きらく堂日記

鍼灸師の喜楽堂が日々の出来事、過去の思い出、趣味にまつわる話などを綴った日記帳(=雑記帳)です

還暦祝同窓会は・・・

2009年01月23日 | 気仙沼
 東海道新幹線が開通し、東京に首都高速道路が一部出来上がり、東京オリンピックも終わった昭和40年に中学校を卒業した少年少女達は今年還暦を迎る。気仙沼中学校卒業生の還暦祝・同年会が2月に開かれる。小学校も中学校も1校しかなかったので、中学校の同年会=小学校の同年会でもあるのだが・・・。

 私たちは団塊の世代にあたり、当時は1学年12クラス、1クラス50名を超え、つまり1学年600名を超える同窓生が居たわけで、40名・3クラスと言ったような現在の状況とは隔世の感がある。当時は街中を走っている車もまだ少なく、ときに馬車が走っていたりする時代であったが、世の中は至って活気に溢れていて、東洋一と言われた気仙沼魚市場にはサンマやカツオがどんどん上がって、マグロの遠洋漁業の船員さんたちは皆マグロ御殿と呼んでいい立派な屋敷に住んでいた。大型船が停泊できる岸壁も整備されて、ロシアからの外材が陸揚げされていた。

 当時は一ノ関駅から山間部を走る単線の大船渡線一本しか交通手段がなく準急(準急行列車)と呼ばれたディーゼル列車が少ない本数走っていて、道路も勿論整備されていなかったため、陸の孤島的場所だったが、港町のせいか、漁業や水産物加工が活況を呈していたせいか、なんとなく町には華やかさがあり、住民もよく派手好みだと言われていた。こんな田舎の町にしては今も芸能やスポーツ分野で活躍している人が多いことをみれば、そんな風土は今も昔も変わっていないのかもしれない。

 地元に残った者、Uターンした者、都会に出て行った者、それぞれが必死に働いて、必死に生きて、気が付けば還暦。よくもまあここまで来れたと思う反面、あっという間に・・・というのもまた実感だ。
高校は仙台市、大学は水戸市・日立市、就職は横浜市と中学卒業後はずっと地元を離れて暮らしてきた自分にとって、唯一故郷と呼べるのは小・中学校を過ごした気仙沼であり、安波山、大島、亀山、御神明さん、岩井崎、魚市場、ふかひれ、どんこ、サンマ、ホヤ、福美町、石森道場、大川、鮎釣り、港祭り、花火大会、突きん棒、竹スキー、ばらいちご、バッケ(ふきのとう)・・・みんな、みんな懐かしい。
久しぶりに会う同級生達の顔が目に浮かんできて、顔と名前を思い出し、メモリーに再インプットしておく作業もまた楽しく・・・同じ時代を生きた同志である皆の元気な顔を早く見たいものだ。50,60洟垂れ小僧などといって、いつまでも若さを自慢している自分が同年会への出席を心待ちにしているなんて少し許せないと思いつつ、幼馴染との再会を喜んでいる自分の素直な気持ちがまた嬉しいのでした。
<鍼灸マッサージサロン・セラピット>

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