録の続き。


「イエーイ、今年から俺もNY市民だぜぃ」と勘違いもはなはだしかったわけだけど、まあ一応NY州ではあるSyracuse市を裏表で牛耳るパーティー大学(まあ日東駒専レベルよ)のSyracuse Universityに編入したおいらがまず驚いたのは、午後8時の明るさw
日本なら午後3時くらいの明るさなのよ。
慣れるのにしばらく時間がかかった。。。

で、初日は留学生向けオリエンがあって、その後に日本人会の会合があり、そこで俺はHideという日本人と知り合った。
彼はキーボードが得意な一年生で、「一緒にバンドやりましょう!」と初日で意気投合。
テンプルで不満がたまっていた俺は、シラキュースで音楽に没頭したのだった!(ってほどでもなかったか)

Van Halenの「Right Now」は、Hideがスコア(銀盤用)を持っていたのでまずはこの曲のコピーから。
ギターは、Hideの友人だったコリアンのSungが担当、ドラム&ベースなし(打ち込み)の無茶な3ピースで、3回ライヴのようなものをやりました

ノリは、1回目の時が一番よかったな。
3回目は最悪で、PAやってた女の子が映画学科で俺と同じ授業を受けていたやつの友達で、彼女いわく「サイテーだった」とのこと

まあ、そりゃそうだわな~
リハーサルスタジオなんて近くになかったし、練習はHideの寮の部屋でやってたし。
何よりも経験不足だった(練習も)。

音楽に関しては結局、3回目の後新しいメンバーでやろうということになって、コリアンのシンガーとギタリストが加入し、俺はドラマーにまわされ、次の学期から再始動しようということになった(実はこの時俺は辞めるつもりだった)。

音楽の話はこれくらいにしておいて、映画はというと、さすがに専攻が映画だと、自主制作やろうなんて話にならなくて(ある意味「にっかつ」でもそうだったな)作ったのは授業用の2本のみ。
しかもその2本目が、現時点での最後の作品。

1本目はサイレントで白黒、カメラもBolexの手巻き16mmと、制限された中で作ったものだったんだけど、新しい話考えるのも面倒だったから、再び「DREAMER」の焼き直しをやった。
US版「DREAMER」www
タイトルは「Man with Movie Script」だったと思う。
これが、学期末の教授陣へのプレゼン&レビューで予想以上に評判が良くてね。
正直驚いた。
担当講師からはあまり評価されてなかったから。
その次の学期に同じ授業をとっていた日本人の留学生と組んで「Never Shown」というサイコスリラー(の予定だった)を撮った。
これはシナリオは講師から絶賛されていたんだけど、肝心のキャストが全く決まらなくてね。
撮影が全然進まなくて、急遽シナリオを変えて、というか撮影できるようにその場の流れで撮影したものを編集した、って感じで作ってしまった。
まあ、サイコスリラーではなくなったけど、「サイココメディ」というジャンルで勝負した唯一の生徒として脚光を浴びたのは事実w
2年最後の作品は、公の上映会で上映したんだけど、大爆笑をいただきました

自分の映画について語るのは、今回がラストだねぇ。
次からは、日本帰国後の新たなメディアとの出会いから、ってな感じ?

つづく

演劇に目覚めたTUJ時代~そしてアメリカへ

2011年08月06日 23時16分28秒 | 人生楽しや~我が90年代
長い事間が開くと、前に何を書いたか確認しないとならないから、結構大変

さて、「土鍋」制作後、再び「映画やるならやっぱアメリカだろ?」と思い直した俺は、色々英語の勉強をし、最終的にテンプル大学JAPANの門をたたいた。

まあ、当時はナントカ大学日本校なるものが日本中に溢れかえっていて、アメリカに憧れる学生達から大金を巻き上げるという、結構あくどいビジネスを展開できた時代だったけど、テンプル大学はフィラデルフィアでは知らない人間はいない有名大学(レベルは低いけど。日本でいうこところの日大とかそんな感じ)。
なので、日本校もしっかりしてたよ。
本土からの留学生もいたしね。

そこでオネエ演劇講師だったハンクってのに誘われて演劇サークルに入ることになって。
チョイ役で出演したんだけど、これがかなり楽しくってね
仲間とも仲良くなれたし(今でも一部とはFacebook上でやりとりあり)。
その中の何人かと、土鍋に続く作品を作りました。
しかも、仲間同士の旅行の先で無理矢理ね

一日で撮影を終え、家帰ってきてから編集して、即効で出来上がったのが「五人の怒れる若者」。
もちろん、土鍋の流れをくんだコメディ。
タイトルは「12人の怒れる男」からとったものだけど、内容はまったくオマージュでもなんでもありません。

その後も、フィルムノワールに影響を受けて、とりあえず白黒で撮ったサスペンス「死亡遊戯」(編入先の大学の審査書類として送ったw)を同じメンバーで撮り、翌年の1995年、日本では最後の作品となる「終章~Epilogue」を自宅で撮影しました。
ヒロインにアサインした佳子ちゃんは、今までの自作の中では一番キレイだったんじゃないかな?
演技はともかく、画は今でも一番気に入ってます。

これが、ホントに日本での最後の作品になってしまいました。。。
まあ、また作ればいいんだけどね。

この作品を最後に、俺は編入が決まったニューヨーク州のシラキュース大学へと飛ぶわけだが…


つづく

鍋の精VS悪霊~今まででベストな作品

2011年06月19日 23時05分58秒 | 人生楽しや~我が90年代
にっかつ芸術学院メンバー(俺以外)で制作し、完成したのが
「土鍋」

「沙希」。

土鍋は、まったくの新作で、当時一緒にやろうとなったメイン三人のうちの一人をどうしてもメインにした映画を作りたくて、考えに考えた挙句、「金の斧と銀の斧」をモチーフに、土鍋の精をやってもらおうと企画したものです。
文字で説明しても、よくわかりませんね
その内、ゆつべにでもアップするか…いや出演者から抗議がくるだろうからやめておこう。

で、もう一本は、87年度城南高校映画部最後の作品として企画され、結局数カット撮影したのみで頓挫した企画を、先輩Hが気に入っていて、それをリメイクした。
脚本を俺が書き直してね。

両方とも、出来はともかく、今までで2番目に印象に残っている、楽しかった撮影現場でした。

土鍋の撮影は、しかし、楽しかったけど過酷でもあった。
真夏の夜に鍋をやるという設定上、昼間の撮影は完全に光をシャットアウトしたうえで、しめきった部屋の中でガスコンロをつけるわけだから、もう暑いこと暑いこと。
肌で温度の上昇を感じたのって、後にも先にもあの時だけだね。

しかも、表に出たら寒いのよwww。
鳥肌がたったほど。
皆汗だくで歩いているというのに、土鍋スタッフは、「さみぃ~」と悲鳴を上げながら、クーラーガンガンきいたコンビニで死にそうになりました

まあ、映画製作が無条件で楽しかったのも、このくらいまでかな?

To be continued.

ミュージシャン気取り

2011年06月12日 23時36分06秒 | おいらと音楽
っていうのが一番キライ。

音楽に限らずだけど、趣味でやっている限りにおいては所詮「お遊び」なわけだし、そこに上級者も初心者も関係ないと思うんだけどねぇ。

芸術関係の活動をやる人間ってのは大なり小なり「俺って凄い」って思ってなきゃやってられないんだけど、それを表にまざまざと見せ付ける「ミュージシャン気取り」なヤツラってたまらないね。
おまえら、ミュージシャンで生計たててるんだったっけ?

…もういい大人なのにさ
現実を見つめなきゃね。

学生さんならわかるけど。
プロ目指してる人もいるわけだから。

でも、もう40超えたおっさんおばさんが、仕事で音楽やってるわけでもないのに

「音楽ってのはさ~」

みたいにもっともらしく語るのって、見ていて滑稽なんだよね
「老婆心から言わせてもらうけど」、ってネガティブな事言われても余計なお世話なんだけど、彼らはホント悪い意味で面倒見がよすぎるよね~

まあ、趣味で音楽やってる人のすべてがそういう人ではないんだけど、大体そういう輩が中心になって村社会を作っちゃうんだよね。
特に某SNSとかさ。

面倒くさくなったから、今年で音楽活動はやめます。
趣味でストレスためてどうすんの?
趣味は楽しんでこそだと思うからね。

仕事の方が楽しいってんじゃ、意味ないし。

楽しくやれてた頃がなつかしいな…


メドがつきましたら辞任します、いやしました(意味不明)~気づいたら90年代

2011年06月05日 22時13分57秒 | 人生楽しや~我が90年代
の話になっていました。
タイトルは無視してください。

ということで、カテゴリーを変更しつつ、回顧録はつづく。

にっかつは、結局すべてのプロジェクトが頓挫したのと、やはり渡米したくなったのとで途中で辞めてしまいました。
「ひとつのメドがついたら、あとは若い世代に」
ということで、まあつまる話後は野となれ山となれってな感じで、今思えば結構無責任だったなぁ。

でも、面白くなかったから。
面白くない事って続かないよ、やっぱ。
金になるわけじゃないしね。

後、若かったせいもあるけど、女ッ気がほぼなかったというのも耐えられなかったんだねwww
俳優科には結構いたけど、縄張り意識が当時は強かったみたいで、あまり仲良くはなれなかったしね。
でも、この頃が一番
「映画作りたい!」
って思ってた時期だと思うな。
プロットは、高校時代の次に多く書いていた時期だった。
クオリティの点からすれば、高校時代以上にやっていたな。
まあ、その情念が学院を辞めた翌年に2作品を創る下地になったわけだけど。

翌年は、にっかつで知り合った何人かと、それから親友の先輩と一緒に2本作ろうという話になった。
先輩が高校時代からやりたかった(高校時代にやって頓挫した)作品をリメイクしたいという流れから、オリジナルも一本やることにして、スタッフィング&キャスティングを先輩に任せた。
まあ、俺はもうにっかつ辞めてたから、にっかつでの人集めは出来なかったんで、まだ在籍していた(というかちゃんと卒業した)先輩に頼んだわけね。

で、結構いいメンバーが集まって、このプロジェクトはスタートした~

次回につづく

Twitter

2011年06月05日 22時02分15秒 | 雑談
アカウント登録してもう1年以上、ほぼ放置状態。
何が面白いのかよくわからなくて、とりあえず10回くらいツイートしてみたけど、やっぱり面白くない。

色々見てみて「なるほど、これは一言しかつぶやけないSNSか」と納得
だって、すでに知り合いがいないと、まずフォローされないし(まあ、ジャンルである程度検索されてフォローがつくことはあるけど)、フォローしても、すんごいいきおいでツイートしてくる人だと、その人のツイートでホーム画面がうめつくされるという(特に芸能人関係を多数フォローすると凄い事にwww)

知り合いが何人かやってるみたいなんで、そのうちフォローし合おうかとは思ってるけど、交流を楽しむというよりはむしろ「言いっぱなす」事でストレスを解消する効果に優れているサービスだと感じました。

もう一つアカウント作成したものの、全く使っていなかったSkypeだけど、これは今毎週使ってます。
親族が遠くへ引っ越してしまったので、Webカメラでビデオ通話するのに便利だね。
タダだし。
ただ、ビデオ通話の場合、無線LANだと頻繁に切断されるねぇ
無線はやっぱ有線に比べると不安定なので、映像みたいな大容量のデータをやりとりするのには向かないのかな。
とはいえ、今のウチのレイアウトだと、有線には戻せないのであきらめるしかないねー。
Xbox360をネットに接続できないのが不便(無線LANコンバータ買ってまでする気には、今のところならない)。

まあ、ITサービスは日々進化し続け、便利だかなんだかわからないツールがいっぱい出てきて、おじさんにはついていけなくなりつつあるなぁ、と感じる今日この頃です