きらく堂日記

鍼灸師の喜楽堂が日々の出来事、過去の思い出、趣味にまつわる話などを綴った日記帳(=雑記帳)です

河津桜開花情報・・・三浦海岸

2012年02月26日 | 日々の暮らし
咲いた咲いた桜が咲いた~

待ちに待った河津桜の開花です・・・と言っても、この枝先にチョコットですが

でも、やっと咲いたかという思いがあってとてもうれしい

これから、順々に花の数が増えて欲しいのですが

残念ながら寒さが戻ってしまい・・・さてどうなるか





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鎌倉初詣

2012年01月10日 | 日々の暮らし
女房と二人で鎌倉の鶴岡八幡宮と長谷寺に初詣

宮本武蔵は五輪書の中で「仏神を貴び、仏神を頼まず」と言っているが、私のような凡人は何時も困った時の神頼み・・・で、家内安全、商売繁盛をお祈りした

久しぶりの鎌倉で、人出は多かったが、ぶらぶら散歩で面白かった

古着屋で気に入った柄の博多帯1,000円と組み紐500円を買って、これで刀を入れる袋が2つ作れるので、暇な時に作ってみようと思っている



長谷の大仏様(阿弥陀如来)
ここまでの津波を想定しておかなければならないのだな・・・などということをすぐ考えてしまう
のでした



鶴岡八幡宮石段下にて、参拝人数規制中で参拝するまで30分程待ったかな

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三浦海岸の初日の出

2012年01月01日 | 日々の暮らし
今年は良い年になりますように!!!!!

昨年は寝坊して見損なった初日の出

今年は寝坊することなく6時半には三浦海岸に到着したが・・・

あいにく水平線には雲が掛かっていて

初日を拝めたのは大分高い位置に昇ってからでした

今年は穏やかな1年でありますようにと、手を会わせました















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ミニトマトの不思議

2011年05月26日 | 日々の暮らし
治療院のベランダで育てているミニトマト

順調に育って 実も日に日に大きくなっています

始めにネットで育て方を調べたら、実は同じ方向になるので苗を植え付ける(露地植えの場合は)時には収穫しやすいように植えることとあった

ひょろひょろ伸びて行く茎をみながら、茎も捻じれるだろうし、実が同じ方向に揃うなんてありえないなあ・・・と思っていたが

自然の摂理かトマトの力か、結果としてちゃんと同じ方向を向いて実が付きました

全く不思議です




2鉢(2本)育てています





根元から1段目の房はこんな感じで、まだ青いままです
以降の写真もすべて同じ方向から写しています





2段目、房の形が1段目とは違っていますが生っている方向は同じ





3段目、花がさいています





4段目、つぼみの状態です

なぜ同じ方向に実がなるのでしょうか?
日の射し方などの影響であれば分かりやすいのですが、始め植え付けるとき最初にできたつぼみが向いている方向にそれ以降の成長にしたがって出来る新しい実(蕾、花)が揃うというのは、いったいどんなメカニズムなのでしょうか

不思議、全く不思議?

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伸びる伸びる!ミニトマト

2011年05月15日 | 日々の暮らし
治療院の待合室で育てている鉢植えのミニトマトは

ぐんぐん伸びて、胸の高さくらいになったので、室内ではもうムリとベランダに移動







実の方は今は一本の幹に3房なっていて、1房には実が10個程度付いている

房の根元の方から順番に花が咲いて、実がなってくるため、房の先端部に向けて実はだんだん小さくなって

きれいに並んだ姿がなんともかわいらしい

実はまだ青いままである






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東日本大震災に思う・思い出探し(41)私の事件簿

2011年05月10日 | 日々の暮らし
東日本大震災から早くも2カ月が過ぎようとしている。
「もう2カ月も経った」のか、「まだ2カ月しか経っていない」のかは人それぞれ感じ方が違うであろうが、私自身には「もう2カ月も経ったのか」という感じで、時間だけがどんどん過ぎて行ってしまうようだ。

被災地のみなさんは大変な状況が続いているが、これがわが身に起きた事だったらその瞬間どう対処できたか、今後どう対応して行けるのだろうかと考えてしまう。
いろいろ考えていたせいか、昨夜は自分が津波に会って・・・辛うじて逃げ切った夢を見てしまった。

気仙沼は小学校、中学校を過ごした私の故郷である。

事故、災害は一生の間に何度かは遭遇するものであるが、以前それらを振り返ってみて、忘れない内にと書いた文章を思い出したので、そのまま以下に載せてみました。
書いたのは2010年10月9日です。

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最近、世界のあちこちで大災害(人災もあるが)が起きていて、アイスランドでは火山も噴火して、天候も不順で、こないだまで温暖化を問題にしていたのに、火山に絡んで寒冷化、飢饉、氷河期の到来なども言われて、日本も猛暑・酷暑が続いたり、なにがなんだか分からない状況になっています。
日本でもあちこちでちょこちょこと大雨、土砂崩れ、地震などが起きていて何か気になります。

 地震、雷、火事、おやじといいますが、私もやっぱり地震が怖くて、一番恐ろしかったのは仙台市の西多賀ベッドスクールのベッドに寝たきりの状況で経験した新潟地震だが、チリ地震による津波も50年前の小学生の時に被災地の気仙沼で経験している。
一生のうちに2度の大地震に見舞われたチリの人たちには心よりお悔やみ申し上げます。

さて、今回あらためてこれまで私の身の回りで起きた、あるいは関係があって記憶に強く残っている災害や事故について整理してみました。
昨年還暦を迎えた歳にもなると、結構いろいろなことがあったんだな~というのが実感です。

1954年9月26日(私5歳);台風15号による青函連絡船「洞爺丸」の海難事故

秋田市の親戚の家でこの台風を経験しました。
1954年9月26日22時43分、青森と函館を結ぶ青函連絡船・洞爺丸(3800トン)が台風によって沈没し、1200名ほどの乗客・乗員が亡くなりました。

 当時私は5歳で、仙台に住んでいましたが、当日は脳卒中で倒れた祖父の見舞いのため母と兄(7歳)の3人で秋田市新屋(祖父は王子製紙の社員で当時は新屋の社宅に住んでいました)に行っていました。
当日は台風15号が四国から関西を横断して日本海に抜け、北海道へ向かっていました。
秋田市も夕方から夜半にかけてものすごい嵐となり、風がふくたびに雨戸が内側に反り返ってくるのを皆で必死になって押し戻したり、停電の暗闇のなかで瓦が飛んできて外壁にドンドンぶつかってきたりで、けして頑丈な造りとはいえない2階建ての家が吹き飛ばされて、死んでしまうのではないかと真に思ったものでした。翌日は台風一過の快晴で、道には飛ばされてきた雨戸や瓦やもろもろの残骸が散乱しており、そんな中で「生きてて良かった」という感じで、いとこ達と楽しく遊んだのを覚えています。

5歳だった私が今でも当日のことを鮮明に覚えているのは、この台風の恐ろしさのためで、大分後になって、この台風15号で洞爺丸が沈んだのだということを知りました。怖がりとは思えない私が、台風、特にゴー、ビューといった風音に結構神経質になるのは、その経験がトラウマとなっているからかもしれません。この時洞爺丸以外にも北見丸(70名死亡)、日高丸(56名死亡)、十勝丸(57名死亡)の3隻の貨物船が沈没しています。

1960年5月23日(私11歳);三陸海岸を襲ったチリ地震津波

 宮城県気仙沼市に住んでいてこの津波を経験しました。当日は小学校も休みになり、一日中港の近くの高台から、津波を見物していました。ゴロゴロという海鳴りが不気味でした。自転車であちこち走り回って、翌日海水のため自転車が真っ赤に錆びていて父親に怒られたのを覚えています。

1964年6月16日(私15歳);新潟地震

 宮城県仙台市の国立療養所「西多賀ベッドスクール」に入院して腰椎カリエスの治療を受けていました。寝たきりの状態で震度5を経験しました。ベッドも移動するぼどの激しい揺れで、起きて逃げるわけにもいかず、とても恐ろしかった記憶があります。このときは新潟で起きた地震だとは思われないほど、仙台でも強い揺れを感じました。

1981年10月13日(私32歳);米軍小柴貯油施設の燃料タンク爆発炎上事故

 横須賀市追浜の日産自動車電子研究所に勤務していて、この事故を目撃しました。丁度昼休みに入って、社員食堂に行く途中、ドーンという音がし、食堂の建物のガラス窓が一斉にガチャガチャ音を立てました。向いの岡の裏からすごい炎と真っ黒な煙が、天高く上がりものすごかったのですが、まさかこんな近くに(横浜市金沢区)米軍の燃料貯蔵タンクがあるなんてまったく思っていませんでした。

1988年7月23日(私39歳);潜水艦「なだしお」と釣り船「第一富士丸」の衝突事故

 TVニュースで事故を知り、勤務中でしたが、すぐに勤務していた日産自動車中央研究所の屋上にあがり事故後の状況を目撃しました。遠くに鯨みたいな潜水艦が浮かんでおり、周りに多くの船がうかんでいました。横須賀港北防波堤灯台の3キロのところでの衝突事故で、30名の方が亡くなりました。

1995年1月17日(私46歳);阪神淡路大震災

 当時、日産自動車は日本テレコムとのベンチャーで携帯電話ビジネスを展開しており(ツーカー・デジタルツーカー→現ソフトバンク)、私も研究所から日産本社の支援部隊に転籍したばかりでした。関西は大阪にあるツーカーホン関西のサービスエリアで、当日は社員の安否確認と通信網の被害確認で大変でした。

1995年2月28日(私46歳);オウム真理教・地下鉄サリン事件

 当日は、いつもの通勤と同じで、地下鉄浅草線の東銀座駅で下車してホームに出たときから大騒動で、地上に出ると、沢山のパトカーや救急車が走り回り、空にはヘリコプターが旋回していて、なんなんだ!とびっくりしました。この事件では日産の社員も多く被害を受けました。

これ以降、幸いなことに10年以上、身の回りに大きな災害・事件は起きていません。
これから起きるとすれば、地震でしょうが・・・、あと何回かは、何か経験するでしょうね。
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以上が2010年10月9日のブログ「きらくどう日記」に記載した文章ですが、この時の心配が現実のものとなってしまったのが残念です。負けるな気仙沼、まけるな東北。

ところで、神奈川県警に勤務する私の息子は震災直後から陸前高田市に2回、大槌町に1回、そして現在は5日から釜石市に出動しています。4~5日間横浜に戻っては出かけていく日々が続いていますが、身体に気をつけて頑張ってほしいと思います。

あらためて、全国から駆け付けて被災地で活動している自衛隊、消防、警察、ボランティアのみなさん有難うございます。

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ミッキーマウスの木+ミニトマト

2011年05月07日 | 日々の暮らし
4月末から咲き始めたミッキーマウスの木

いろいろな事件が起きたが自然の営みは何ら変わりなく続いており

開花は例年より10日ほど早い


昨年育てたゴーヤ(ニガウリ)に代わり今年はミニトマトの苗も鉢植えで育てている


家の方では昨年の経験を生かしてゴーヤの苗を4本と新たにピーマンの苗2本を露地植してみた

土にはあまり手を加えていないので、さてどこまで育ってくれるだろうか・・・?




ミッキーマウスの木の花は可憐です





ミニトマトの花はシャイな感じで・・・小さな実もなってきました


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がんばれ気仙沼

2011年03月20日 | 日々の暮らし
昨日、安否が分からずにいた仙台在住の兄から携帯に連絡が入りました。

地震発生当初、兄のマンションは太白区でチョットした高台にあるので地震の揺れによる影響はあったとしても大丈夫だろうとは思ったが、仕事が亘理町か名取の方と記憶していたので津波の影響がとても心配でした。

兄の会社にメールを入れたりしましたが連絡がなく、最悪の事態も考えられましたが、16日になって、だめもとで以前名刺をいただいていた兄の行きつけの居酒屋さん(気仙沼出身)に安否問い合わせのメールを入れたところ、即携帯に連絡が入り「地震後に飲みに来ていたよ。あの人は死ぬような人じゃないから。甥っ子も無事だよ。」とのことで、ひとまずほっとしました。

その後19日に立て続けに兄と甥っ子から電話があり、会社(レストランチェーン)の方に大分被害が出たこと、会社工場の井戸を一般に開放して使ってもらっていること、子供達も全員無事であること、気仙沼の同級生は大分被害を受けたこと、などを聞きました。

その後、私の気仙沼中学の同級生から携帯に連絡があり、気仙沼の被害の状況はTV等で報道されているよりもっと悲惨であり、そこらじゅうに遺体があり、木に引っ掛かっている遺体もあり、彼の店も津波にやられてしまったが幸い家族は無事であること、そんな状況の気仙沼に留まるのは困難と判断し早々に家族で気仙沼を脱出し、やっと川崎の親族のもとにたどり着いたところであることなどを聞きました。

毎年、気仙沼でクラス会を開いていた仲間たちの一部は未だ安否確認ができないということであり、また疎開してきた彼の一家の今後の生活も気になるところですが、取りあえず今はただただ皆の無事を祈るだけの状態です。


この美しい気仙沼の街が壊滅したなんて・・・・

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京浜急行と河津桜

2011年02月25日 | 日々の暮らし
関東地方に”春一番”が吹いた今日

天気は最高で、河津さくらも見ごろになって

朝一番の在宅マッサージに出かけたついでに道の途中で河津桜を写す








京浜急行の線路沿いの桜に紅い電車が映えて・・・ここは撮影ポイントの一つで、みな高級一眼デジカメを構えて電車の通過待ち




小松ケ池の岸辺の桜も満開・・・カモも久しぶりの陽光をあびてのんびり




最近整備された歩道に沿って・・・菜の花の黄色が映えて




上から見るとこんな感じです。

今年の桜は今週末が見ごろでしょうが、3月6日の三浦国際市民マラソンの時も充分観れることでしょう…去年は散ってしまっていましたが、今年は大丈夫。


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三浦海岸 河津桜 八分咲き

2011年02月23日 | 日々の暮らし
三浦海岸の河津桜も昨日、今日の暖かさに開花がすすんで

現在七~八部咲き

連日、大型バスで見物客が押し掛けてきているが

昨日今日は最高の天気で・・・それ以前に寒さに震えながら見物されていた皆様には申し訳ないほど

ただし、見物の道すがらも駅前も食堂がほとんど無く、一軒ある喫茶店も小さな店で、すぐに満杯になってしまい、休憩して何か食べようと思っても実質的に難しい状況にあります

商店会も京浜急行ももっと知恵をしぼって、休憩用のテントを張るとか、お茶を出すとか、サービスできないものだろうか?

もっと観光客を大事にしないといけません、特にほとんどが中高年なのですから・・・。












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