発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

ボーコクのヤカラ

2013年04月11日 | 日記
 とまあ、いきなり、右翼街宣車のラウドスピーカからよく聞かれる演説用語で、罵倒語が出た。まったく穏やかな響きはないが、これは時折発行人の頭に微かに浮かんでは消えることばである。
「亡国の輩」。

 一昨年の震災以来、美しい漁港や田園や森の風景を見るにつけ、復興の手のつけようのない、荒れるまま人が立ち入ることができない地域、人の住めない地域が存在することを思い出し、晴れ晴れした気分になれないでいる。福島第一原発は冷温停止というものの、それは単なる平衡状態に過ぎず、汚染水はたまりつづけ、ときに漏れ出し、廃炉の道筋さえ立たないまま、今のこの瞬間も作業者の生命を削りながら膨大な費用を喰い続け、いつ、差し迫った危機に逆戻りしてもおかしくない状態が続いていて、私たちはそのための税金を支払い続けないといけないのだ。その上、生活の場から引き剥がされた人々や、汚染におびえながらも周辺地域で暮らす人々がおおぜいいることを考えると胸が痛む。
 円安は、輸出産業を後押ししているが、同時に化石燃料の価格を押し上げ、電力コストを上げている。そのことを、原子力発電所再稼働への根拠としようとする動きがあるが、再び福島第一のようなことが別の場所で起きたときに、日本経済はそれを支えられるのか。原発再稼働は、その場しのぎの勝ち目のない博打のようなものではないのか。安全に事故なく地震も起きず稼働できたところで必ず出る行き場のない高レベル放射性廃棄物をどうするのだ。
 この状況を一体全体誰がつくったのか。
 注意しなければならないのは、国旗を掲げ国歌を歌って愛国者を自称している人々の中にもいる亡国の輩だと思う。その場しのぎの勝ち目のない博打で、自分だけは儲かり自分の身内だけは傷つかないと思っている人々がたぶんいて、50年後、100年後はおろか、5年先の日本列島とそこに住む人々のことなど考えちゃいないのだ。
 誰が美しくない国に住みたいだろうか。誰が弱い国、自立しない国の国民になりたいだろうか。
 食糧自給率を結果として下げる政策をとる国に、どんな強さがあるのだろうか。海上封鎖されるだけで、即座に滅亡する脆弱な国づくりに向かってはいないか。
 一体何が亡国に向かわせるものなのか。それをちゃんと考え注意深く見分けて、きちんと投票に行かないと、私自身も、後の人々から亡国の輩と呼ばれてしまうことになるだろう。
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