きらく堂日記

鍼灸師の喜楽堂が日々の出来事、過去の思い出、趣味にまつわる話などを綴った日記帳(=雑記帳)です

がんばれ気仙沼

2011年03月20日 | 日々の暮らし
昨日、安否が分からずにいた仙台在住の兄から携帯に連絡が入りました。

地震発生当初、兄のマンションは太白区でチョットした高台にあるので地震の揺れによる影響はあったとしても大丈夫だろうとは思ったが、仕事が亘理町か名取の方と記憶していたので津波の影響がとても心配でした。

兄の会社にメールを入れたりしましたが連絡がなく、最悪の事態も考えられましたが、16日になって、だめもとで以前名刺をいただいていた兄の行きつけの居酒屋さん(気仙沼出身)に安否問い合わせのメールを入れたところ、即携帯に連絡が入り「地震後に飲みに来ていたよ。あの人は死ぬような人じゃないから。甥っ子も無事だよ。」とのことで、ひとまずほっとしました。

その後19日に立て続けに兄と甥っ子から電話があり、会社(レストランチェーン)の方に大分被害が出たこと、会社工場の井戸を一般に開放して使ってもらっていること、子供達も全員無事であること、気仙沼の同級生は大分被害を受けたこと、などを聞きました。

その後、私の気仙沼中学の同級生から携帯に連絡があり、気仙沼の被害の状況はTV等で報道されているよりもっと悲惨であり、そこらじゅうに遺体があり、木に引っ掛かっている遺体もあり、彼の店も津波にやられてしまったが幸い家族は無事であること、そんな状況の気仙沼に留まるのは困難と判断し早々に家族で気仙沼を脱出し、やっと川崎の親族のもとにたどり着いたところであることなどを聞きました。

毎年、気仙沼でクラス会を開いていた仲間たちの一部は未だ安否確認ができないということであり、また疎開してきた彼の一家の今後の生活も気になるところですが、取りあえず今はただただ皆の無事を祈るだけの状態です。


この美しい気仙沼の街が壊滅したなんて・・・・

<鍼灸マッサージサロン・セラピット>


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