三重県四日市市諏訪栄町に鎮座される「諏訪(すわ)神社」。御祭神は『建御名方命(たけみなかたのみこと)・八重事代主命(やえことしろぬしのみこと)』 昭和15年(1940)に新造された銅板製二の鳥居
由来「鎌倉時代初期の建仁2年(1202)に、信州の諏訪大社の御分霊をこの地に勧請し創祀されたと伝わる。四日市・浜田の総産土神として崇敬を集めた。往時は「正一位諏訪大明神」と呼ばれたが、明治の諸改革で明神号とともに廃された。明治6年(1873)県社になり「諏訪神社」と改称。昭和20年6月の四日市空襲で灰燼に帰すも、昭和26年に本殿等再建が成された。」公式HPより抜粋
鳥居の内より神域を守護されるのは「奉献 黒田長忠 安政三年(1856)」の銘を持つ狛犬さん一対。全体に丸っこい形は、いわゆる関西系でしょうか?
昭和26年再建の拝殿
御神紋は「諏訪梶の葉」
奉納御神馬の腹掛けにも同じく「諏訪梶の葉」の御神紋。
境内社「山津見神社」、御祭神は『大山祇神・天照大神・素盞鳴命・大物主命・応神天皇・倉稲魂命・大宮能売命(おおみやのめのみこと)・猿田彦命・大市比売命(おおいちひめのみこと)・加具都知命(かぐつちのみこと)・国常立尊(くにとこたちのみこと)』。明治41年に旧四日市・旧浜田地区四十八社を当社境内へ移転合祀。
「山乃神」碑
山津見神社前に架かる石橋の傍らに「堅磐(かきわ)橋」と刻まれた石柱。「明治四十年(1907)八月十二日起工 九月二十五日落之 以賽三十七八年役之戦功 石工生川卯吉」「奉献 三重軍人義会 四日市支部」とあり、日露戦争の戦果を記念して架けられた橋と思われます。」公式HPより
「政成(まさなり)稲荷神社」、御祭神は『倉稲魂命・大宮能売命・猿田彦命』。願い事の成就になぞらえ「まさなりさま」として親しまれています。
「浜田村の生川吉左衛門氏が嘉永6年(1853)6月に伏見稲荷神社の御霊璽を拝受して、屋敷神としてお祀りになられていたものを、万延元年(1860)2月12日に「正一位政成大明神」として当社境内に移遷されたものとされる。」
境内社「天神社」、御祭神は『菅原道真公』。左に「戎祠」、御祭神は『えびす神』。慶応元年(1865)に地元の豪商・田中武兵衛氏によって勧請したと伝えられます。
御神木「楠木」
社務所の屋根留め蓋、飾り瓦の獅子一対。
東海道に面して立つ一の鳥居。「大正15年(1926)、小菅剣之助氏によって建立。一見しては鳥居には見えませんが、左右に二基ある三輪鳥居流の脇鳥居の穴に貫を通すもので冠木鳥居とも言います。祭礼時に山車の練り込みの支障とならないようなつくりとしたのではないかと考えられます。」
境内の西口に立つ鳥居。昭和14年(1939)角田忠誠氏によって建立。
参拝日:2011年4月10日
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御神名一口メモ
『大宮能売命』、天太玉命の御子。天岩戸から新殿に移った天照大神に侍女として仕えたとされ、天皇八神の一柱。伏見稲荷大社で祀られる稲荷三神の一柱。
『大市比売命』、大山津見神の御子。須佐之男命の妻で、大年神と宇迦之御魂神(稲荷神)の母神。
『国常立尊』、日本書紀では、天地開闢の際に出現した最初の神とされる。
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