きらく堂日記

鍼灸師の喜楽堂が日々の出来事、過去の思い出、趣味にまつわる話などを綴った日記帳(=雑記帳)です

風速25mの暴風域に入っている・・・って、ほんと?

2007年07月15日 | 日々の暮らし
現在2時35分。ラジオでは相変わらず「現在、三浦半島が風速25mの暴風域に入っているので注意!」を繰り返しているが、窓の外を見ると、朝からの風雨もおさまり、どんよりとした曇り空と熱い南風が吹くだけで、どう見ても台風の峠は越えた、というより峠に差し掛かりもせずに終わり!と言う風で・・・いつも思うのはラジオの台風速報というものは「速報」というには現実とのタイムラグがいつも大きすぎるということ・・・。ラジオは速報性が命なのにね・・・。デスクでばかり仕事してないで・・・「事件は現場で起こっているんだ(どこかで聞いた台詞ですが)。」・・・毎日同じような内容のバカ話ばかり放送してないで、もっとしっかり仕事をして欲しいものですね、いくら聴取料をとっていないからといってもね。

洞爺丸事故の夜

2007年07月15日 | 日々の暮らし
 1954年9月26日22時43分、青森と函館を結ぶ青函連絡船・洞爺丸(3800トン)が台風によって沈没し、1200名ほどの乗客・乗員が亡くなりました。

当時私は5歳で、仙台に住んでいましたが、当日は脳卒中で倒れた祖父の見舞いのため母と兄(7歳)の3人で秋田市新屋(祖父は王子製紙の社員で当時は新屋の社宅に住んでいました)に行っていました。当日は台風15号が四国から関西を横断して日本海に抜け、北海道へ向かっていました。秋田市も夕方から夜半にかけてものすごい嵐となり、風がふくたびに雨戸が内側に反り返ってくるのを皆で必死になって押し戻したり、停電の暗闇のなかで瓦が飛んできて外壁にドンドンぶつかってきたりで、けして頑丈な造りとはいえない2階建ての家が吹き飛ばされて、死んでしまうのではないかと真に思ったものでした。翌日は台風一過の快晴で、道には飛ばされてきた雨戸や瓦やもろもろの残骸が散乱しており、そんな中で「生きてて良かった」という感じで、いとこ達と楽しく遊んだのを覚えています。

 5歳だった私が今でも当日のことを鮮明に覚えているのは、この台風の恐ろしさのためで、大分後になって、この台風15号で洞爺丸が沈んだのだということを知りました。怖がりとは思えない私が、台風、特にゴー、ビューといった風音に結構神経質になるのは、その経験がトラウマとなっているからかもしれませんネ。この時洞爺丸以外にも北見丸(70名死亡)、日高丸(56名死亡)、十勝丸(57名死亡)の3隻の貨物船が沈没しています。

 ところで、11時18分現在の三浦市では雨も風も止んで日が差してきています。台風よ早く消滅してくださ~い。