寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
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(第2717話) 年賀状

2018年12月18日 | 意見

 “最近は年賀状を出さない人が増えているという。私の職場でも近年、儀礼的なあいさつは不要として「年賀状禁止令」が出されたが、私はごく親しい同僚とだけ送り合っている。年賀状はご無沙汰してしまっている人に近況を知らせる一方、身近な人には改まって感謝を伝える絶好の機会だと思う。今年も早々に年賀はがきを購入し、来年のえとであるイノシシを描いたはんこも用意した。一枚一枚、相手に合わせた一言を丁寧に添えている。今年初めにいただいた賀状の添え書きを読み返していたら、「お元気ですか? 昨年は家族皆、新生活で慌ただしい一年でした」「機会を見てまた会えるといいですね」ー。友人や知人の飾らない言葉に心が和み、それぞれの顔を思い浮かべた。
 年に一度のこんな賀状のやりとりは、私にとって旧友や知人との貴重な近況報告の場になっているだけに、来年も再来年も私は年賀状を書き続けようと思っている。”(11月27日付け中日新聞)

 愛知県みよし市のパート・加藤さん(女・47)の投稿文です。この時期になる毎年年賀状の是非についての意見も多い。問題は世の中の慣習、義理と思うかにあると思う。このように思うと無駄な出費、時間の浪費と思うであろう。今はSNAなどいろいろな手段があり、このように思う人が多くなったのであろう。何事も捉え方である。何事にも功罪はある。ネガティブに捉えるか、ポジティブに捉えるか、それだけである。
 喪中で年賀状欠礼のはがきも多くなった。そして、そのまま翌年からなくなる、そんなこともあって毎年出す年賀状も減っていく。今年で最後にします、と言う添え書きがある物もある。高齢になって出すのが億劫になると共に、もう年賀状だけの付き合いは止めたということであろう。ボクも一時どうしようか、と迷った時がある。しかし、ボクから出すのを控えるのはしないと決めた。毎年出す人には出し、頂いた人には後日でも出す。ボクの場合、年賀状には長年妻とボクの川柳を載せている。ただの決まり文句だけではない。これを楽しみにしていると言ってくれる人もある。いろいろなことは止め始めると芋づる式に減っていく。それ程減らしてどうするのだ。形式的でもいい。加藤さんの意識を支持する。


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