きらく堂日記

鍼灸師の喜楽堂が日々の出来事、過去の思い出、趣味にまつわる話などを綴った日記帳(=雑記帳)です

思い出探し(22)・はじめての北海道

2010年09月20日 | 思い出探し
写真;支笏湖の湖畔にて・・・今見ると、日活映画か児童映画の宣伝用スチール写真みたい・・・「太陽の季節」?・・・みたいな、そんな気分でいたのか、みんなやけに気取ってポーズをとっている。私5年生、兄と従兄弟は中学1年生。昭和34年。

 札幌で開かれた女学校の同窓会に初めて出席する母のお供で、兄と私は生まれて初めて北海道に旅した。気仙沼を出発して、チョッとわき道にそれる形で秋田の脳卒中で自宅療養中の祖父を見舞った。
 祖父に会うのは10年振りくらいだったろうか、片麻痺で言葉が不自由ではあったが、とても喜んでくれた。秋田に住んでいる母方の親戚とも会い、従兄弟たちとも久しぶりに顔を合わせたが、初めて見る顔もあった。

青森までは蒸気機関車の引く列車に乗った。
乗客も少ないため私たち兄弟は車内を独占して遊びまわった。
 手動で開けられる(今では想像できないが)デッキのドアを勝手に開けてちり紙を飛ばし、列車に沿って後方に飛んで来るちり紙を、後ろの開けた窓からもう一人が体を乗り出してキャッチするなどという、今思えば恐ろしい遊びに熱中した。なんかこんなことは鮮明に覚えているから不思議だ。
青森に着く頃には鼻の穴から目の周りまで機関車の出す煤で真っ黒になってしまった。青森からは青函連絡船「十和田丸」に乗って函館へ、そこからまた列車で札幌へ。

 札幌には母の姉が暮らしていて、そこで何日間か泊めてもらった。
母が同窓会にでている間はいとこ達と遊んで過ごした。いとこは兄より年上の女の子(写真に写っている賢そうな美人)と、兄と同い年の男の子がいて、北大のプールで泳いだり(これが緑色をした水の物凄く汚いプールで、良くこんなプールで泳げるなあと思ったのだが)、片平川でヤツメウナギを採ったり(従兄弟が言いだしっぺだったが、結局一匹も捕れなかったのだが)した。



写真で私はなんかおしゃれな服を着ているが、これは母の手作りである。
女学校の家政科だったせいか(と思うのだが)母は和裁、洋裁、編み物が上手で、当時はどの家でもそうだったのかもしれないが、セーターをはじめとして私の着るものの多くは母の手作りだった。もちろん兄のお下がりも多かったのだが。

 同窓会の後の1日、皆で支笏湖まで遊びに行った。
こんな大きな湖を見たのは生まれて初めてだった。「支笏湖はすごく深くて、水も冷たいので、おぼれ死んだら、死体は浮き上がってこないんだそうだ・・・」などと、いとこが遊覧船の中で話したので、想像力の豊かな私は水底に沈んで水面を見上げている死体の群れを想像して、恐ろしくなったものである。
家に帰ってからも、そんな夢を何度かは見たような気がする。

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