【連載】
■「そして明日へ」(2)
瀬尾公彦(愛知県)
seo@ksn.biglobe.ne.jp
新任から退職まで、5校を歴任した。まず全日制に4年。若いうちにと
夜間定時制に希望して、そこで12年。すっかりはまってしまい、異動す
るならば、夜間定時制という希望が叶えられて3校目が13年。そして、
夜間定時制で、6年、3年。合計38年。定年退職。
時代は移り変わり定時制も又様変わりしている。かつてのやんちゃな生
徒があふれるイメージから、おとなしい定時制へと。全日制を経験した
若い先生などが、あまり疑問も抱かずに、ある種従順な生徒たちに、な
かなか昔では考えられない感じの、規律を中心とした価値観の学校運営
が粛々となされていく。
かつての、ある種無茶苦茶で人間味のあふれる教師はほとんど今は昔で、
「教育」そのものを問題とするというよりは、職業としての、瑕疵のな
い「学校運営」が問題となる。
生徒の相手も出来ない先生も「学校」に適応できるようなシステム。
危機管理が「教育」に優先されるのも仕方のない時代なのか。
「学校運営」と「教育」との乖離。
これは、定時制に限ったことでもあるまいが、今「学校」で行われている
ことは「教育」なのか。
「教育」とは何か。
「教育」でないとするならば、この毎日再生産されている現象は一体何な
のか。オールオアナッシングではないとしても。
正直、なにかさびしいものを感じる昨今である。
昔は良かったという話でもない。現在の方がやはり進化していて洗練され
ている部分も当然ある。
夜間定時制高校というのは、基本少人数のクラスである。本来、個の営み
である「教育」が、「集団教育」というように流れて行っているところに
変化を感じるのである。
それでも私の周りには、熱心で、生徒思いの先生たちがあふれてもいる。
教師自身がなにか、職業として、役割を演じているところが、増えている
のであろう。演じる中での人間対人間。
100年後、ここで、教師たちがもっと人間の部分を気楽に出して、フランク
に生徒一人一人と向き合っているようになればと、この年にして思う。
AIに代替不能とされている「教師」と言う職業の、その人間的な部分につ
いて考えてしまう。
私は今しばらく、再任用教師という身で、さらに自覚的に「不良教師」とし
て存在しようと思っている。
===============================================================================
===編集日記===
皆様に支えられて「日刊・中高MM」第4323号です。
瀬尾公彦さんの「そして明日へ」、お届けします。
改めて瀬尾先生の作品を拝読して、私も昔は良かったというつもりはないが、
何かつかみ所のない奇妙な気がするのです。荒れた昔の学校とは異なるのが
今の現場ですが、昔よりもそれぞれ、つまり、生徒と先生、親と先生、生徒
と生徒、先生と先生といった関係性にも諍いも少ない。何ともつかみ所がな
い世界である。「関係の希薄化」が進行しているせいでしょうか。
■「そして明日へ」(2)
瀬尾公彦(愛知県)
seo@ksn.biglobe.ne.jp
新任から退職まで、5校を歴任した。まず全日制に4年。若いうちにと
夜間定時制に希望して、そこで12年。すっかりはまってしまい、異動す
るならば、夜間定時制という希望が叶えられて3校目が13年。そして、
夜間定時制で、6年、3年。合計38年。定年退職。
時代は移り変わり定時制も又様変わりしている。かつてのやんちゃな生
徒があふれるイメージから、おとなしい定時制へと。全日制を経験した
若い先生などが、あまり疑問も抱かずに、ある種従順な生徒たちに、な
かなか昔では考えられない感じの、規律を中心とした価値観の学校運営
が粛々となされていく。
かつての、ある種無茶苦茶で人間味のあふれる教師はほとんど今は昔で、
「教育」そのものを問題とするというよりは、職業としての、瑕疵のな
い「学校運営」が問題となる。
生徒の相手も出来ない先生も「学校」に適応できるようなシステム。
危機管理が「教育」に優先されるのも仕方のない時代なのか。
「学校運営」と「教育」との乖離。
これは、定時制に限ったことでもあるまいが、今「学校」で行われている
ことは「教育」なのか。
「教育」とは何か。
「教育」でないとするならば、この毎日再生産されている現象は一体何な
のか。オールオアナッシングではないとしても。
正直、なにかさびしいものを感じる昨今である。
昔は良かったという話でもない。現在の方がやはり進化していて洗練され
ている部分も当然ある。
夜間定時制高校というのは、基本少人数のクラスである。本来、個の営み
である「教育」が、「集団教育」というように流れて行っているところに
変化を感じるのである。
それでも私の周りには、熱心で、生徒思いの先生たちがあふれてもいる。
教師自身がなにか、職業として、役割を演じているところが、増えている
のであろう。演じる中での人間対人間。
100年後、ここで、教師たちがもっと人間の部分を気楽に出して、フランク
に生徒一人一人と向き合っているようになればと、この年にして思う。
AIに代替不能とされている「教師」と言う職業の、その人間的な部分につ
いて考えてしまう。
私は今しばらく、再任用教師という身で、さらに自覚的に「不良教師」とし
て存在しようと思っている。
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===編集日記===
皆様に支えられて「日刊・中高MM」第4323号です。
瀬尾公彦さんの「そして明日へ」、お届けします。
改めて瀬尾先生の作品を拝読して、私も昔は良かったというつもりはないが、
何かつかみ所のない奇妙な気がするのです。荒れた昔の学校とは異なるのが
今の現場ですが、昔よりもそれぞれ、つまり、生徒と先生、親と先生、生徒
と生徒、先生と先生といった関係性にも諍いも少ない。何ともつかみ所がな
い世界である。「関係の希薄化」が進行しているせいでしょうか。
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