第2中里踏切を渡ると、目の前に円勝寺の参道がある。山門手
前に「伊佐家の墓」の説明版が出ていたので墓所へ廻ったものの、
伊佐家の墓石が判らなかった。
伊佐家とは、石州流茶道の流れをくむ茶人の家柄で、江戸時代
は代々、幸琢を名乗り数寄屋頭(茶道頭)として幕府・若年寄の
支配下に置かれていた。初代は‘半々庵’と号し開祖。
三代目の‘半寸庵’の門下からは茶人としても有名な松江藩主
・ 松平不昧がいる。
(北区中里3-1-1)
伊佐家の墓_説明板
前に「伊佐家の墓」の説明版が出ていたので墓所へ廻ったものの、
伊佐家の墓石が判らなかった。
伊佐家とは、石州流茶道の流れをくむ茶人の家柄で、江戸時代
は代々、幸琢を名乗り数寄屋頭(茶道頭)として幕府・若年寄の
支配下に置かれていた。初代は‘半々庵’と号し開祖。
三代目の‘半寸庵’の門下からは茶人としても有名な松江藩主
・ 松平不昧がいる。
(北区中里3-1-1)
伊佐家の墓_説明板