発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

全国藩校サミット福岡大会

2015年10月03日 | 物見遊山
 ニューオータニ博多にて。http://hankosummit-fukuoka.jp/
 たぶん地元の人たちは、修猷館高校関係の人が多いんだろうな、伴天連バリバリな高校の出身者が行っていいのかな、と思ったが、行って正解。内容の紹介は順不同だということを予め書いておきます。
 ヘンデルをBGMに出席されている藩主の末裔が紹介されてた。細川護煕氏のご子息とか、あと、家庭画報あたりで見たことあるような、というお顔がいくつか。
 パネルディスカッションは、修猷館出身の、日本を代表するビジネスマン(←英語でこう表現しちゃってかまわないところのビジネスマン)諸氏によるものだったし。

 金子堅太郎(1853-1942)がメインテーマだったような。
 金子堅太郎は鳥飼出身。JR筑肥線が走っていたころは、小笹の西隣の駅の町である。
筑前下級藩士の家に生まれた秀才で、藩校時代の修猷館に学び、その後岩倉使節団に随行して渡米、ハーバードのロースクール卒業、いろいろあって閣僚、政治家として位人身を極め、亡くなったときには伯爵の爵位まであった人なのでありますが、そのあたりは神田紅師匠がパパンパンと紹介。これが聞けるだけでも行った甲斐があった。

 主催団体の漢字文化振興協会会長の石川忠久氏が金子堅太郎の漢詩をいくつか紹介した。
 ペリー来航の年に生まれ、ミッドウエイ海戦の直前に亡くなったというのは象徴的である。日露戦争終結に向けての対米工作に向かう船の上で詠んだ詩もある。

(「太平洋上の作」より)
 五千海路風雲暗
 皇国存亡一葉舟

 戦争をやってる地球の裏側で、これからはじまるのは宣伝戦。言論で日本擁護へ世論を導かなければならない。想像するに胃袋に穴があきそうな状況だが、負けるような人ではなかった。アメリカでスピーチしまくって日本の味方につけ、そののち40年を越え89歳まで生きたのだ。よほど強靭な精神の持ち主に違いない。
 
 で、晩年の漢詩。太平洋開戦前夜の詩には、敗戦の予感が匂う。日が変わった未明には真珠湾攻撃という日付である。「開戦」とあるが、その先に何があるかは、金子に見えていないはずがない。ひときわ辛いものがあっただろう。
 
  十二月七日夜
      所感
 英米支蘭迫四隅
 勿驚連合似雄図
 明治国策皇猷定
 開戦平和執一途

 帰宅してこの漢詩が書かれたプリントを見直し、あれ? と思った。
「開戦平和執一途」(かいせんへいわいずれかいっと)
 これは、1941年12月に及んで「開戦」と「平和」が、選択肢としてあったと晩年の金子堅太郎は詠んでいるのでないか? あの戦争を回避できなかったのは、外圧の問題ではなく選択肢の問題であったということか。これはズシリとくるなあ。

 

 
コメント
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