きらく堂日記

鍼灸師の喜楽堂が日々の出来事、過去の思い出、趣味にまつわる話などを綴った日記帳(=雑記帳)です

気仙沼の友へ

2010年10月11日 | 気仙沼
 拝啓、還暦祝に出席して3日ぶりに治療院に出勤しましたが、京浜急行三浦海岸駅前の河津桜は既に八分咲きになっており、周囲には提灯なども下がって、早「さくらまつり」の風情で、気仙沼より5~6度は高いと思われる気温と明るい青空の下、気の早い中高年のグループが何組か小松ケ池公園の桜見物に来ていました。

 先日の還暦祝いの会で貴方とお会いでき、短い時間でしたがお話しができて、とても嬉しかったことをお伝えしたくて、この手紙を書きました。
私の父も母も既に亡くなり、気仙沼には身内が誰もいませんが、事あるたびに声を掛けてくれる同級生と暖かく迎えてくれる友達にはいつも感謝しています。

 還暦を迎えるまでには、人それぞれに様々な人生があった筈で、その時々に悩んだり、苦しんだり、喜んだり、後悔したり、挫折を経験したり・・・と思い出すのが大変なほど沢山のことが在ったはずですが、振り返れば真にあっという間の60年で不思議な気持ちがいたします。若い頃に森田公一とトップギャランの歌で「すぎてしまえば」と言うのがありましたが、最近になって「過ぎてしまえば皆美しい・・・」というフレーズが実感できるようになってきて、これも歳のせいでしょうか。

 私の母は私が33歳の時に59歳でこの世を去りましたが、母の歳を追い越した今の自分や同年会に参加している女性達を見るにつけて、あらためて母は若死にだったなあという感慨にふけっています。当時、私の母は体も次第に小さくなり、顔の皺も増えてきて、歩き方もなんとなく頼りなさ気で、会う度に「母も大分老いたなあ」というのが実感で、守ってあげたい存在でしたが、現在の同年代にはそんな感じは全くなく、「アラ還」などといって肉体的にも精神的にも益々元気で、還暦を過ぎて遊びも仕事も益々盛ん、というのが当たり前になっているようです。

 あらためて思うと、実は当時の母も子供の自分が思っていたほど老け込んではいなかったのかも知れません。心身ともに現在の自分と同じくらい充実していたのかも知れません。守ってあげていたのは子供の私ではなく、母の方がまだまだ未熟な私たち子供を見守っていたのかも知れません・・・などと多少感傷的な気分になってしまうのも、同年会に出た後遺症なのでしょうか。

 会場でお会いした時の貴方は、きらきら輝いている聡明そうな瞳も、はきはきした物言いも、明るい笑顔も昔のままで、前回の厄払いの時よりも若くなったように見えて、感動いたしました。私だけ歳を取っていくようで情けない気がしますが、一方、シャイで、負けず嫌いで、好奇心旺盛で・・・などという子供の頃の性格だけは残念ながらというか、幸いにもと言うか、今でも変わらないようです。

 当日、もう少し落ちついてお話しができれば良かったのですが。もっと話したいことや聞きたいことも有ったはずですが、なにしろあの喧騒の嵐の中であっという間に時が過ぎてしまって、話す機会を失ってしまったのが残念です。
いずれにしても、還暦を過ぎると古希はあっという間といわれています。いつまで若い気持ちと元気な体で居られるかは分かりませんが、健康で時を重ねていければと思っています。

 会社を早期定年退職して飛び込んだ東洋医学の世界も思っていた以上に奥が深く、その深淵に溺れそうになりながらも、なんとか6年が過ぎました。10年やって中堅と呼ばれる世界で、80歳台の現役も沢山居る業界ですので、勉強はまだまだこれからと思っています。

 患者さんは中学生から90歳のおばあちゃんまで、幅広い年齢層で、様々な職業、様々な人生経験をもった人達ですが、多くの人が肉体的痛みや障害の裏に精神的な悩みや痛みを抱えています。心身ともに健康でいることは何時の世でも難しいことで、そのお手伝いをするのが自分の仕事と思っています。精神生理学とか精神免疫学とかが近年注目されていますが、私たちの治療も踏み込んでいくと心の領域、宗教的世界にも足を踏み入れる必要がありそうで、ちょっと厄介な気もしますが・・・。

貴方もお体を大切に益々お元気で、良い歳を重ねて行かれますよう心から願っています。
では、またお会いするときまで、しばしのお別れということで・・・。

敬具

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