発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

埠頭をわたる風2020

2020年08月24日 | 物見遊山

◆埠頭を渡る風2020

 

 博多港博多埠頭。通称ベイサイドプレイス博多。博多ポートタワーは、名古屋テレビ塔や通天閣、東京タワーなどの全国内藤多仲設計タワー兄弟の末っ子なのだが、博物館もタワーも改修工事は済んだのに諸般の事情で一般入場不可。たぶん今後も入場無料。再開のあかつきには是非おいでませ。

 博多埠頭は市営渡船と五島・壱岐対馬へのフェリーが発着する生活港だが、西鉄のレストラン船に乗ることができる。要予約で、乗ったことないので調べてみたが、今なら10人までキーマカレーでよければランチクルーズ100分2200円(通常なら乗船のみの料金だったかと)のプランからある。いつもの夏なら市営渡船が夕方に納涼船営業をするのだが、今年はない。渡船乗車口近くのオープンエアのビアガーデンだけが、席数は多くないが賑わっていた。

 ここのスーパー「湾岸市場」の持ち帰り握り寿司が人気で、デラックスネタも含めて一貫100円均一。消費税を1割払えばイートインもできる。中トロとウニとアナゴとアジ食べて、海風に吹かれて船を眺めれば、夏休み気分である。

 


音楽(鑑賞)の神様、今日もありがとう♪

2020年01月11日 | 物見遊山

◆ニューイヤーコンサート

 1月としては暖かい夕方、福岡天神FFGホールのニューイヤーコンサートに行く。銀行のご招待である。オーケストラは、九州交響楽団。700席弱のホールは、マイクロフォンが見当たらない。ということは、100%アコースティック?  電気増幅一切なし? 全席自由なもので、四列目のまん中GS席に行く。このあたりの席に来ると弦のビブラートやピチカートが皮膚に反響してくる。

 「こうもり序曲」(「トムとジェリー」のアニメで、トムが指揮する猫オーケストラの曲)にはじまり「ラデツキー行進曲」で終わる。女性の演奏者は色鮮やかなロングドレスなんか着てたりする。華やか。

 よく聞く曲でも、聞き落としていた部分があって、あそこに入り組んだピチカートが入ってるんだなとかが近くで見てはじめてわかったりする。

 今回の指揮者藤岡幸夫氏のお話が楽しかった。曲が作られた背景なども解説。学校の運動会でよく使われる「天国と地獄序曲」(かけっこのBGMにしてカステラ一番文明堂)は、およそ教育現場に相応しくないとんでもない喜歌劇ストーリーなんですと。この曲はヴァイオリンソロが長いのだけど、コンマスさすが。チェロ首席奏者、若くてすごくうまい。

 ソプラノ歌手の歌も楽しい。「春の声」なんて、すごく難しいと思う。

  で、入場のときにもらったプログラムに当たりカードが入っていて、秋山和慶氏指揮のマーラー9番のCDをいただく。ああ幸せ。音楽鑑賞の神様、どうもありがとうございます。


大久保利通は、東京で薩摩の海を思う

2019年08月26日 | 物見遊山
◆鹿児島中央駅
 鹿児島に行く。10年ぶりくらい。
 駅ビルは、他の九州のおもだった駅にあるのと同じ、JR九州運営のアミュプラザ。
 昔からある駅前のビルは、キャンセビルというが、薩摩ことばで「来やんせ」は、来てね、とか、いらっしゃいという意味で、山口弁に翻訳すれば、オイデマセビルといったところである。イオンが入っている。前に来たときはダイエーだった。
 駅の観光案内所で市営バス電車の一日券を買う。天文館に出てホテルに荷物を預け、鹿児島シティビューという市内観光地循環バスに乗る。

◆黎明館
 鹿児島県歴史資料センター黎明館の常設展示を時間をかけて観覧。先月リニューアルされたばかりなんだって。
 
 薩摩硫黄島のメンドン(抗不安剤に同じ名前のものがあるらしい)や悪石島のボゼなどの仮面の怪物のビデオを鑑賞。仮面はプリミティブで多くは南方系な雰囲気だが、下甑島のトシドンは年末に子どもを諭しにやってくる四角い鬼面で男鹿半島のナマハゲみたい。ともかく不思議な仮面がたくさん。
 維新から西南戦争にかけての展示も当然多い。

◆大久保利通は朝に薩摩の海を思う

 黎明館の展示で今回印象に残ったのは、大久保利通の洗面道具である。ウィキペディアに「(大久保は)青いガラス製の洗面器具を使い……」との記載がある。その本物が展示してあったのだ。
 装飾の省略された濃いセルリアンブルー。洗面器と水差し、円筒形ポマード入れ瓶と、あとひとつ、小さな四角い蓋つきの箱は何を入れていたものなのか、石けん箱か、の四点セット。洗面器は昔の琺瑯の洗面器によくある広がったタイプ。
 強化ガラスとは思えないから相当丁寧な扱いが必要だったのだろうが、そこは庶民の生活ではないので、誰かがワゴンか何かにのせて運んでくれたのだろう。水差しにはぬるま湯を入れて。肖像写真を見るに、髭の手入れは大変そうだし、髪はしっかりとポマードで撫でつけてある。毎朝の仕度には時間がかかったに違いない。
 明治元勲のなかでも、洋装がとりわけオシャレな大久保さんだが、東京で、家でも彼は洋風の生活を送っていたという。道具選びにも大久保利通のスタイリッシュな生活様式が伺える。彼が朝食に好んだのはコーヒーと、ブランデーをたらしたオートミールだそうな。オートミールを炊くのにコツは要らないし、火さえあればそう時間もかからないから家庭で毎朝食べるのに合理的ではある。それにしてもスノッブね。
 だけど彼は朝がくるたびに薩摩の海を思い起こしていたのかもしれない。そんなセルリアンブルーの洗面道具だった。
 
 鹿児島に関してはまた。

ニューイヤーコンサート

2019年01月17日 | 物見遊山

◆たのしいニューイヤーコンサート

 九州交響楽団のニューイヤーコンサート。今日のは銀行のご招待。福岡銀行本店の地下は約700席のコンサートホールになっている。設計は黒川紀章。ステージは50人くらいの編成のオーケストラが入る大きさである。席は肘掛けからメモ机が引き出せるタイプで、全席自由だったので、7〜8列目のGS席(?)に座る。管弦楽コンサートに行くのは、脳細胞が修復されるような気がするからである。木管楽器の湿度とか、弦のビブラートの小さな毛羽立ちとか、デジタルが拾わないところの音を皮膚で聞くのは良いと思う。 

 「こうもり序曲」にはじまり「ラデツキー行進曲」で終わるコンサートで、選曲も華やか。ビゼーのカルメンのダイジェストなど。

 「こうもり序曲」をはじめて聞いたのは、まだ小さかった頃で、アニメ「トムとジェリー」で、野外音楽場でトムが指揮するのがこの曲だった。

 ソプラノ歌手が来ていた。声量はあるし、音程が難しそうなところも正確なので安心して聞いていられる。「春の声」を歌曲で生で聞いたのははじめてだったのだけど、ぐるぐるしたメロディーに、難なく歌をのせて歌ってくれた。何よりも演技力である。キャンディードのアリア「着飾ってきらびやかに」は、妾にされてしまった貴族令嬢が身をはかなんで泣いたり開き直って大笑いをしたりという歌なのだが、見事な躁鬱というか双極性の歌だった。笑わせてもくれたし、表情の豊かさに観客は釘付けになってた。魔笛の夜の女王とかルチア(でも、オペラっていくつも知らないんだけどね。たまたま聞いたラジオで紹介されてたものくらいで)なんてどうかしら、と思って帰って調べてみると、なんと、この人、ランメルモールのルチア(すごくかわいそうなお話)狂乱の場が得意で、おととしその曲で日本音楽コンクールで優勝してる歌手だった。

 最高に楽しかった。脳細胞も(たぶん)修復。ブログラムに当たりカードが入っていて、ステージを飾ったアレンジをお土産にいただく。ピンクのガーベラ、バラ、ラナンキュラス、スイートピー。

   開演前、本日満席予定というアナウンスが何度もあったが、前の席のおばさまは、コートで横の座席をひとつ埋めていた。そんな観客が何人かいた。欠席した人が結構いたのかしら、と思っていたが、最後尾の席の後ろに持ち込み椅子が1列ほど置いてあった。座席がなかった人たちのだ、たぶん。主催者は、大口預金客(それは残念ながら私ではない)がどこにいるかわからない観客にきつくは言えないのかも知れないが。それと、もう少しお静かに。私ごときに オバタリアン(古いっ)と呼ばれる覚悟はおありなのでしょうね。
 

◆今週のMission:Impossible

 原発輸出頓挫のニュース、日本から原発を輸出する、とは、考えうる最難ミッションである。オリンピック招致のとき原発はアンダーコントロールと言っていたが、事故から8年になろうとする今、事故のせいで人口ゼロとなっている町が4つほどあり、その中には、事故まで普通に人が暮らしていた町の集会所で、線量が標準の100倍を超える場所がある。安全と危険については、いろいろな情報が錯綜しているが、人口ゼロと線量については当局の発表だ。どう相手が納得してくれるプレゼンをすればいいのだろう。

 

 

 


呉「てつのくじら館」で、機雷と潜水艦についてお勉強する

2018年11月01日 | 物見遊山

◆画像はクリックで拡大します

 広島から呉駅に向かって走る列車に乗る。約1時間で呉である。ホームにつくと対向車が来る。まもなく列車が到着します。危ないので下がってお待ちください。と、聞こえてくるのは、宮川泰作曲、宇宙戦艦ヤマトのテーマ曲だ。ここはかの超弩級戦艦大和の母港だった呉である。前回来たときは、隣駅の用件がほとんどだったため、呉駅周辺を急ぎ足だが歩くのは今回が初めてである。

 

◆「くじらかん」にまつわるエトセトラ

 とはいえ、呉駅周辺の空き時間は1時間しかなかった。そのあとの用が済んだら夕方で博物館は閉館している時間である。さて、どこに行こう?ということで、海上自衛隊呉史料館「てつのくじら館」である。駅近くのショッピングセンターの隣に、どどーんと大きな潜水艦。これぞ、鉄のくじらだ。

 くじら館といえば、古い山口ケンミンは、旧下関水族館にあったシロナガスクジラ型博物館「鯨館」を思い出すなあ。大きな鯨のおなかに入って行くと、鯨が何一つの無駄なく原料として利用され、食品に限らず、さまざまな工業製品となっている展示を見ることができた。数年前行ったときは、入場はできないものの、外構は元あった場所に展示されていた。なにしろ往年の捕鯨基地下関だ。あるいは大洋ホエールズ。古い方以外はご存知ないかもしれないが、現在横浜DeNAベイスターズの前身のまた前身。1950年から1952年まで下関球場が本拠地だったため、山口県にはいまだにベイスターズファンが多いし、優勝すれば下関大丸でセールがある。


◆きょうのことぱ「航路啓開」

 さて、呉「てつのくじら館」の展示は主に掃海と潜水艦。

 展示館の2階が機雷掃海関連である。掃海し、機雷を除去して安全に航行可能な海域にすることを「航路啓開」(こうろけいかい)と呼ぶ。聞き慣れないことばだわ。掃海ということばは湾岸戦争のときに有名になった。ペルシャ湾に自衛隊の掃海部隊が派遣されたと。掃海は海上自衛隊の大事な仕事なのだ。

 第二次大戦末期の米軍の「飢餓作戦」は機雷による日本の海上封鎖のことだった。夜、B29がやってきて機雷をたくさん撒いて行く。残存していた航路は多数の機雷で封鎖され、近海の海上輸送は、ほぼ不可能になってしまった。ことに瀬戸内海には多数の機雷が敷設された。神戸港大阪港も使えなくなる。触雷しようものなら水漬く屍となってしまう。沖縄戦が始まっても呉や宇品から救援に行けない。大陸からの食糧輸送は途絶え、国内石炭燃料の輸送も止まるので鉄道輸送もままならなくなり、日本は周知の通り飢餓状態となった。まさに兵糧攻めである。むろん海軍は掃海作業を行っていたが、とても追いつかなかった。

 そのうちに終戦となるのだが、海軍は所属を移しながら、そのまま掃海作業に専念することになる。日本海軍が防御用に敷設した機雷と米軍敷設の機雷を始末しないと船舶が輸送手段として使い物にならない。つまり復興はない。ただ、あらたな機雷が敷設されることはない。くまなく海底をスウィープしていく。急がないと、引揚船、復員船も触雷の危険がある。実際触雷沈没して多数の死者を出した船が出ていた。むろん命がけの作業。掃海艇もまた危険にさらされる。殉職者も昭和20年代で70名を超えた。

  そんな航路啓開作業のことが、機雷の実物とともに展示してあった。戦後仙崎港(山口県長門市。カマボコのフジミツの本社があるところ)に大陸から41万人も引揚げ上陸してきたのは、関門海峡周辺が機雷だらけで門司や下関が使えなかったからだ、と、聞いた事はあったが、町の人口よりもはるかに多い引揚者を受け入れ、さぞ大変だったと思う。日本海側に多数漂着した浮遊機雷も、仙崎にはあまり来ていない。なるほど。安全な港は、本っ当に少なかったんだ。やむを得なかったということだろうな。知らないことはいっぱいあるんだなあ。と思う。朝鮮戦争や湾岸戦争の掃海についても展示があった。

 

◆潜水艦にまつわるエトセトラ

 3階に上がると潜水艦の展示である。

 潜水艦といえば、80年代に大ヒットした漫画「沈黙の艦隊」ですね。潜望鏡など触れる展示もあって「この艦はシーバットではなく(しばしの間)やまとです(少し口角を上げる)」と「沈黙の艦隊」ごっこができる。あるいは映画「真夏のオリオン」(2009年)。日本軍最後の潜水艦。ついに残存する艦内の酸素はあと1時間分となる。「わが、イ77潜(もちろん架空艦)は、最後の反撃に出ます」。スマホ持って何言ってんのよ。あまりヒットしなかった映画だと記憶してるが、玉木宏演じる倉本艦長が、ほぼ丁寧語で話していたのが好もしい。あと「イエローサブマリン」ビートルズね。金沢明子の「イエローサブマリン音頭」ってのもあったな。80年代ゲルニカの「潜水艦」(「改造への躍動」より。太田蛍一作詞、上野耕路作曲、ボーカルは戸川純。このアルバムは結構好きだったな)では、海の狼、鋼鉄の鮫、鋼鉄の人魚。

 サブマリナー(潜水艦勤務)は、海上自衛官でも精鋭である。常々世の中で一番優秀な集団は職業宇宙飛行士だと私は思っているが、それに近い資質が必要なのだと思う。それにしても三段ベッドの一人あたりの空間の高さが50センチくらいというのは、慌てて起きると頭をぶつけそうだ。

 で、展示してある実際の引退潜水艦の艦内も見学できる。それが冒頭写真の潜水艦。グッズもたくさん売っている。呉に今度いつ来れるかわからないが、次回はもうすこしゆっくりみてみたいし、隣の大和ミュージアムにも行ってみたい。

 

 瀬戸内海の穏やかな海や、行き交う船や、牡蠣イカダが見え、呉線の電車の窓から見える海の景色は春に来たときと同じである。その反対側には山が迫っているところが多い。その山が大雨であちこち崩れて、夏の間しばらく呉線は全線不通になっていた。

 呉市から東側の路線(竹原を経由して三原まで)はまだ復旧してない。

 復旧済区間も、ときたまノロノロ運転となる。砂防ダムがいくつか砂防ダムとしての役割を果たしたものの、キャパシティを超えてしまったものもある模様だ。土嚢があちこちに積んである。呉ポートピアランドという市民公園は、堆積土置き場になっていて、高く土が盛られて閉園中である。多数の死者を出した七月豪雨の爪痕はまだ残っている。

 夜、広島駅に向かう途中、電車から見えるマツダスタジアムでは日本シリーズの最中だった。町のあちこちで「カープっカープっカープ広島っ♪」の歌が聞こえていた。

 


わたくしの笑顔、数値化される

2018年09月26日 | 物見遊山

◆笑顔を採点されてしまった

 笑顔を心掛けてはいる。笑顔は大事よ。でもね。

 博多駅前で来年のラグビーワールドカップの宣伝イベントをしていたので覗いてみた。背筋力や握力などの体力テストや、スクラム力を測る道具などが来ていて、楽しく遊べた。握力は高校のときほどではないが、まだ年齢平均以上はキープできてる。ところであるブースの前を通りかかると、メガネを外して笑うように言われそうしてみた。そしたら点数がもらえた。笑顔を数値化する装置があるのである。イベントで笑顔コンテストをゲームのように行うのは、カラオケの点数のようで、まだいいが、接客現場で数値化してひとを評価するのも目的として開発されてるみたいね。それは楽しくないなあ。自分の笑顔が機械に評価されていると思うと、笑顔になることで自分の脳に還ってくる良いフィードバックも半減してくるのではないか。哀愁のつくり笑顔になってしまわないか。もっとも、接客の表情レベルがよほどよくない何分の一かのグループの人々に、もっと笑顔を、と説得する材料にしなければならない、というのはあるのかな。

 


筑後吉井は白壁のまち    画像はクリックで拡大します

2018年07月05日 | 物見遊山

◆筑後吉井

 去年の水害で日田のところで橋が流され途切れていた久大線(久留米〜大分)が、この中旬に復旧開通する。耳納連山の北側に沿って久留米から日田に向って久大本線が走り、鉄道に並行して片側一車線の国道が伸びる。大分との県境に近い久留米寄りの福岡県側にうきは市吉井というところがある。ここは久留米城下町と天領であった日田を結ぶ豊後街道の宿場町だった。明治のはじめに大火があり、それから瓦葺に白壁の町となったんだそうな。大正期の建物が多いそうだが、本当に良く残っている。フォトジェニックなのだわ。鏝絵(白壁につくられた左官さんによるレリーフアート)が施してあるところも所々に見受けられる。「すずや」という呉服店(洋服も扱っているらしい)では、鈴と打ち出の小槌の鏝絵が。醤油屋では、恵比寿さんが醤油樽抱えてニコニコしてる。あと、鶴亀とか、彩色波兎とか、河童もあった。ともかく楽しい。鉄道とバスを合わせると公共交通のアクセスも悪くない、というよりも普通に久留米に通勤通学している感じである。私が行くときは観光客はあまり見ないが、寂れた感じはしない。空き店舗も地方都市としては少ない。でも、中には入居者募集の白壁物件もあるから、その気になれば住めるのだろう。スーパーも何軒かあり、産直野菜も売ってるし、銀行も郵便局もひととおりある。西鉄久留米駅からバスに揺られて一時間くらい。JR普通列車で久留米から30分。住んでみます?

 


2018年6月のそのほか

2018年06月30日 | 物見遊山

◆岸田劉生と椿貞雄展

 久留米市石橋文化センター。前回は、20172月で、冬だった。今回はバラがたくさん香ってた。花菖蒲も。美しく整備された庭園。木陰の所々に配置されたガーデンファニチュア。ともかく優雅な場所である。サンドイッチ入れたピクニックバスケットと紅茶の魔法瓶があるといいな。

 ともかく久留米市美術館の特別展。岸田劉生は教科書によく載っている。宿に泊まり、夜トイレなどに起きたとき、廊下に飾ってあったらいやな絵のアンケートをとったら、圧倒的に票を集めるのは麗子像だと思う。自分の実の娘を、楳図かずおの怪奇漫画、もちろん楳図かずおの方があとからになるけど、つまりグロテスクに怪奇に描くというのがもう。あの作風はデロリって言うんですって。総絞りの見るからに上等の着物を着て微笑む麗子ちゃん。油彩実物を初めて見たけどやっぱりこわいよ。椿貞雄の若い頃の自画像は「ザ・目力」というタイトルをつけたいくらい眼光鋭い。お二方とも洋画家なのだが、掛け軸、水墨画類の展示もある。そういえば時代がかぶる小杉未醒も守備範囲広かったよね。

◆丸星ラーメン

 国道3号線沿い、久留米市の宝満川と筑後川の間にあるのが、知ってる人は知ってる丸星ラーメンだっ。BGMは昭和歌謡。はやい、安い、うまいと書いてある。確かに早くておいしいよ。しかも一杯400円。ドロっとしたとんこつラーメンは、郷里宇部で親しんでいる。初めて博多ラーメンを食べたとき「さっぱりしたスープですね」と言って驚かれたものだが、博多は、とんこつスープといってもサラサラなことが多い。

◆元祖長浜屋

   博多らしいっていえば、元祖長浜屋である。メニューはラーメン、肉、替え玉、ビール、酒、焼酎のみだったような。フローリングはコンクリート。装飾らしいものは、お子様は危ないので店内で走らないでね的イラストのみ。丸くて大きなアルマイトのお茶入りヤカンがテーブルにどーん。ハードボイルドなインテリアである。こちらのスープは塩分が少ない。肉はいわゆるチャーシューではない。薄切りの豚肉なのだろうが汁気の少ない、佃煮状に煮てあるものである。この肉の塩気でラーメンを食べるって感じ。すっかり気分は高倉健、菅原文太、あるいは梶芽衣子あたり。年に1~2回、真夜中にしか行くことはありません。

     私はバリカタなどという注文は絶対しない。カタ麺など消化が悪いし、麺の茹で時間が短縮されるのみなので、店にメリットこそあれ、客にいいことなどない。デンプンはアルファ化されてこそだと思う。


広島、呉。替え歌は加速して行く♪

2018年06月06日 | 物見遊山

広島  写真はクリックで拡大します

  別の日に、これもまた久々の広島。朝、本通商店街アーケードの中を、タクシーとパッカー車が疾走する(速いっ危ないっまさに疾走!!)という、福岡博多では決して見ることがない光景が展開されている。福岡のアーケード商店街はパッカー車が疾走するには狭過ぎるのと、ゴミ収集は深夜に行われるのでパッカー車を朝見ることはなかなかない。紙屋町から広島駅まで迷わずに歩く。脳内GPSは大丈夫のようである。足元には折り鶴のマンホール?踏みにくいぞこれは。カープ坊やもいる。復元されていた猿猴橋もはじめて見た。駅に近い路面電車の電停に猿猴橋町というのがあって、大正の終わりに美しく装飾された橋がつくられていた。装飾は原爆で被災したのではなく、それより前に金属回収令により取り払われたのだった。どこの町もインバウンド市場を狙ったドラッグストアが増えている。脳内地図更新。

◆呉 写真はクリックで拡大します

 これも久し振り。山陽本線海田市駅から南に分岐した呉線は海に沿って走る。牡蠣養殖のイカダとか、整備された海水浴場などが見え、そのうち江田島が見えてくる。海を見ているうちに呉駅に着く。ここのお土産は、鳳梨饅頭。なぜか台湾的なパイナップル菓子を昔から売ってる。とてもおいしいが、生産量が少ないのか、販路は限られているようである。なにしろ駅で売ってない。もみじ饅頭は宮島に行ったときに焼きたてを食べた店で買うことにしているし、海軍なんちゃらというお土産がたくさんあるが昔はなかったような気がするので買わない。駅から数分歩けば店だが、日曜でお休み。駅前デパートで売っていそうなものだが、そごうは今はやってない。閉店して5年くらい空き店舗のままだそうだ。

◆「この世界の片隅に」の舞台だったなあ、呉は。

 駅前で「長之木行き」のバスを見かける。『この世界の片隅に』の主人公が嫁ぐことになった北條家のある地名である。ヒロインのすずは昭和19年の嫁入りのとき、呉駅から木炭バスに乗るが、バスが坂道の途中までしか上がらず、晴着にモンペをつけたまま、両親と妹とともに降りて歩くのである。

 アニメ映画にもなり大ヒットした漫画『この世界の片隅に』は、こんどテレビドラマになるらしいが、このお話については、以前、こうの史代の原画展を見に行ったときに少し触れた。名前も知らなかった結婚相手の北條周作について、戦中男としては完璧に近いと私は書いた。妻のことは常に「さん」づけで尊重、運動神経が鈍い上に体が弱くて兵隊にはとられなかったという設定だが職業は軍属で、しかも物語中では風邪を一度ひくだけである。定職についていて戦争に行かない、つまり稼いで死なない若い男というのはあの時代貴重である。機銃掃射からすずを守るために側溝にすずを引っ張り込む鋭い動きには鈍さのみじんも感じさせない、というツッコミも入れたい。だって漫画だもん、といえばそれまでだけどね。

 ともかく戦争の最中にもひとは結婚していた。物資の乏しいなか、どのように祝われていたか、というところがなかなか興味深くもある。

◆替え歌は加速していく♪ 下の3つのリンクは、歌のついた動画で再生されます。♪

 呉駅の中には、こんなポスター。「呉市 GONNA  呉市」に続く、市の観光プロモーションビデオの続編「呉イン-呉イン」である。これに並ぶ他の町は、鹿児島市の鹿児島実業高校男子新体操部員が踊りまくる「西郷どんも知らない鹿児島」くらいのものであろう。

 で、広島駅に戻り、駅前の福屋デパートのデパ地下を見てたら、あった。鳳梨饅頭。これこれこれだよ。やっと買えた。これは学生時代の友人に呉出身の子がいて、帰省のたびに買ってきてくれてたんだ。

 


2018年5月のそのほか 中旬の倉敷

2018年05月28日 | 物見遊山

◆倉敷 写真はクリックで拡大します。

    かなり久し振りの倉敷。駅から美観地区まで歩く。前回ははるか昔のことで、いわゆるひとつのアンノン族的(わかんない人はお母さんに聞いてね)なオサレスポットであったのだが、のちに大原孫三郎の伝記『わしの眼は十年先が見える』(城山三郎)を読んだときには、知らなくってゴメンナサイと思ったものである。大原美術館をつくった人は、単なる美術コレクターの会社経営者程度にしか考えてなかったのだが、そうではなく、仕事を成功させ社会に還元する、働く人の環境改善を目指す機関http://www.isl.or.jp/をつくる。そういう人だったのである。歴史的背景を知ってた方が旅は面白い。四国の松山で売ってる変わった名前のカラフルな蒸しパン「労研饅頭」も、大原孫三郎の労働科学研究所がルーツだったとは。

この建物は美観地区にある証券会社の支店。相場見通しが黒板にチョークで書かれている。景観を壊さないというか、渋いというか。こんな建物も。水島臨海鉄道の列車も忘れずに撮る。お土産は、むらすずめ。甘いお焼きにつぶ餡が挟んである。