寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
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(第2718話) 家族の無事祈る

2018年12月20日 | 活動

 “三十八年前に八十歳で亡くなった父は晩年、自宅の軒下に毎朝立って子や孫も含め家族全員の名前と年齢を声に出しては西の方角に向かって手を合わせていました。道行く人は皆好奇の目で父を見ていました。私は「そこまでしなくても」と言いましたが、父は聞いてくれませんでした。
 あのときの父と同じぐらいの年齢になった私は今、父の気持ちが分かるような気がしています。凡人で特に秀でたところもなかった父が家族を守るには祈るしかなかったのかもしれません。
 妻子の無事を願うことは父親としての責任だと思います。わが子も無事成長して私は幸せに暮らせています。父のような大げさなことはできませんが、私も至るところで家族を思って手を合わせる機会が増えてきました。小さな体で軒下にいた父の姿は、私に大切なことを教えてくれました。そんな父には、今とても感謝しています。”(11月28日付け中日新聞)

 三重県紀北町の自営業・長井さん(男・75)の投稿文です。家族の安寧を願う、これは誰しも同じであろう。それをどういう形で表すか、もうこれは様々である。神社仏閣で願う、仏壇やお墓の前で願う人もあろう。心の中で願う人もあろう。しかし、長井さんのお父さんは堂々としていた。人の通る前で、家族全員の名前と年齢を声に出しては西の方角に向かって手を合わせていた、と言われる。こうなるともう尋常ではない。信念の現れである。家族の誰もの心に残るであろう。誰もが自分自身気をつけねばと心がける。それでより安寧が保たれる。凡人で特に秀でたところもなかったお父さんと言われるが、とんでもない。素晴らしいお父さんであった。
 社会が希薄になり、家族関係も希薄になった。もちろんより濃くなった部分もあろう。家族は、そして夫婦は社会の最小単位である。ここがゆがんでいては社会はますますゆがむ。まずは最小単位を固め、そして社会にも目を向ける。物質的には豊かになったが、逆に心は貧しくなった、よくいわれる言葉であるが、この言葉もなくしたい。


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