きらく堂日記

鍼灸師の喜楽堂が日々の出来事、過去の思い出、趣味にまつわる話などを綴った日記帳(=雑記帳)です

思い出探し(36)・15歳の旅立ち・1Q65

2010年10月07日 | 思い出探し
気仙沼を離れる前に、安波山に登る。
当時は結構高い山のように思っていたが、実は350mほどの山である。
頂からは遠く気仙沼湾と亀山が見晴らせて展望が良い好きな山だった。
昭和40年(1965)、15歳。

療養所(西多賀ベッドスクール)を退院し、もとの中学校に復帰してから8ヶ月があわただしく過ぎて、季節は秋から冬、春とめぐり、仙台一高に合格した私の仙台への旅立ちも目の前に迫っってきた。

小学校3年生の時に父の転勤で仙台から気仙沼に引っ越して6年間、途中1年間は病院暮らしだったが、少年期の思い出はすべてこの土地で生まれ、今も心の中に大切にしまってある。

安波山、亀山、小田の浜、大谷海水浴場、御神明さま、浮見回廊、魚市場、港祭りと花火大会、好きな女の子、観音寺、体操競技、運動会、福美町、大川、岩井崎の潮吹き岩、化粧坂、どろぼう坂、田んぼでのスケート、竹スキー、元朝参り、青空鼓笛隊、ひぐらしの声、凍った通学路、チリ地震津波・・・あれもこれも、すべてが懐かしい。

 これからは、気仙沼の両親や兄と別れて仙台での下宿生活が始ると思うと、寂しいとか、うれしいとか、不安だとかそんな気持ちより、兎に角しっかりやっていこうという気持ちの方が強かったように思う。
一旦親元を離れてしまえば、その後は大学進学、就職という流れの中で、再び両親と暮らすことは無いであろうという思いは強く、これからは一人でしっかり生きていくぞという覚悟でいたことは確かである。

 昨年還暦を迎えた今の私からみても、誉めてやりたいくらいの、抱きしめて「負けるなよ!」と励ましてやりたくなるくらいの覚悟ではあるが、逆に 過ぎ去った60年間を振り返って、むしろ「そんなにムリをするなよ、先は長いぞ~。」、「これからいろいろな事があるぞ~。」と声を掛けたくなるくらいに健気(けなげ)でしっかりした15歳の少年だったと思う。
そんなことを思い返しながらなにか妙に切なく、胸が熱くなってしまうのである。


昨年ほぼ同じ場所から写した気仙沼湾の景色

<鍼灸マッサージサロン・セラピット>

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