きらく堂日記

鍼灸師の喜楽堂が日々の出来事、過去の思い出、趣味にまつわる話などを綴った日記帳(=雑記帳)です

思い出探し(25)・寝たきりの生活・1963・夏

2010年09月21日 | 思い出探し
写真;母の見舞いを受ける入院直後の僕、13歳。昭和38年夏。

付き添いの母が帰った後の2、3日は何もすることが無くベッドでごろごろして過ごした。

「はい、上を全部脱いで」という医師の指示でパンツ1枚になった僕の身体を見て、付き添っていた若い看護婦さんが「すごい身体ネ~」、「腹筋がすごい~」などと騒ぐものだから、周りの看護婦さんたちも集まってきて、「何のスポーツしていたの?」、「力入れてみて?」などと言いながらお腹に触ったりして、中学2年生の僕は恥ずかしく思いながら、反面チョッと自慢でもあって、「機械体操です」などと小さな声で答えながら、思わず全身の筋肉に力をいれてみたりして・・・。
中学生のくせにマッチョなのも当然で、何しろチョッと前まで体操競技の選手だったのだからネ。

 国立西多賀療養所のベッドスクールに入院してくる子供達のほとんどは、脊骨が変形していたり、足の長さが違っていたり、それまでに他で何度か手術をしていたり、下半身麻痺だったりと、かなり長い病歴と重い症状を持っているのが普通で、僕のように外見上は全く病気とは見えない子が入院してくるのは珍しかった訳だが、腰椎カリエスがこんなに早期に発見できたのも、体操競技をしていたからで、激しい練習の中で異常が発見できたわけで、普通の生活をしていただけでは、病気の発見はずっと遅くなったであろう。
ただし、激しい練習もこの病気の原因の一つであるから、なんとなく複雑な気持ちではあるが・・・。


 「はい、真っ直ぐ立って、万歳して上のバーにつかまって。そのまま動かないで。」・・・後は医師が慣れた手つきで、ギプス用の包帯で頚の付け根から尾骶骨までの間をぐるぐる巻きにして、巻かれた包帯はすぐにカチンカチンに固まって、西洋の鎧を着たような、というよりは甲羅から頭と手足を出した亀の子一匹できあがりと言ったほうが合っていて・・・。

 片足にギプスを巻かれただけでも往生するのに、これはいったいなんなんだ!!!、と思ったが、続いて 両脇をギプスカッターでウイーンと縦に切って、腹側と背中側の2つに分割して、背中側のみ使用して、これをベッドに敷いて、それに背中からお尻までピッタリはまり込む形に寝るのだそうだ。

 なあ~んだ、それなら何とかなると一安心したのもつかの間、これをベッドに敷いて実際に寝てみると、自分の身体から造った雌型なのに、なんか合わない。
 すごい違和感を覚えて、それも当然で、立位での脊柱の彎曲具合と、仰向けに寝た時の自然の彎曲具合は異なっていて、ギプスは立位での脊柱の彎曲を維持させるためのものだから、つまり立った姿勢のままで寝なければならないということに違和感を覚えないはずが無い。

 「動くと骨が崩れてしまうから、絶対動かないように。」という医者の言葉に忠実に従って、理想的な患者になったのも、人生で最大のピンチから少しでも早く脱出したいためだったが、以後、食事も排泄も、歯磨きも、洗面も、勉強も、この亀の甲羅に収まって、ひっくり返った亀の状態で行うことになり・・・それはきっちり丸1年間続くことになる。
今の年齢の自分には1年間なんてあっという間に過ぎるわけだが、中学生にはとっては正に気の遠くなるような長さに思えた。

 進化の過程で2足歩行となったヒトが1年間寝ていると、身体にどんな変化が起きてくるか?、医学的に言う退行性変性がどんな形で起きるか?
また、再び2足歩行に戻るまでに、どんなに苦労するか?、については、また別の機会に・・・。

<鍼灸マッサージサロン・セラピット>

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