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塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

街を巡る 洛中_3 神明神社

2011-02-07 06:29:04 | 街を巡る_2011
 鉄輪の井の恐ろしい物語に続いて次も妖怪の話。
 平安時代末期、洛中には頭が猿、身体が狸、尾が蛇、手足が虎と
いう妖怪「鵺」(ぬえ)が住んでいた。こいつが夜ごと御所を訪れ、
“ひょうひょう“と鳴き時の近衛天皇を悩ませた。そこで退治を命
じられた源頼政は、見事、鵺を仕留めることができた。
 こちらの「神明神社」は、この鵺が退治された藤原忠通の屋敷跡
とされ、社殿には退治に使用したという矢尻二本が奉納され宝物と
されている。

(京都市下京区東洞院通綾小路東入ル神明町)


街を巡る 洛中_3 鉄輪の井

2011-02-06 07:02:14 | 街を巡る_2011
 続いては洛中の中の中、「鉄輪の井」へ向かった。民家の路地の
奥にあり、入口には引き戸があって入るのをためらったものの、隣
家の方が丁度出てこられて伺うと、“どうぞお入りください”と促
され、入ることが出来た。
 民家の路地通路を数メートル進むと右側に社があった。この社は、
伏見稲荷大社から勧請された「命婦稲荷社」で、その右脇に鉄輪の
井がある。

 この井戸は“丑の刻参り”で有名で、鉄輪のそばに住んでいた女
が男に捨てられ、身を投げたところといわれている。この言い伝え
からここを“縁切り井戸”とも呼ばれ、水をくんで相手に飲ませる
と悪縁が切れるとの俗信も伝わる。

 謡曲の「鉄輪」には、鉄輪の女が貴船へ丑の刻参りをして、相手
の男とその妻を祈り殺そうとする話で、顔には丹を塗り松脂で髪を
逆立て、五徳を頭に乗せて鬼神となる話だ。

 そんな恐ろしい鉄輪の井も、1935年には「霊井」と呼ばれお参
りする方も多いという。
(京都市下京区堺町通松原下ル鍛冶屋町)

街を巡る 洛中_3 京のえべっさん

2011-02-05 05:18:58 | 街を巡る_2011
 えびす神社は、全国に幾多の漢字を当てはめて社数も多い。こち
らの京都「ゑびす神社」は、兵庫県西宮にある総本山「今宮神社」
と大阪の「今宮戎神社」の3つを日本三大えびすとして数え上げら
れている。
 鎌倉時代初期、近くにある建仁寺の鎮守杜として創建されており、
1月8日から12日にかけて行われる「十日ゑびす大祭」が有名。
「商売繁盛で笹もってこい」のかけ声で、商売繁盛や交通安全、家
内安全の御利益を求める参拝者で賑わう。

 境内にはえべっさんや財布塚や名刺塚などもあった。
(京都市東山区大和大路通四条下ル)

街を巡る 洛中_3 崇徳天皇御廟

2011-02-04 06:31:49 | 街を巡る_2011
 続いては東山の坂道を駆け落ちるように降り鴨川沿いを目指す。
その途中に「崇徳天皇御廟」があった。

 洛中の中で恨みを抱く怨霊を挙げるなら、まず一番が崇徳天皇
だろう。保元の乱で破れ後白河天皇に流刑にされた崇徳上皇は、
洛中を憎悪して亡くなっている。
 流刑地・讃岐国で血書をもって洛中への遍幸を願ったものの、
その意が送り返され憤怒の如く自分の舌を噛みきり、その血でも
って送り返された血書の行間に“日本国の大魔縁となり、皇を取
って民とし民を皇となさん“などと書き込んで46歳で崩御。
 その頃の洛中では、崇徳の怨念による祟りが相次いで発生した
ため、御影堂を建て慰霊に務める。現在は大きな楠樹の陰に隠れ
た御廟がひっそりと残っていた。

(京都市東山区安井北門通上ル万寿小路西側)


街を巡る 洛中3 お地蔵さん

2011-02-03 06:28:57 | 街を巡る_2011
 清水さんの境内の中に縁結びの「地主神社」があるが、拝観料
がいるのでパス。なんでも境内に丑の刻参りを行った釘跡が多く
残っているというので、伺うのは次の機会に取っておこう。そう、
丑の刻参りで有名なところは洛中にはまだあるので、この後に伺
う予定だ。
 続いては近くにあるという「毛朱一竹塚」を探したが見つから
なかった。ここには妖怪・鵺の遺骨が埋められてあるという伝説
があるんだけれど、こちらも次の機会に。
 清水さんの北側にある「成就院」へ向かう参道の脇に無縁の数
多くの「地蔵菩薩」が斜面一杯に並んでいた。大地が全てのいの
ちを育む力を宿すように、苦悩の民をその無限の慈悲心で包み込
み救ってくれるという、そんなお地蔵さんの集団だ。

 名もないお地蔵さんに頭を垂れ、お願いをひとつ唱えてみた。
 1835年にこちらの寺の第24世住職になった月照の遺跡が南側
にあった。中央が月照の歌碑、右側が西郷隆盛の詩碑で左側が信
海(月照の弟)の歌碑である。
(京都市東山区清水1-294)


街を巡る 洛中_3 音羽の滝

2011-02-02 06:22:02 | 街を巡る_2011
 次は五条通を東へ進む。京都といえば「清水寺」で、こちらの
「音羽の滝」を目指す。冬の京都、まだ9時台なのでそれほど観
光客も少ないと見込んだのだが、甘かった。海外からの団体グル
ープがワンサカ詰めかけていた。
 延鎮法師が観音様のお告げにより、霊水を求め東山山中の音羽
の滝に入山し、この地で長年修行を重ねてきた行叡居士に出会う。
延鎮は行叡より授かった木片に観音様を彫り、この滝に祀り清水
寺開創となる。

 ご利益のお裾分けを頂くため、今年は良い年になりますように
と霊水を口に含んでみた。
(京都市東山区清水1-294)


街を巡る 洛中_3 源融_河原院址大明神

2011-02-01 06:24:50 | 街を巡る_2011
 続いて鴨川沿いの通りを北へ向かい、五条通りの手前の高瀬川
沿いに来た。こちらに小さな社と鳥居があり榎大明神が祀られ、
その手前に巨木の榎がデンとそびえていた。

 この場所が、源氏物語の光源氏のモデルといわれている源融が
時の摂政、藤原基経の台頭により隠棲した邸第「河原院」があっ
たところで、贅の限りを尽くした大邸宅だったという。
 嵯峨天皇の皇子である源融は、隠棲していたといえどもこの院
の林泉に鴨川の水を引き、殿舎・楼閣を建て風流を極めた生活が
なされていたという。そのあたりは、源氏物語・第一部・最終章
「藤裏葉」で描かれている。

 そして、平安京時代の最大の心霊スポットでもあった。
(京都市下京区木屋町通五条下東側)


街を巡る 洛中_3 耳塚

2011-01-31 06:25:27 | 街を巡る_2011
 粟嶋堂宗徳寺の後、本願寺伝導院へ廻ってみたが、現在建物の改
修中で拝見できなかった。建築家・伊東忠太のデザインと六角桜閣
の車止め石柱を観たかったが、次の機会としよう。
 続いて七条通りを東へ進み、鴨川に架かる七条大橋を渡り豊国神
社前にある「耳塚」(別名:鼻塚)へ。
 16世紀末、豊臣秀吉が朝鮮半島に侵攻した文禄・慶長の役にか
かる遺構で、時の武将は戦功の印として首級の代わりに軍人や民間
人の鼻や耳をそぎ落とし、それを塩漬けにして日本に持ち帰った。
秀吉の命により、この地に埋められ供養されたという。

 戦争とはいえ、なんとも心の痛む事件であり、そのモニュメント
である。
(京都市東山区正面通大和大路西入ル茶屋町)


街を巡る 洛中_3 人形供養

2011-01-30 05:09:12 | 街を巡る_2011
 古くから人形は愛情を込めて可愛がるほど、その心が人形に映り
込み宿るといわれている。
 続いて訪れたのは京都駅の西北側町屋の中にある古刹、「粟嶋堂
宗徳寺」で、ここは人形供養をするお寺だ。境内には奉納された年
代の人形が置かれた人形舎が数棟建っている。

 人形舎を眺めるごとに、それぞれの人形から熱い視線が差し込ん
でくるようで、背筋に冷水が走ったような感じがしてきた。これは
人形たちが助けを求めているのだろうか、不思議な気分だった。
 境内に与謝蕪村の句碑があった。

「粟嶋へ はだしまいりや 春の雨」
 この句は、蕪村が娘の病気平癒を祈願した時に詠まれたもの。
(京都市下京区岩上通塩小路上ル)

街巡り_番外編 苗場でイベント取材

2011-01-29 16:33:01 | 街を巡る_2011
 本日は朝から新潟県の苗場スキー場に伺っている。スノーモビ
ルの全日本選手権シリーズ開幕戦の取材だ。スキーやボードで楽
しむ姿を横目で見ながら、スノーモビルのフリー走行を撮ってい
た。トップカテゴリークラスでは、写真のゼッケン2番が速かっ
たかな。

 さて、本日の晩飯は越後湯沢まで降りて、主催者の方からご招
待とあいなった。越後のお酒が愉しみだ。
新潟県・苗場スキー場