“本や新聞を読むように親から言われたこともあって、自分の時間ができた定年後、努めて読書をしている。読後は印象に残った言葉や一節、感想をノートに書き留めている。これまでに読破したのは百三十冊ほど。一冊一冊にはこれまで知らなかったことがたくさん詰まっている。最近はスマートフォンや電子辞書を駆使して難しい字や言葉を調べつつ読み進めている。小説の舞台を訪ねて海外旅行したこともある。読書を重ねるうち、少しは知識と教養が身に付いたように思える。夫婦間や身近な人との会話の中身も豊かになった気がしている。この先、認知症予防も兼ねて一層読書に励むつもりだ。”(4月13日付け中日新聞)
岐阜県多治見市の安藤さん(男・74)の投稿文です。安藤さんは定年後からできた時間の有効活用として本を読み始められた。そして感想を書くなど、十分に活用されている。本の有効性など、ここで改めて言うことはなかろう。
今のボクに欠けているのは読書だろうか。最近は本を買ったことも読んだこともないくらいである。もう何年も前のことになるが、電子ブックを買った。多くは無料で読め、手軽である。それを読んでいるうちはよかったが、次第に利用しなくなった。本はやはり紙であろうか、ボクらにはやはり向かないようだ。でも折角ある機器である。字の大きさも自由である。重くもない。その利便性を再度活用したいものだ。そう思ってこの投稿文を取り上げた。
社会人となり、通勤の行き帰りのカバンの中にはいつも本がお供でした。
なぜか本に費やすおこづかいは惜しくなく、新刊がでるといつも本へ直行でした。
本は心を豊かにしてくれます。それに未知の世界を教えてくれます。
悲しい時、嬉しい時に読む時期において、受け取り方もちがいます。
本は私の指針です。
ヒロインの歩いた場所を文庫本を片手に、旅した所も数知れず。
白内障の手術をしてからは、読みづらくなり、また覚えも悪くなり、同じページを行ったり来たりの状態で、若い頃のように読破はなかなかできませんが、今も相変わらずヒロインの世界に入り込んで遊んでもらっています。