きらく堂日記

鍼灸師の喜楽堂が日々の出来事、過去の思い出、趣味にまつわる話などを綴った日記帳(=雑記帳)です

風林火山 義元死す

2007年11月13日 | 居合・日本刀
 前回の「風林火山」(NHK)で今川義元が桶狭間で織田方の奇襲を受けて死んだ。
この合戦にはいろいろ説があるようで、嵐を突いての奇襲という形が映画では多いが、今川の陣立てが長く伸びたのを幸いに本陣に真っ向勝負を挑んで勝利したと言う説もある。今回のドラマでは戦闘が火縄銃の一斉射撃から始っており、織田方が嵐の中を今川方の軍陣近くまで接近し、晴れ間をぬって攻めかかったという設定のようだ(雨じゃ鉄砲撃てないし)。歴史に真実は無いと言われるが、果たしてどうだったのか・・・裏に山本勘助の策略があったとしているが、これはあくまでフィクション・・・、なにしろ勘助が実在したかも定かではないのだから。

 ところで最近内野聖陽の顔が「七人の侍」のころの三船敏郎にやたら似てきているのが気になります。「蝉時雨」のころの若侍からイメージが変わって来ましたね。これも芸の内かな~。ちょっと演技がオーバーですが、良い時代劇俳優が少ない中で貴重ですね。

 またまた話し変わって・・・前に書いた話ですが、もう一度・・・。
 武田信玄の死については様々な説があるようです。織田信長にヒ素で毒殺された説、1573年の三河侵攻時の野田城攻城戦の時に城内から狙撃されたとする説(黒澤明の「影武者」ではこのシーンがあった)などですが、信玄は上洛を開始するかなり前から病気だったようで、持病の労咳(肺結核)、あるいは胃がんなどによる病死説が有力とされています。記録によれば、病で倒れた時に「四華の灸」をして持ち直したということがあるようで、そうだとすれば肺結核とか、肺がんとか、肺炎とかが死因なのではないかと思われます。

 鍼灸治療では「奇穴」という施術点が使われる場合があります。ある疾患に対して著効があるとして歴史的に受け継がれてきた施術点のことですが、この中に呼吸器疾患や心臓疾患に効くとされる「張介賓の四華の穴(ちょうかいひんのしかのけつ)」があり、信玄はこのツボに灸治療を行ったのだと思われます。背部でだいたい胃の後ろ辺りでしょうか、実際には細紐をつかって、身体のある寸法を測って、それを基準に場所は割り出されるのですが、背骨を中心にひし形の角の4箇所が施術点となります。ここに灸をすえるのです。ところで奇穴は二百数十穴あるとされますが、急性腰痛の「腰腿点」(ようたいてん;手の甲にあります)、寝違いに「落枕」(らくちん;手の甲にあります)、頭痛・めまいに「四神聡」(ししんそう;頭にあります)、中風・言語障害に「中風七穴」(ちゅうふうななけつ;全身に分布)、子供の疳の虫に「小児斜差の灸穴」(しょうにすじかいのきゅうけつ;背中にあります)、などが有名で、いまでも良く使われているのです。
(鍼灸マッサージサロン・セラピット)

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