寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3262話) 古希に思う

2022年01月19日 | 人生

 “今から五十年ほど前の話です。その頃、私はどうしても特撮映画の仕事がしたくて、今で言う就活でいろいろ当たりましたが、コネも紹介もなく、立ち往生。夢は捨てがたく、意を決して当時、「ゴジラ映画」で有名なH監督に、思いの丈を書いた手紙を送りました。
 まさかの丁重な返事に大感激です。中身は映画界の厳しい現状や将来性など。否定的な内容ではありましたが、最後に「貴君がそれでもやりたければ是非やるべきだ」と激励されました。「よしやるぞ!」と、この手紙を片手に再度上京。特撮テレビ制作会社「Tプロ」の門を叩きました。運命かな、私の話を熱心に聞いて下さった方が即決しました。この世界では珍しい正社員登用です。天にも昇るとはこのこと。それからの四年間は古い徒弟制度の厳しさと優しさ、徹夜作業の連続、Tシャツの汗が白い粉になるセット内の暑さ、大掛かりな仕掛け撮影がうまくいった時の高揚感・・・。
 今、古希を迎えて、あの時本当にやっておいてよかったと懐かしく、しみじみと思い出します。翻って、このコロナ禍の閉塞感漂う世の中、将来ある若者諸君!夢を諦めず悔いなき人生を!ウォーキング中の古希オヤジの、ほんのつぶやきです。”(12月27日付け中日新聞)

 愛知県岩倉市の家電販売業・吉田さん(男・70)の投稿文です。吉田さんの20歳頃の話である。特撮映画の仕事をしたくて、無我夢中で飛び込む。4年ほどされたようだが、今懐かしく思いだし「やっておいて良かった」と、感嘆される。「将来ある若者諸君!夢を諦めず悔いなき人生を!」と言われる。この言葉に何の異議を挟むことではないが、しかし現実はいろいろな問題を含む。
 実はボクの孫が、昨年末大学を中退して沖縄へ1人行ってしまった。ボクは気がかりで仕方がない。放り出すように出してしまった娘夫婦の心配は、ボクの比ではなかろう。この行動は吉田さんが言われるとおりの行動であろう。吉田さんのように将来「やっておいてよかった」と言えるか、将来も台無しにとんでもないことをしたと思うのか、過ぎてみなければ分からない。今やわが家の最大の心配事になったが、ただ見守ることしかできない。
 ボクも「やれる時にやる」を基本姿勢としてきた。若い時からいろいろ手がけたこともある。明日も知れぬ今はまさにそれである。しかし、それはいつも本業は本業としてやっていた別のことである。だからボクのしてきたことは大したことではない。


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