目指せ華麗な七十代!

旧mandalaflowerからタイトルを替えました。今から始まる七十代をより華麗に生きる覚悟です。

人生はドラマ⭐︎警察が来た

2020-02-06 | 日記

警察が来るのを待つ間、相手方は素早く修理屋を手配していました。

何の疑問もなく事は全て私側の落ち度として進んでいきます。

警察が来ると、駐車スペースに止まっていた車に私がぶつかった、という事実が

出来あがりました。

けれども、やってきた二人の警官のうちの一人がたまたま顔見知りだった事が幸いだったかもしれません。

実は一昨年の秋に家人が交通事故の目撃者になった事があり、

半日かけて調書を作るのに協力しました。

やって来たのが顔見知りの警官だったことで少し気持ちが緩みましたが、

何を聞かれてもあの事故の瞬間の記憶はボヤッとしてはっきりと覚えていないのです。

友人がバックしてハンドルを切り返し、自分の後ろを走り去るのをバックミラーで確認したところまでは妙に鮮明に思い出せるのに、

自分がどれだけバックしてどのあたりでハンドルを切って、

それからぶつかった瞬間の事がモヤモヤとして記憶が定かでありません。

相手方が、駐車スペースに止まっていたら当てられた、

クラクションを鳴らしたが止まらなかった、と証言しているのが聞こえて来ました。

クラクション?

そんなの聞こえませんでした。

でもその時は、もしかしたら自分が気が付かなかっただけかもしれない、という

疑心暗鬼に囚われていたのでしょう。

鳴らさなかった、と反論出来ない自分がいました。

 

既成事実が次々と出来上がっていく中でモヤモヤの記憶を抱えた無力の私はなす術を持たず、

ただうなだれて退場するしかなかったのです。

 

いつの間にか車の修理も相手方の知り合いに決まってしまいました。

私は、初めての事故のショックと、恥ずかしさと怒りと不運と、

ありとあらゆるネガティブな思考を抱えながら

打ちひしがれて家に帰り着きました。

 

修理屋に電話した後、家人にも電話して事故の事は知らせてあったので

思ったよりも優しく出迎えてもらえてホッとしました☆

 

 

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人生はドラマ⭐︎初めての交通事故

2020-02-06 | 日記

 

立春の日の出来事でした。

 

その日は友人と待ち合わせて、初めての仕事場に向かうことになっていました。

ブログの記事にも書いたようにウキウキ、ドキドキして、

いつになく気分が高揚していたのかもしれません。

待ち合わせ場所に着くとすぐに彼女が現れました。

少し前からトイレに行きたくなっていたので、彼女に一言告げると走って用を済ませたのです。

 

そのとき私は、彼女を待たせたことにすまない気持ちを抱いていました。

 

小走りで戻って運転席に身を沈めると、隣に駐車した車がバックしながら後部を右側に振って

発車していくのが見えました。

彼女が自分の後ろを通り過ぎたのを確認して、

そのまま車をバックさせながらやはり私も後部を右に振ったその時に、

ガツンと何かに当たって車が止まりました。

頭の中では何の障害物もないはずなのに、

面食らったとはまさにこの事だったかもしれません。

直ぐに車から降りて後部に回ると相手の車のバンパーが潰れているのが見えました。

車から降りてきた男は

何をしてくれたんだ、コレもう十万円はかかるぞ、とか十万円よこせとか、

そんなことをいきなり言うのです。

男は中国人でした。

 

十万円云々の発音ですぐ分かりましたね。

そのせいで警戒心を強めたこともあったでしょう。

私は思わず、すみません、ごめんなさいと平謝りしましたが、この言葉に怯えて

この辺りの記憶がすっかり飛んでしまったようです。

 

頭の中では千と一つの思考がぐるぐると回っていました。

どうしよう、どうしよう。

 

事故を起こした自分、修理にかかるお金、家人にかける迷惑、様々な心配が一気に押し寄せて、

自分が何をすべきなのかまるでわかりませんでした。

生まれて初めての交通事故で、そのうえ

私は任意保険に入っていませんでした。

ですから何も知らない私は、自分は最悪の状況に置かれているような気がして誰かに助けてもらう事ばかり考えました。

一番頼りにしたい人は家の外で体操をしている時間です。

電話をしてもつながる可能性は低い、と考えました。

 

ところが実際は、私が出かけているのでもしもの連絡があった時の為に

電話の子機をそばに置いていたのです。

だから本当は迷わず家に電話していれば事は違ったのかも知れません。

私はすっかりネガティブ思考にハマっていました。

当たった瞬間に自分が悪い、と思い込んだからです。

 

それから私はなじみの車屋に電話をかけ、自分の状況を説明してどうするのがベストか尋ねました。

私は他力本願でした。

誰に助けてもらうか、そればかりに頭を働かせていた気がします。

 

助けて、助けてと泣きべそをかいている私はまるで幼稚園児のようでした。

今振り返ると非常に恥ずかしいのです。

穴があったら入りたい。。。

何故自分でなんとかしよう、とか

いま自分のすべきことは何か、とか

自分で解決しようといういしがなかったことです。

 

ぶつかった直後、車から降りると視線の先に

国道の出口に止まっている友人が見えました。

彼女も事の次第に戸惑っているようで心配そうに私の方を見つめています。

後続の車が少し急かすようにアクセルをふかすのを聞いた私は、

思わず言っていいよ、と手で合図したのです。

彼女の足を止めて仕事に遅れたら悪い、とそんな思いがあった気がします。

とりあえず車屋を相談相手に選んだ私は道の駅の産直に走って行って電話を借りました。

携帯電話は持っていないのです。

 

ところが、待っててよ、と言ったのに走って現場に戻ろうとする私の横を

男の車が走り去って行くじゃないですか。

え、どこへ行くのと思っているとまもなく男が二人で戻ってきました。

 

弟を連れてきたのです。

自分は日本語がよくわからないので日本語の達者な弟に話をさせようと思ったのでしょう。

 

たまたま彼らはこの近くで仕事をしていたようです。

弟は開口一番警察に電話する、と言いました。

事故に関することはよく知りませんがその場で示談とか、警察沙汰にしたほうが良いのか悪いのか?とか、

わからないことだらけの状態で判断しなければならず

それが余計に混乱を招いていました。

日本語の流暢な弟は

事故証明が欲しいから警察に連絡すると言って譲りません。

仕方がないので警察を待つことになったのです。

 

 

 

 

 

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