車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 岐阜県可児市&旧兼山町

2020年03月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

可児市(かにし)は岐阜県の中南部、木曽川南岸に位置する市です。多治見市、美濃加茂市、土岐市、加茂郡八百津町、坂祝町、可児郡御嵩町に、また県を跨いで愛知県犬山市に隣接。北部はおおむね平坦で、南部は県下最大級の工業団地、住宅団地やゴルフ場が点在する丘陵地に。また、市の北端部には日本ラインとして名高い木曽川、中央部には東西に流れる可児川があり、豊かな自然環境に抱かれています。飛騨川・木曽川の合流点として交通の要所を占め、戦国時代には明智光秀出生地の明智(長山)城や森蘭丸出生城「美濃金山城」など多くの山城が築かれ、江戸時代には市内を東西に中山道が横断し木曽の渡しとともに川湊が開かれるなど、現在の可児市の基礎がこの頃形成されました。近年流行の戦国武将イケメン化の波は、可児市も例外でなく、「明智光秀・森蘭丸出生の地」のポスターも、こんな感じ😅 「市の木:黒松」「市の花:サツキ&バラ」を制定。

キャッチフレーズは「心豊かな活力とうるおいのある住みよいまち・可児」

明治22年(1889)、町村制の施行により、可児郡兼山町・今渡村・広見村・土田村・久々利村・平牧村・春里村・帷子村が発足。

1955年 、今渡町、広見町、土田村、久々利村、平牧村、春里村、帷子村が合併、可児郡可児町が発足。

1982年、可児町が市制を施行、可児市となる。

2005年、可児郡兼山町を合併、現在に至っています。

マンホールには、市の花である「さつき」が美しくデザインされています。

全体に市の花「バラ」がデザインされたマンホールは、花フェスタ記念公園に設置。

元気に野球に興じる子供たちがデザインされた雨水マンホールも、同じく花フェスタ記念公園の駐車場付近に設置。

昭和57(1982)年4月1日制定の市章は「可児市の「可」を近代的な感覚で図案化し、融和とかぎりない躍進を表現しています。昭和39年10月5日に可児町章として制定され、市制施行後に継承されました。」公式HPより

可愛い消防ボーイがデザインされた消火栓、右上に可児市の市章があります。

撮影日:2012年5月14日

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旧可児郡兼山町(かねやまちょう)は岐阜県南東部、東濃地方に位置した町です。美濃加茂市、加茂郡八百津町、御嵩町に隣接。町域は河岸段丘で出来ており、地形的に「兼山段丘」と呼ばれています。町で一番高い古城山(標高277m)は、地形的には、壮年期の山で低いが険しい山となり、北側は木曽川へ急な谷になって延び、南側は御嵩町比衣・伏見地区へ比較的なだらかに延びています。全国で2番目に小さい町で、平地は少なく、御嵩町との境となる南東側は山林であり、その地形をうまく生かして『森可成』が「兼山城」を築城。以来、長可、蘭丸、忠政と父子四代の居城となりました。徳川幕府の慶長5年(1600)に国替えとなって金山城は解体、犬山に移築されました。「町の木:ケヤキ」「町の花:ツツジ」を制定。

マンホールには、町章を中心に、町の花「ツツジ」がデザインされています。

昭和52年4月10日制定の町章は「兼山町の力を主体に、町全体を円形にして町民の平和・団結・円満を表すと共に、木曽川の清流を力で表現し、明るく調和のとれた町として発展する姿を象徴した。」旧公式HPより

町章がある側溝蓋、この頃から雨の降りがきつくなり、兼山町の蓋探しはこの二枚で終わりました。

撮影日:2012年5月14日


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