きらく堂日記

鍼灸師の喜楽堂が日々の出来事、過去の思い出、趣味にまつわる話などを綴った日記帳(=雑記帳)です

思い出探し(12)・洞爺丸海難事故の夜

2010年09月17日 | 思い出探し
1954年9月26日22時43分、青森と函館を結ぶ青函連絡船・洞爺丸(3800トン)が台風によって沈没し、1200名ほどの乗客・乗員が亡くなりました。
この海難事故は松本清張作で映画やTVドラマにもなった「飢餓海峡」でも有名です。


 当時私は4歳で、仙台に住んでいましたが、当日は脳卒中で倒れた母方の祖父の見舞いのため母と兄の3人で秋田市(祖父は王子製紙の社員で、当時は社宅に住んでいました)に来ていました。

 当日は台風15号が四国から関西を横断して日本海に抜け、北海道へ向かっていました。秋田市も夕方から夜半にかけてものすごい嵐となり、建物は大きく揺れるし、風がふくたびに風圧で雨戸が内側に反り返ってくるのを皆で必死になって押し戻したり、停電の暗闇のなかで瓦が飛んできて外壁にドンドンぶつかってきたりで、けして頑丈な造りとはいえない木造2階建ての家が今にも吹き飛ばされて、死んでしまうのではないかと真に思ったものでした。

 翌日は台風一過の快晴で、道には飛ばされてきた雨戸や瓦やもろもろの残骸が散乱しており、側の田んぼの稲穂もすっかり倒れてしまっていましたが、そんな中でまさに「生きてて良かった・・・!!!」という感じで、昨夜の恐怖も忘れたように、いとこ達と楽しく遊んだのを覚えています。
大分後になって、この台風15号で青函連絡船の「洞爺丸」が沈んだのだということを聞かされました。


 還暦を迎えた私が今でもこのことを鮮明に覚えているのは、この夜の恐ろしさのためかも知れません・・・けっして怖がりな人間とは思ってない私が、台風、特にゴー、ビューといった風音に今でも結構神経質になるのは、その経験がトラウマとなっているからかもしれません。

 この時洞爺丸以外にも北見丸(70名死亡)、日高丸(56名死亡)、十勝丸(57名死亡)の3隻の貨物船が沈没しています。

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