きらく堂日記

鍼灸師の喜楽堂が日々の出来事、過去の思い出、趣味にまつわる話などを綴った日記帳(=雑記帳)です

思い出探し(18)・気仙沼でのチリ地震津波

2010年09月19日 | 思い出探し
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気仙沼湾奥、平成20年8月、気仙沼魚市場見学デッキからの見晴らし

今日は敬老の日の慶祝事業の一環で横須賀市が毎年行っている「無料マッサージ」が近所の北下浦老人福祉センターで開催され、昨年同様市から委託を受けて1日施術を行って来た。
一人15分間のマッサージを20人、5時間連続でのマッサージは還暦を過ぎた身にはさすがにチョットきついのでは・・・と思われたが、なんてことはない。
自分の体力がまだまだ充分なのを自覚して、元気に今治療院に戻ってきたところであるが、ついでに昨日の続きで過去に書いたブログを整理しようと思った訳だ。

さて、気仙沼での話である・・・
人間を60年もやっていると、大きな事件や災害を何度かは経験することになる。
直接その現場に居合わせる事もあるし、間接的にでも何らかの影響を受けたことで、いつまでも記憶に残っているそれらの事件は、遠い昔のことであっても、自分の当時の学年などとリンクさせて何年の何月頃とすぐに言えるから面白い。

 1960年(昭和35年)5月23日、午前4時11分20秒(日本時間)に有史以来最大規模の地震といわれる「チリ地震」が発生した。地震発生から15分後に約18m高の津波がチリ沿岸部を襲い、約17時間後にハワイを襲い、そして約22時間後の5月24日未明に最大で6m高の津波が三陸海岸沿岸を襲った。結果142名が死亡した。被害が大きかった岩手県大船渡市で53名、宮城県志津川町で41名が死亡した。

 当日、遠くにサイレンが鳴っているような気がして、夢うつつの中でしばらくそののんびりした音を布団の中で丸まったまま聞いていたが、すぐに母に起こされた。「津波警報が出たよ、起きなさい!」。
 外は深夜の2~3時頃で真っ暗だが、数人の大人たちのグループが家の前の広場や道路に集まっており、何か話し声が聞こえたが、あまり切迫した感じは無く・・・何しろ家があった気仙沼市福美町あたりは海から2kmほど離れた場所で、そこまで津波が来る可能性は無くて、子供達の関心はどうやったら昔話に聞いていた「津波」を真近で見ることができるか・・・ということだった。

 両親からは海の近くには行かないように注意を受けたが、子供達は周囲が少し明るくなってくると、もう待ち切れず、いつもの悪童達と一緒に私も気仙沼湾が見晴らせる高台に向かって林の中を駆けていった。このとき私は小学校5年生になったばかりで、兄は中学1年生だった。

 高台のベストポジションに腰掛けて、湾内を眺めたが、いつもとは違う場所に牡蠣筏があったり、小型の漁船が漂ったりしていること以外に湾内には特に変わったことも無く、昔話にあるゴーと押し寄せる津波を期待していた私たちは、「あれ・・・?!」と言う感じで、待てど暮らせど何も起こらない。
 それも当然で、「津波の伝播速度と周期は反比例の関係にあり、太平洋の深い海を渡ってくる波は、スピードが速い代わりに周期は長いのである。」という結構高尚な物理的法則を習うのはもう少し大きくなってからなのだから。

 待つことしばし、「来たぞー!」という声で、また湾に目をこらすと、遠くの方から、牡蠣筏の残骸や、浮きに使う樽などがゆっくりゆっくり流れて来て・・・「なに!これが津波?」と思っていたら、次第に沢山の漂流物が流れて来て、良く見ると小型の漁船も流れて来て、加えて地の底から何かが転がるようなゴロ・ゴロ・ゴロ・ゴロという不気味な音もして、漂流物は遠目に見ても結構早い動きで、しかも見えている湾奥では大きな渦巻きに乗って回っているのが分かった。ザンブリ寄せる津波も恐ろしいが、今見ている津波も静かだけれど、何かすごい自然のパワーを感じて、恐ろしかったのを記憶している。

 当日は、小・中学校とも臨時休校になったため。兄のこぐ自転車の荷台に私が乗って、さっそく港の近くまで探検に出かけた。母もラジオのニュースや人づてに状況を掴んでいたせいか、「気をつけてね。」と言っただけで、なにしろ一生に一度会うかどうかの「津波」なのだから・・・良い経験になると思ったのかどうか・・・。

 港の近くは、舗装されていない道路のくぼみには水溜りがあちこちにできて、その中で小魚が泳いでいるような状況で、たまには道端にカツオが転がっていたりして(これは魚市場から流れてきたもの)、岸壁の際まで行って見ると、潮がすごく引いていて、岸壁から10mほどまで海底が丸見えで、ごつごつした岩だらけで、その潮溜まりには小魚やアメフラシなどもいた。岸壁の側の道路の上には小型の漁船がドンと乗っていて、この場所は船を揚げる場所でもなく、明らかに津波で打ち上げられたもの。
「津波のくる前は、大きく潮が引く。」のは子供でも常識だったから、何波かは知らないが、まだ津波の余波は続いているようで、「海の近くにいちゃだめだ。」と大人には怒られるし、少し怖くなって、内湾の入り口にある高台に移動した。ここは人だかりが多くて、大人も子供も「津波見物」状態だった。
 ここからは何波目かの津波を見た。じわじわと海面が持ち上がって、見ているうちに岸壁の高さを越えて、道路に面した商店の前まで海水に浸り、その内またじわじわと海水が引いてという風で、こう書くとあっという間のようだが、実は恐ろしく長い時間の中でのことであった。
結局、気仙沼では牡蠣筏に大被害が出たものの、人的被害はなかったように記憶している。

続きの話として。
翌朝起きてみると、昨日散々乗り回した父から借りた自転車はリムもチェーンもカバーも赤錆状態で、考えてみればあの水溜まりは全部海水だったわけで・・・おかげで、ワイヤブラシを使っての錆おとしの仕事が待っていたのでした。なぜか、父から怒られた記憶は残っていない。

最近第2回目のチリ地震津波を三浦海岸で経験した。
こちらは騒いだ程は大したことはなかったが、三陸ではまたもや牡蠣筏に被害が出てしまった。
それにつけてもハイチ、メキシコ、沖縄、チリと地震がたて続けに起きていることがとても気になる今日此の頃である。

<鍼灸マッサージサロン・セラピット>

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