洲本市海岸通に鎮座される「春日神社」(社号標、扁額は「洲本神社」)。御祭神は『春日四柱大神(武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売神)』。
由緒「創立年不詳。洲本の古社にして洲本大明神、仁井田の五社明神と呼ばれる。一説によると洲本の地名はこの神社より起こった(古く、海浜の洲に土を高くして諏訪明神を祀った洲本明神があり、諏訪の本から地名が洲本になった。)や洲はクニと読み、当国は国の初め故洲本はクニの本の意味であり、国の初めの神社等と呼ばれるが江戸時代の国学の影響と考えられている。江戸時代洲本城代の稲田氏の崇敬が最も厚い神社で有ったと伝わる。」兵庫神社庁HPより
一の鳥居を潜って奥に進むと二の鳥居。「洲本大明神」と書かれた青銅製の扁額。当社は「洲本明神社」とも呼ばれ、明治の文豪『岩野 泡鳴』が「うぶすなの神」として親しんだ社として知られています。
鳥居の奥に割拝殿があり、そこからまっすぐ奥に本殿。
割拝殿の内側より神域を守護されるのは、何となく見知った誰かを連想させる顔立ちの狛犬さん一対。はにかんだような吽形さん。人懐こさでは誰にも負けない阿形さん。どちらも独創的でユニークな顔立ち。
割拝殿と本殿の間に設けられたこの場所。祭礼の際のお神輿の座所として用いられたのかとも思いましたが、それらしい記述は見当たりません。
鳥居の側には、天明の百姓一揆「縄騒動」に関係した『吉見平六』が寄進した石灯篭が奉納されています。誰??と思って「縄騒動」の詳細を調べていくと、役人と結託して農民を苦しめた典型的な悪役。灯篭を奉納したおかげで、未来永劫悪事が語り継がれる事になるとは・・皮肉にも程があります😅
境内の一画に建立されていた句碑。達筆すぎて部分的にしか読めません。せっかく建立したのだからHPとか、傍らに案内を添えるとか・・😓
参拝日:2010年9月20日
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