発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

暴走する『銀河鉄道の夜』

2021年04月18日 | 本について
◆銀河鉄道の音楽
 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』を、久々に、それも猫マンガ版(ますむら・ひろし)で読む。
 お話のなかに、讃美歌(プロテスタント系。カトリックでは聖歌)の「主よみもとに近づかん」が出てくる。
 別のところで新世界交響楽(ドボルザークの第九交響曲「新世界より」のこと)の文字も見える。アニメ映画では第二楽章ラルゴの第一主題(いわゆるひとつの下校時間の曲「家路」)が使われているし、大概の評論にも、あれは「家路」に違いない、と書いてある。
 しかし、と、ひねくれ者は思う。
 銀河鉄道の「新世界交響楽」は「家路」とは違うんじゃないか?と私は思うのだ。なぜかって
①「主よみもとに近づかん」(←この曲登場はほぼ確定)と「家路」って、曲的に近すぎる。ざっくり言って
「主よ」はA A' B A‘’
「家路」はa  a'  b  b  a''  a'''
 という構成なのだが、Aメロとaメロがあまりに似通っている。音程を合わせると違和感なく重なる。聞きようによっては同じ曲になりかねない。これらを一つのお話で出す意味が見いだせない(←個人の感想です)。
   
②列車の窓の外でインディアンが鶴を射落とすBGMが「家路」なのは変。これ絶対変(←個人の感想です)。

◆「新世界」について語らせると一晩中でも語れる
 「新世界」は、中学のとき、吹奏楽部が練習してて、ふうん、いい曲だわ、なんて曲?とレコード買って管弦楽で全曲聞いて、一瞬として退屈を許さないすごいシンフォニーだと思った。
 私としては、氷山にぶつかった船(ほぼタイタニック)からやってきた少女が「新世界交響楽だわ」と言ったメロディーは、終楽章から持ってきたい。
 交響曲「新世界から」は、もし何かでほかの名前をつけることになった場合、ドボルザークは交響曲「鉄道」と名付けたに違いない。彼は鉄道好きだからだ。高校の英文読解に、鉄道好きのドボルザークが列車の音に違和感を感じ線路の異常を見つけた、みたいな話もでてきた。
 もっとも鉄道っぽいのが終楽章アレグロコンフォコ。「家路」のつぎに有名な曲でアニメ「ワンピース」(アラバスタ編、ルフィ対クロコダイルの闘い)でも使われていた楽章だが、イントロの向こうから汽笛が聞こえてこないか。第一主題を聞けば、新大陸を疾走する機関車が目に浮かぶ。車窓の風景に目を転じれば、クラリネットが主旋律を奏でる第二主題となる。私は第二主題にストリングスの流れ星を聞く(←個人の感想です)。これぞ銀河鉄道、と思うのだ。

◆止まらぬ妄想列車
 待てよ、宮沢賢治がドボルザークを聞きすぎて『銀河鉄道の夜』を書いたとすると。いやありうる。彼のことだ、不思議ではない。と、『宮沢賢治童話論集』を上梓した発行人が言いきっていいのだろうか。
 第一楽章でジョバンニは丘に寝転ぶ。優しい導入部。孤独で悲しいジョバンニは青い琴の星がきらめくのを見る。光る星々。そこで雷鳴のようにショックを受けてジョバンニはいつのまにか汽車に乗り、カムパネルラと不思議な旅を始める。
 第二楽章で、「主のみもとに近づく」人々の祈り。
 第三楽章のスケルツォで、氷山にぶつかった船を回想。
 で、第四楽章。みんな降りてしまうにふさわしい描写もある。最後に近いところでカムパネルラが降りるところも見つかる。そしてジョバンニは旅を終える。
 
 組曲「惑星」と「海ゆかば」の関係について以前書いてみたこともある。音楽理論は勉強してない。ただ、いい曲ね、と聞き、たまに深読みしたくなる。
 『銀河鉄道の夜』は、宮沢賢治の死後に発表されたお話で、当人に「実のところどうなんですか」と聞いた人はいないから、いくらでも勝手に書けるわけだし。




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