車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 岐阜県旧武芸川町・旧武儀町(関市)

2020年03月03日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧武儀郡武芸川町(むげがわちょう)は岐阜県のほぼ中央、中濃地区の西部に位置した町です。岐阜市、関市、美濃市、武儀郡洞戸村、山県郡高富町・美山町に隣接。町の北部には、汾陽寺山脈、南部には山県丘陵が東西に連なり、町の中央部を西から南東に清流武儀川が貫流、 川の両岸に広がる扇状の平坦部が9つの集落を形成しています。総面積の75%が山林で、農地は9.4%町域には飛騨・美濃さくら三十三選の「寺尾ヶ原千本桜」や「紅葉ヶ滝」などの名所があり、季節には多くの観光客で賑わいます。「町の木:桜」「町の花:菊」「町の鳥:つばめ」「町の魚:鮎」を制定。

道の駅むげ川に建立されていたモニュメント「燦々桜樹(さんさんおうじゅ):武芸川町の大地を彩る桜樹に思いを映し、人間の創造性と自然の摂理を象徴的に表現しました。」

旧キャッチフレーズは「ひとにやさしいまち むげがわ」

明治22年(1889)、町村制の施行により、武儀郡東武芸村・広見村・高野村・八幡村・小知野村・跡部村が発足。

1897年、広見村、高野村、八幡村、小知野村、跡部村が合併、武儀南武芸村が発足。

1956年、東武芸村と南武芸村が合併、武儀郡武芸村が発足。

1965年、武芸村が町制を施行。改称して武儀郡武芸川町となる。

2005年、武儀郡板取村・上之保村・洞戸村・武儀町と共に、関市に編入されました。

武芸川浄化センターに旧武芸川町の展示蓋があるということで、お邪魔させていただきました。

中央に大きく描かれているのはイメージキャラクターの「鮎とつばめ」。左右に「町の花:菊」、下に「町の木:桜」。まるで餌やりをしているような構図が、何となく微笑ましい。

昭和41年(1966)2月10日制定の町章は「カタカナのケの文字を六回ダブらせ「六ケ」つまり武芸を表す。武芸川町の永久の発展を象徴している。」旧公式HPより

撮影日:2010年11月28日(展示蓋:2018年10月12日)

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 旧武儀郡武儀町(むぎちょう)は岐阜県のほぼ中央に位置した町です。美濃市、関市、美濃加茂市、郡上郡美並村、武儀郡上之保村、加茂郡七宗町に隣接。2000年の国勢調査の結果によると、日本全体の人口重心が武儀町の北西部にあると言う事です。人口の一人一人が同じ重さを持つと仮定して、その地域内の人口が、全体として平衡を保つことのできる点を人口重心と言うと説明されても・・わかったような、わからないような・・やっぱりよくわかりません😓 「町の木:カシ」「町の花:ヤマユリ」を制定。

武儀町にある「道の駅:平成」。2019年の代替わりに伴う改元ブームで一躍有名になり、色んなイベントが開催されたそうです。私達が訪問したのは2012年のことですが、それから七年後に「強いお気持ち」という鶴の一声で、まさかの生前退位なんて、夢にも思いませんでした。皇太子を摂政にしなかった(できなかった)理由って何だったんでしょうね😠

明治22年(1889)、町村制の施行により、武儀郡中之保村、富之保村、下之保村が発足。

1955年、中之保村、富之保村、下之保村が合併、武儀郡武儀村が発足。

1971年、武儀村が町制を施行、武儀郡武儀町となります。

2005年、武芸川町・板取村・上之保村・洞戸村と共に、関市に編入されました。

マンホールは町章のある規格蓋だけ、生憎の大雨に阻まれてこれ以上探せませんでした。

昭和41年(1966)4月1日制定の町章は「武儀」をカタカナで図案化したもので、ムは旧3村を3角形で形どり キの円形は3村の円満を示す。」合併協議会資料より

撮影日:2012年5月15日

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